第12話 逃亡者

文字数 4,173文字

 富ヶ谷ICから首都高に入る。
 明良はずっと窓から外を見ながら、自分の不甲斐なさを歯噛みしていた。コーマまで出てきたために、今屋敷には身重の綾香が一人になっている。
 きっとコーマはサキヨミによって、自分が出て行かないとこの男を助け出すことはできないと、判断したのだろう。
 事実コーマが来たおかげで、目の前の男に流し込まれた残留思念は、手遅れになる前に取り除かれ、武田の刺客たちも追い払うことができた。そのことについては感謝するばかりだ。

 男を助けることはできた。しかしそれは自分の力ではない。未だに思念干渉系の能力がまったく向上しない。今回も、男の脳内に入った残留思念の働きを、抑え込む程度が精一杯だ。サキヨミを使って相手の思念の空白時間をつく筋肉操作系の投げ技も、綜馬にはノーダメージだった。
 このままでは九家の強者を迎え撃つことは不可能だ。無力感が全身を駆けまわる。

 現状を打破するために、明良の思考は能力強化に向けて進んで行く。
 皇援九家の能力を大きく分けると、思念干渉と守護獣から与えられる特殊能力の二つと成る。
 思念干渉でできることも、大きく分けると三つになる。
 一つ目は、他人の思考を操ることで、好悪の感情や使命感の付与など、様々な影響を引き起こすことができる。素目羅義の行った残留思念による行動制御などもその応用である。
 二つ目は、脳から身体の各部に対し出される指令を制御することで、身体のバランスを崩して投げたり、心臓などの内臓の動きを狂わせることができる。これも残留思念とすることで、思念の毒のような応用技が可能だ。
 三つ目は、自分の筋肉に対して脳から出す指令を、意図的に操作することで、理想の運動能力を得ることができる。運動選手が理想のフォームを描いて、身体がその通りに動いたときに、高いパフォーマンスを上げるのと原理は同じだ。

 思念干渉は生まれ持った種子の違いによって、得意、不得意が分かれる。
 明良は、コーマに比べると遠く及ばないが、他と比べると二つ目を得意とする。逆に樹希は三つ目は得意だが、他の二つはまったく才能がない。

 守護獣から与えられる特殊能力は、種子があっても九家の血筋でないと発揮できない。北条で言えば八咫烏から与えられるサキヨミは、コーマと明良にしか使えない。
 サキヨミに関しては、明良はかなり使いこなしていて、北条家の事業展開に大きく貢献している。
 綜馬は武田の守護獣犀の力によって、物理攻撃に対する絶対防御を持っている。これに対するには、サキヨミを使って綜馬の思念が途切れた瞬間に、内臓系にダメージを与えれば、あるいは勝てるかもしれない。

「そろそろ話してもらってもいいでしょうか? あなたは誰で、なぜ追われているのかを」
 コーマは思念干渉を使わずに男に説明を求めている。
 思念干渉による服従は、精神に鎖をかけるに過ぎず、信頼の上に培った絆に比べると脆いと、コーマは思っている。
 特に相手が外国人だと思念干渉自体が効かないから、コーマの考え方は正しいと思うし、その考えを尊重したい。
 ただ外国人相手でも、人は思念を常に保てるわけではなく、数十秒に一度は思念の空白が生まれるから、その僅かなタイミングをつけば、思念干渉を使えないわけではない。
 北条一族が八咫烏より受け継いだサキヨミを使えば、その僅かなタイミングを予期できるので、理論上コーマの思念干渉はグローバルでも無敵のはずだ。
 素目羅義儀介はそこに目をつけ、外国人用の対抗手段としてコーマに協力を求めたが、日本人であろうが外国人であろうが、人として理解し合った先にある絆を求めるがゆえに、コーマはその申し出をきっぱりと断った。
 零士のように明らかな敵対行動に出ないまでも、コーマと素目羅義儀介もまた、分かり合えない関係であることは間違いない。

 コーマの信念は男にも通じたようで、閉ざされていた口が開き始めた。
「私の名前は橋本正明です。つい数週間前までグリーンスパークという会社で、新事業を担当する取締役をしていました」
 グリーンスパークと聞いて、明良の関心は一気に高まった。
 明良の率いる北条ファンドは、ニューヨーク、ロンドン、東京の三大証券取引所を主戦場とするグローバルファンドだが、東京において上げ潮に乗るかのように、株価を上昇させていたのがグリーンスパークだ。
 元々は出会い系SNSを起源とするIT企業だが、ここ数年M&Aと事業売却を繰り返すことによって、高収益を上げている。
 北条ファンドでも取引対象としていたが、明良のサキヨミがリスクを告げたので、取引対象から外したばかりである。その数日後に、証券取引法違反でグリーンスパークの社長が逮捕された。

