第29話 誕生

文字数 4,250文字

 明良はベッドの上で両膝を抱え込むように座って、親指ぐらいの赤い石をじっと見つめていた。それは、帰国するヤニスを空港で見送ったとき、渡された石だった。
 ヤニスはその石はヤニス自身の身体の一部からできたもので、明良がそれを取り込むことにより、ヤニスの力の一部を手にすることができると言った。
 取り込み方については具体的な説明はなく、石を見ていれば分かると言われた。
「何も起きないね」
 隣で同じように座っている樹希がじれている。無理もない、もう一時間もこうやって石を見ているのだ。
 石を見ていると、その中に秘められたパワーを感じる。その力には波動があり、それが明良の思念の波動と少しずつシンクロしてくる。全身に石の波動が拡がってゆき、身体が熱を帯び始めていた。
「ねぇ明良、大丈夫?」
 樹希が心配そうに明良の顔を覗き込むが、その声は明良の耳には届いてない。
 明良の身体が硬直し始めた。樹希が力を込めて引っ張ってもびくともしない。
 石が細かく振動を始める。
 その振動に呼応するかのように、明良の額に天眼が現れた。
 石が赤い光に変わって、明良の天眼に吸い込まれて行った。
「きゃ」
 樹希が悲鳴をあげた。
 明良の天眼が赤く染まっている。
 それは部屋全体を真っ赤に染める光を放って、静かに額の中に消えて行った。

「どうしたの、何が起きたの?」
 樹希がパニック気味に訊いてくる。
「落ち着いて、何か感じない。身体が、凄く軽くなったような気がする。天眼が出たのに頭も痛くない」
「私も、何だか身体が軽い」
 樹希はベッドから下りて立ち上がった。
 試しに正拳を突いてみると、拳の周りに薄い赤で染まった思念の螺旋が出現した。
「すごい。今までの何倍もパワーアップした感じ」
「きっと、石を取り込んだときの光を浴びて、樹希もパワーアップしたんだよ」
「でも大丈夫? 三つ目の目は血で染まったように真っ赤になってたよ」
「大丈夫だよ。天眼が八咫烏の力そのものだとしたら、八咫烏が背中に太陽の光を浴びて、そのエネルギーを取り込んでいく感じがする。何か天眼自体の力の質が変わったような気がする」
「頭は大丈夫?」
「焼き切れるような頭痛は無くなった。でも微かに痛みはするから、これはファカルシュの力だ。細胞が消滅するごとに再生してるんだよ。ヤニスは再生能力は有限だと言ってたから、使いすぎると再生する力は無くなるかもしれないけどね」
「でも保険はできたね」
 樹希は明良のリスクが少しでも減ったと分かって、嬉しそうだった。
「あの赤い目はびっくりしたけど」
「そんな変化があったんだ。じゃあ、天眼が赤くなくなったら、効果も無くなると思えばいいね」
 カア。
 言い終わった瞬間、ツノからの呼びかけをキャッチした。

「樹希、生まれそうだ。急ごう」
 急いでベッドから降りて、突き当りにある綾香の部屋へ向かう。セバスチャンが一階から風のように駆け上がって、追い越していった。
 セバスチャンに続いて、綾香の部屋に入る。
「明良、破水だ。出産準備を始めてくれ。セバスチャン、大急ぎで伊集院先生を呼んで来てくれ」
 コーマから二人に指示が飛ぶ。
 明良は樹希と共に、一階にある出産設備を備えた部屋に向かった。コーマや明良もそこで生まれ、今回の出産に備えて、設備も最新にバージョンアップしてある。主治医さえ到着すれば、ここで帝王切開も可能だ。母体用のICU設備も隣接している。
 九家にとって出産は一大イベントのため、どの家も屋敷内に大病院に劣らない設備を保持していた。北条家執事であるセバスチャンは、医師免許さえ保持している。

 伊集院先生が到着してから一時間が過ぎた。まだ産声は上がらない。明良と樹希だけではなく、智成、礼美、八雲、雷、それに杏里紗が心配してリビングに詰めている。
 零士と正臣は、儀介が退院したと聞き、グリムスター対策を話し合うために京都に行っていた。
「時間がかかるな」
 智成は気が急くのか、立ったり座ったりしながら落ち着きがない。顔は興奮して赤くなっている。
「智成が焦ってもどうにもならないでしょう。明良の気が散るからおとなしく座ってるの」
 礼美が落ち着きのなさを注意する。
 八雲と雷は目を閉じて手を膝の上で合わせ、運命の瞬間を祈るように待っていた。
 明良は、青い顔で神経が極限まで張りつめて、今にも音を立てて切れそうな雰囲気に包まれている。
 今にも倒れそうな様子を心配して、少し前から樹希がずっと明良の肩を抱いていた。
 その隣では、杏里紗が審判を待つ巡礼者のように、静かにそのときを待っていた。
 そうここにいる四人の女性は、いずれもいつかは同じときを迎える運命を背負った仲間なのだ。

