第51話 仕上げ

文字数 3,764文字

 楠木屋敷では、三人の無事な帰還を祝って、祝宴が催されていた。
 特に正長の喜びは尋常ではなかった。顔中くしゃくしゃにして、良かったと何度も繰り返し、正臣がもう良いと言っても、四才の正純を相手に良かったを繰り返していた。
 信も、父烈が儀介の攻撃で左腕を痛めたものの、生きて帰って来たことで、元気が倍増しているように見えた。

 革命の成就に乾杯して、皆が一息ついたころ、零士がしみじみと語りだした。
「それにしても、あの雅が手が醜く焼けることを(いと)わない程、鬼殿に惚れていたとは、まったく世の中は分からないものだ」
「今川家は権謀術数(けんぼうじゅっすう)が絶えぬ家だ。その中に育って、遼真殿のような信を置ける男を、雅殿は眩しく感じていたのだろう」
 コーマも二人の愛に感じ入ったのか、しみじみと応じた。
「今川の当主が素目羅義の執事と結ばれたりしたら、平時だったら何かの陰謀と疑われますからな。雅様も胸に秘めるだけで我慢していられたのでしょう」
 素目羅義の事情に詳しい正長が、雅のせつない恋を思いやって、皆に代弁していた。

「しかし、鬼殿も凄まじいの一語だな。顔半分と髪が焼けて、右目迄潰れても平然としていた。普通なら激痛で意識を失うところだ」
 正臣がその凄まじい精神力を思い、首をすくめる。
「おまけに信治殿もそれを見て、平然としていた。二つ鬼とはよく言ったものだ」
 零士が呆れたように付け加える。

「これからも、グリムスターの攻勢は続くのでしょうね」
 心配性な正長が早くも次の企みを心配する。
「グリムスターだけではない。中国やロシアも虎視眈々と日本を狙っていることは間違いない。気を抜くときはないな」
 零士が未来の戦火の拡大を予期して、気を引き締める。
「大丈夫だよ。儀翔殿たち次世代が順調に成長している。彼らがきっと日本を守ってくれるはずだ」
 コーマが頼もしそうに笑顔を見せた。

「次世代と言えば、昂亜の力は凄まじかったな。あれで生まれたての赤ん坊だというから恐れ入る」
 零士が半分まじめに昂亜の力を振り返った。
 コーマは苦笑しながら、手を振る。
「昂亜だけの力ではない。屋敷にいて思うのは、ツノの力が数倍強まってきている。私と綾香、それに明良の三人の神樹の力がツノに影響を与えているようだ。昂亜は生まれたときに、そんな状態のツノから力をもらった。今後の成長に従って今の力を維持するか無くすかは、綾香の育て方次第といったところだ」
「完全に子育てを綾香さんに委ねてないか? 今時そんな調子だと愛想を尽かされるぞ」
 零士がからかうようにコーマの発言をやじった。
 コーマも苦笑いしている。

「ところで正臣、ついに雅殿が鬼殿と結ばれたわけだが、お前はどうするんだ」
「えっ、何をだ?」
 零士の突然のフリに、正臣は慌てた。
「分かっているだろう、楠木の後継者はどうするのだと訊いているのだ?」
 正臣は黙って酒を飲んだ。
「黙るなよ。結婚しないと子供はできないぞ」
 二人のやり取りに全員の視線が集まる。特に正長などは期待に満ちた目で正臣を見ていた。
「俺はいいだろう。正長さえ良ければ、当主も正長に譲っていいと思っている。そうすれば正純という後継者もできる」
 それを言うといつもはすぐに否定する正長が、今日はなぜか反対しない。
 零士も何事か秘めたことがあるのか、ニヤニヤしながら正臣を見ている。
 正臣は怪しんで、救いを求めてコーマを見たが、コーマも又楽しそうに正臣を見ていた。
「お前たち、何か企んでいるのか?」
 正臣は気味が悪くなって、思わず問いただしたが、皆ニヤニヤと笑うだけでそれ以上何も言わなかった。

 気が付くと信の姿が見えないことに気づいた。
「信はどこに行った? 儀翔殿のところか?」
 零士がまじめな顔で答えた。
「顕恵を迎えに行った」
「顕恵を? 何で?」
「いや、せっかくだから大学時代の同級生四人が揃った方が楽しいと思ってな。顕恵に打診したら、着替えてくると言うので信に迎えに行ってもらった」
「そうか、顕恵も疲れてるのにご苦労なことだ」

 正臣は、零士が先ほどまでの薄ら笑いを消して、思いのほかまじめな顔で答えるので、特に疑うこともなく、その言葉を信じた。
 何にしても今日はめでたい夜だ。当主はみな無事に帰還できたし、何よりも素目羅義の呪いが解ける。これからの日本の若者が世界に雄飛する姿を思って、正臣は気持ち良く酔っていった。
 酔いも程よく回って来て、完全に警戒心が抜けた。元々気の置けない仲間通しである。零士の言葉ではないが、学生の頃の甘い記憶が蘇って来る。