「ご存じかも知れませんが、グリーンスパークは証券取引法違反で社長の堀川が逮捕され、私も取締役を解任されました。私は問題になった投資事業組合に関する金の流れを、全てコントロールしてましたから、解任は止むを得ないと思っています」
 橋本は淡々と話す中にも、どこか怯えを残していた。無理もない、思念の毒によって危うく死にかけた直後なのだ。
「まあ、罪状そのものは粉飾決算に過ぎません。一、二年の懲役刑といったところでしょうから、早く受刑して、もう一度企業人としてやり直そうと考えていました」
「他の方とずいぶん違いますね。堀川社長は徹底的に裁判で争うと言ってますが」
 明良は橋本のあまりにも潔い態度に、逆に不信を感じた。
「はい。実は私には今年四才に成る娘がいまして、この子が小学校に上がるころには、なんとか社会人としてちゃんとやり直したいと考えました」
 橋本が発する思念はまっすぐで澱みはなかった。嘘は言ってない。
「なるほど、それでどうして渋谷にいたんですか? あなたの話ではまだ拘置所にいて、裁判を待っているはずですが」
 橋本の顔が曇った。思念にも澱みが見られる。明らかに言っていいものか迷っているようだ。

 コーマが笑みを浮かべながら、優しい声音で話しかけた。
「橋本さん、不安な気持ちはよく分かります。危うく死にかけた直後で、突然現れた私たちを信用できない心中もお察しします。私は北条グループの北条昂麻、そして彼が北条ファンドの戸鞠明良、あなたも経済界の人間なら、我々の名前を一度は聞いたことがあるのではないですか」
 橋本の目は驚きが隠せなかった。
「あなたが、あの北条グループ総裁ですか。それから噂には聞いていましたが、北条ファンドのリーダーは本当に中学生なんですね」
 三十年かけてコツコツと築いた成果を、遥かに上回る実績を上げ続ける若い二人を見て、橋本は驚くだけではなく、抵抗する気持ちも消えたようだ。

「実は収監中に検察から司法取引を持ち掛けられたのです。このままだと実刑は確実ですが、取引に応じたら執行猶予を付けるというものでした。私は娘と暮らせることに心を奪われて応じてしまった」
「取引内容について教えてもらえますか?」
 橋本の目にはまだ迷いがあった。それはこの話の背景には、大きな危険が存在することを感じさせた。
「この話をすると、あなた達を私の問題に巻き込むことになる」
「構いません。私たちはあなたを襲った組織と、以前から敵対関係にある」
 橋本は考え込んでる間、ずっとコーマの顔を見ていた。
 コーマは思念干渉を一切使わないでも、橋本に誠意が伝わると信じている。
 明良は橋本の判断を待った。それはコーマの信念を世間に問う、最初の裁定として意味成すと思った。
「分かりました。全てお話しします」
――よし、やった!
 明良は気を引き締めた。九家が絡むほどの話の核心が、これから明かされる。

「私がコントロールしていた投資事業組合の投資者の中に、現内閣の錚々たる顔ぶれが関与しています。国土交通大臣、外務大臣、文部科学大臣などです。そしてこれらの取りまとめを佐川官房長官が行っています」
「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範に対する違反か」
 明良は呟いた後で、少し考えてから付け加えた。
「でもそれだけじゃあ、検察もわざわざ司法取引を持ち掛けないですよね」
「はい、実はこの投資には裏があって、不正献金の私物化が背景にあるようです。検察の要求は、これらの投資家の口座情報と入出金記録の提出です」
 明良はコーマと顔を見合わせた。
 これは下手すると内閣が倒れるぐらい大きな事件だ。
 しかも官房長官が絡むとなると、内閣が組織ぐるみで献金を私物化している可能性がある。

「橋本さん、この件について司法取引は私たちに一任していただけませんか? あなたの執行猶予については、北条家で腕利きの弁護士を付けさせていただきます。それから、あなたの家族についても、危険が差し迫っていると考えた方がいい。我々は今、私の屋敷に向かっていますが、あなたのご家族もすぐに保護させていただいてよろしいですか?」
 家族に危険が及ぶと聞いて、橋本の顔から血の気が引いた。
「私が変な色気を出したばかりに、家族にまで危険に晒させてしまうなんて……」
「橋本さん、事態は一刻を争います。酷な用ですが決断は早めにお願いします」
 コーマの顔は真剣だった。
「分かりました。全てをお任せします。私は実刑を受けてもいい。最悪でも家族だけは救ってください」

 コーマの誠実さがこの哀れな逃亡者に届いたと、明良は確信した。
 たとえ橋本を救えたとしても、コーマには何の得もない。
 だが、能力を使わずに信頼の絆を深める。この一点において自分たちは大きく前進した。
――後は信頼を果たすために、この家族を守り切るだけだ。
 それが叶えば、自分たちはこの先の希望という大きな代償を得ることができる。
 隣では樹希が自分に負けないくらい、目を輝かせてコーマを見つめていた。彼女が今の場面の重要性を理解している証拠だ。
 自分の力は武田綜馬には及ばなかったし、コーマの人格と比すればちっぽけな者だが、それでも樹希と二人なら戦える気がした。
 いつの間にか樹希の手を握っていた。どちらが手を伸ばしたのかは分からない。確実なことは、二人の握り合った手は共に熱くなっていて、それが力に変わることだ。
――次に綜馬と対したときはもっと戦える。
 強くなれる自信が、先ほどの敗戦の虚しさを綺麗に消し去ってくれた。
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