――まだか、どうしてこんなに長いんだ。
 明良は結果を待つ時間の苦しさに、思考が止まっていた。普段の明良なら、なぜ時間がかかっているか様々な可能性を考慮して、分析を進めるはずだ。
 だが、そんなものは今や、何の役にも立たない。分析したからと言って運命を変えられる力など持ってないからだ。
 ふと父親のことを思い出した。父は自分が生まれて母が死んだことによって、生きていく気力を失い、世捨て人となって八王子で隠遁している。
 きっと、コーマの出産とき、今の自分に近い気持ちだったのだろう。そして絶望を味わった。そのとき父に残っていたのは、一族を平穏に導く義務感だけだった。
 それでもコーマの母によく似た母と再婚し、二人の息子と一人の娘を母子共に無事に得ることができた。この屋敷に束の間訪れた家族で過ごす平和な日々、それを壊したのは自分だ。
 自分が生まれることによって、父は気力を失い、兄や姉は他家に養子に出され、コーマは一人で北条家の当主として責任を負うことになった。
 なんて惨い一族の宿命だろう。
 その悲劇は今日、またこの場所で繰り返されようとしている。その場に立ち会う自分の無力さに自死する思いだ。
――無事でいてくれ、無事でいてくれ、無事でいてくれ。
 無力な自分はこうしてただ祈るしかなかった。

 オギャー、オギャー、――
 けたたましい赤ん坊の泣き声が分娩室から聞こえてきた。
――生まれた!
「生まれたぞ!」
 智成の大声がリビングに響き渡る。
 同時に全員に緊張が走った。
――綾香は無事なのか?
 全員の意志が一致して、動悸が激しくなる。

――明良、明良
 誰かが思念で呼びかけてきた。
――誰だ!
――僕だよ、今生まれたばかりの君の甥っ子だ。
 えっ! 急いで周りを見渡したが、誰も自分に思念を送った気配はない。
――助けて欲しいんだ。
――どうしたんだ。
――母さんが、死にそうなんだ。
 明良は愕然とした。思わず力が抜けてその場に崩れ落ちそうになる。
――しっかりして、今父さんが必死で母さんの命をつなぎとめてる。でもこっちに引き戻すには力が足りない。
――どうすればいい?
――そこにいる全員と心をつないで、天眼を開いて母さんに力を送って欲しい。
「みんな! 綾香が死線を彷徨っている。引きずり上げるのには、みんなの力が必要だ。お願いだから手を貸して欲しい!」
 突然怒鳴るように頼み始めた明良に、みんな驚いて見ている。
「何をすればいい?」
 すぐに反応したのは智成だった。
「綾香を助けるために、みんなの思念エネルギーを僕に集める。みんなで手をつないで、心の中で綾香を助けると念じてくれ」
「分かった」
 智成が礼美と杏里紗と手をつなぐのに倣い、各自が手をつないで輪を作った。
「よし、念じるぞ」
 樹希、八雲、雷、杏里紗、礼美、最後に智成の思念が明良の身体に入って行く。明良の身体が黒く輝き始め、額に天眼が現れた。その瞳は真っ赤だった。
 明良の脳裏にコーマの意識が流れ込む。天眼を開き、必死で綾香の両手を掴んで、流されないように踏ん張っている。そこに明良は自分の思念とみんなの思念を合わせて送り込んだ。
 コーマが力強く、綾香を引き戻し始める。黒い濁流に飲まれていた綾香の身体が、少しずつ抜け出し始めた。明良はさらに、力をこめて思念を送る。
 綾香の身体が完全に濁流から抜けて、コーマの腕の中に(いだ)かれた。

――ありがとう、明良。母さんの命は助かったよ。
 明良がへなへなと床に座り込んだ。
「どうした明良、綾香は助かったのか?」
 智成の声が部屋の中に響いた。
「生まれました! 母子ともに無事です」
 伊集院先生に帯同してきた助産婦がリビングに入って、吉報を告げた。
「万歳!」
 樹希が力いっぱい声を張り上げて手を挙げた。
「良かったね」
「やったね」
 女性たちが口々に喜びを口にする。
 智成が座り込んでる明良の傍にやって来る。
「見事な力だ。礼美のときも頼む」
 存外真面目な顔で智成が頭を下げる。
 もちろんと言いかけたときに雷もやってきた。
 真っ赤になりながら、それでも小さな声で告げる。
「八雲さまのときもよろしくお願いします」
 九家に希望の光が見えた瞬間だった。

 全員で分娩室に出向き、綾香と赤ちゃんに対面する。
 コーマは疲れたのか、車椅子の上で眠っていた。
「えっ、赤ちゃんの額に天眼があるよ。瞼を閉じてる」
 樹希が驚いて大きな声で指摘した。
「それだけじゃないのよ」
 綾香が赤ちゃんの産着をまくると、睾丸の下に小さな三本目の足があった。
「この子も車椅子生活ね」
 それでも綾香は嬉しそうだ。
――おい、聞こえるか、足はともかく天眼は引っ込められないか?
――明良に見せたくて、そのままにしておいたんだ。
 思念が伝わると、天眼が薄くなって額に消えた。
「あれ、足が引っ込んでる」
 樹希が指さした先には、三本目の足が体の中に埋め込まれ、小さな指の先だけが覗いている姿があった。
「これ、便利だね」
 杏里紗が楽しそうにほほ笑む。
 カア。
 ツノの祝福する啼き声が響いた。

――明良、僕はこれから人間の子供として成長するために、しばらく思念を閉じる。だから君との会話はしばらくお預けだ。母さんを助けてくれて本当にありがとう。

 明良の周りに漂っていた赤ん坊の思念が消えた。目の前にはすやすや眠る普通の赤ちゃんの平和な寝顔があった。
 この子はきっと、世界を導くリーダーに成る。だからグリムスターはこの子の命を狙ったんだ。これから自分の命をかけて、この子を守る。そして、この子の偉業を助ける子供を樹希に産んでもらおう。
 明良は初めて、自分の生まれてきた意味が分かった気がした。
――この世に必要とされた。
 嬉しさで両目が潤んでくるのを、皆に気づかれないように、そっと拭った。
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