「顕恵様がお着きです」
 信の声がした。
 ああ、顕恵も着いたのかと、ほろ酔い加減で正臣はふすまを見た。
 見ると同時にふすまが開いて、顕恵が現れた。
「お、おぅ」
 全員息を飲んだ。
 いつもパンツルックの顕恵が、フェミニンなワンピースに着替え、薄化粧が念入りなメークに変わっていた。何よりも違うのが、いつもの無造作に束ねたヘアが、髪を下ろし緩めのウェーブもかかっていた。
 そのあまりの美しさに、その場にいる全員が言葉を失ったのだ。

「変かしら」
 誰からも何も言われないので、顕恵は自信なさそうに問いかける。
「いや、いいよ。こんないい女だったんだとびっくりして、みんな声も出なくなったんだ」
 一番初めに気を取り直したのは零士だった。如才なく褒め上げて、顕恵を正臣の隣に誘導する。

 艶やかなゲストを迎えて酒宴が再開された。
 正臣は顕恵の着飾った姿に、思わず大学時代の二人で歌舞伎を観劇した日を、思い出した。正臣にとっては数少ない甘い思い出の一つだった。
 あれから十年の月日が過ぎた。顕恵はまだ結婚しない。北畠家の当主という重荷が、顕恵に恋をする余裕を与えないのだろう。

「……しないの」
 甘い思い出に浸って、顕恵の質問を聞きそびれてしまった。
「ごめん、もう一回言って?」
 正臣は思わず訊き返す?
「正臣は結婚しないの?」
 顕恵は正臣の顔を見ながら、もう一度尋ねた。
「ああ、いい相手もいないしな」
 正臣は、ふと顕恵はどうなんだろうと気に成った。
「顕恵こそ、結婚しないのか?」
 軽く流すと思ったのに、顕恵は存外にまじめな顔で、正臣を見つめる。

 少し息苦しくなって、正臣が自分で答えた。
「女性に訊くことではないな。九家の当主と成らば、結婚一つとってもなかなか難しいものだよな」
 頷いてくれると期待したが、顕恵の表情は変わらない。真っ直ぐに正臣を見つめる。
 気が付くと、周りの注目が自分たち二人に集中していた。
「正臣」
 顕恵が名を呼んだ。
 ただならぬ気配に、言葉が引っ掛かって出てこず、ただ頷くだけとなった。
「北畠の婿に成ってくだされ」
 ただでさえ色の白い顕恵の顔面は、血の気が引いて蒼白になっていた。
 答えられぬ正臣に零士が畳み掛ける。
「今日、儀翔に言ったよな。女がはっきり言った以上、ちゃんと返答しろと」
 確かに言った。そしてあの場面は顕恵も見ていた。

「我らは、大学時代に結ばれない恋と諦めたではないか」
 正臣はちゃんと答えていない。
「私は諦めてなどいない。正臣が勝手に諦めると言っただけだ」
「だが、俺は楠木の当主だ」
 そう言ってから、顕恵が来る前に楠の当主は正長が成ればいい、と言ったのを思い出した。ちらっと零士を見ると、悪魔のように笑っている。
 これは酒宴をする前から、自分を除く他の者全員で仕掛けた罠だと気づいた。
 正臣は観念した。
「訂正する。当主は正長に譲ろうと思っている」
「なら、何が問題なのだ? 私が嫌いになったのか?」
「問題はない。嫌いになど成れるはずがない」
「じゃあ、どうしてちゃんと返事をしてくれない」
 正臣は怯んだ。

「こいつらに聞かれるのは嫌だ」
 正臣は正直に答えた。
「分かった。では我々は耳を塞ごう。だがここで答えるんだ。他の場所に移ったり、ここで二人にしたら、お前は絶対に答えないからな」
 そう言って、零士は耳を指でふさいだ。
 なんと、コーマも、正長も、森親子もそれに倣う。それを見て正純迄耳を塞いだ。
 正臣は気持ち悪い汗を掻いた。
 状況的には儀介に追い詰められたときより苦しい。

 正臣は大きく深呼吸した。
 腹を括って、顕恵の目を見つめた。
「顕恵、俺を北畠の婿として迎えてくれ」
 顕恵の目に涙が浮かんだ。
「はい」

 それを見て、全員が口を揃えた。
「正臣、顕恵、おめでとう!」
「もういいから、耳から指を抜け」
 全員、耳を塞いだままだった。笑いながら指を抜く。

「いつだ、いつ思いついた」
 首謀者と思われる零士を問い詰めた。
「俺はコーマに頼まれただけだ」
「私もです」
 正長にもコーマが根回ししたらしい。
「コーマ、なんで――」
 あまりにも意外な人物が黒幕だと分かり、正臣は言葉が続かなかった。

「雅殿の結婚が決まった後で、綜馬殿に言われたのだ。顕恵殿まで結婚すると寂しいが、好きあった者が結ばれるのは良いことだと。私に知略を授けた上で二人を取り持てと、お命じになった」
「あのエロ(じじい)が」
 正臣は肩を落とした。
「正臣はやっぱり気が進まないの?」
 顕恵が悲しそうな顔で訊いてくる。
「いや、そんなことはない。嬉しいのだが、謀略の楠木がまんまと綜馬の策に嵌ったのが悔しいだけだ」
「年の功だな」
 コーマがそう言うと、幸せな笑い声が屋敷中に響いた。
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