第68話 鬼の行方

文字数 3,149文字

 翌朝、雷は剱山と二人で新潟に向かった。長岡から新潟は距離にして六十キロ、新幹線ならニ三分で着く。
 早朝の長岡駅は、東京に向かうと思われるビジネスマンで溢れていた。
 新潟行きは逆方向なので、乗客はぐっと減る。
 『とき』に乗り込んでから、弥太郎がまとめてくれた情報を閲覧する。

 昨夜は凌牙のアパートには、誰も帰って来なかった。
 隣人の話では、凌牙の姿は見ない日が多いという。
 帰って来てもいつの間にかいなくなると言うことだった。

 大学の友人の話では、最近学内で凌牙を見かけることは少なかったらしい。
 たまに学校に来てもすぐに帰るので、話すことも少なく疎遠になっていたという。表情は明るく精神的に病んでる雰囲気はなく、むしろ毎日を楽しんでいる様子だったとも付け加えられていた。街中で水商売っぽい女性と二人で歩いていたという目撃情報もあった。

 バイト先のコンビニの店主の話では、凌牙は昨日から無断欠勤しているらしい。それまでは勤務態度もまじめで、遅刻や欠勤はなかったという。店主は病気で寝込んでいるのではと、心配して電話をかけても出ないということだった。
 凌牙と仲が良さそうだったバイト仲間に、伊藤という中年男がいて、その伊藤も昨日から欠勤しており、バイトが足りなくて困っていた。

 報告書を読み終わって、剱山は嘆息した。
 教師に成ると夢を持って都会に出た愛弟子が、都会の誘惑に負けて流されてしまう姿を思ったのだろう。
 雷も同じように感じていた。
 雷自身も独りで東京に出ていれば、凌牙のようにならなかったとは言えない。八雲がいて、北条屋敷の仲間たちと共に競うことで、今の自分があることは確かだ。

 新潟に着いた。
 ホームに降り立った剱山の顔は、厳しい当主の顔だった。

「まずはどこから調べましょうか?」
「調べる? どこに行っても門弟たちが調べたよりも、深い情報は得られまい」
「では、新潟の裏社会を探りますか?」
 雷は弥太郎からその筋のレクチャーは一通り受けている。

「うむ、今回の凌牙の件には、バックがある可能性が高いが、何よりも八雲の身が心配だ。八雲の思念が近くにあれば、わしは必ずそれを捉えることができる。少し市内を歩いてみぬか」
 九家の当主ならではの捜索方法だった。だがそれは剱山自身も大きな負担を負うことに成る。八十万人から成る新潟市民の思念が、次々に剱山に流れ込むのだ。良質の思念ばかりではない。人間の闇を映し出したような劣悪な思念も多い。
「剱山様がそれをされるのならば、私は黙って従うのみです」
 いざとなれば、命を懸けて凌牙と闘う覚悟を伴った言葉であった。
 剱山は満足そうに微笑んだ。
「では参るぞ」

 剱山と雷は、手始めに新潟で最も人の集まる中央区から捜索を始めた。
 恐ろしい数の思念が頭の中に飛び込んでいるはずなのに、剱山は苦痛に顔を歪めるわけでもなく、確かな足取りで前に進む。
 まずは、新潟駅周辺を徐々に輪を広げながら何周もする。信濃川に接したところで、萬代橋を通って新潟島に渡る。新潟島を隈なく歩き回ったところで午前中が終わった。

 喫茶店で休憩兼昼食を取りながら、剱山の疲労の具合を窺う。
 これだけの荒行をしているにも関わらず、剱山の表情には微塵の疲れも浮かんでいない。
 九家当主の驚くべき精神力の強さを再認識すると共に、剱山の八雲に対する思いの深さを感じて、雷は頭が下がる思いになった。

「この辺りではなさそうですね」
「八雲の思念は感じなかったが、別の収穫はあったぞ」
「別の収穫とは?」
「この辺りの裏社会の人間の思念から、北のスパイと計画という言葉がひっきりなしに出ていた。どうも北の国のスパイの活動が、裏社会の人間が脅威に感じるぐらい活発化しているようだ」
「北ですか」
 新潟は北の国から被害が多い土地だ。密輸だけでなく、拉致被害なども多い。一時期は新潟の海岸線を一人で歩くと、潜水艦から人が出てきて攫われるなどの噂があったほどだ。

「他にも興味深いワードが出てきた。鬼だ」
「鬼?」
 新潟は御伽草子の中で酒呑童子の出生国と記されている。お隣の燕市には酒呑童子を祭った神社もあり、縁結びなどのご利益があるという。
「もしかして、凌牙の力が急激に上がったのは、」
「鬼の力かもしれんな」
 そのときの剱山の表情には、生死がかかる戦いに臨むときと同様の厳しさが表れていた。


 中央区は回ったので、次は江南区を回ることにした。江南区を選んだのは中央区を回ったときに、鬼という思念に紛れて両川の祈祷師、鬼の声を聞く祈祷師という思念が伝わって来たからだ。
 中央区の喧騒に比べると港南区は人も少なく落ち着いた雰囲気だった。古い建物も多く人が利用していないことが、明らかに見て取れるものもあった。

 港南区役所から十五分ばかり歩いたところで、剱山は突然立ち止まった。
「雷、その家から何か特殊な思念を感じる。まるで(かんぬき)で思念があふれ出るのを止めてるような感じだ」
 剱山が指し示したのは、もう築五十年は過ぎていそうな古い建物だった。
 メンテナンスもしてないらしく、表の壁はすすけた感じで、崩れ落ちそうな感じもしないではない。

 雷は玄関の引き戸をたたき、家人に向かって声をかけた。
「ごめんください」
 中から反応はなかった。
 もう一度声をかけるが、やはり何の応えも返って来ない。
「開けてみよ」
 剱山の命に従って引き戸を引くと鍵はかかってなかった。
 玄関口でもう一度声をかける。
「ごめん下さい」
 相変わらず、返事はない。
「上がりこむぞ」
 剱山は戸口で靴を脱ぎ、そのまま手に持って屋敷の中に入った。
 雷も剱山を真似て後に続く。

 家の中はじめじめして、すえたような臭気が漂い、柱は黒く汚れていた。
 廊下を進むと各部屋は襖が開け放されていて、奥の一室に一人の老婆が横たわっていた。
「なんじゃお主ら、勝手に上がり込みおって」
 老婆は非難するわけでもなく、どうでもいいような口調で勝手な侵入を咎めた。
「申し訳ない。声をかけたが、返事がないのでな」
「わしはお主たちに用はない」
 老婆はそっぽを向いた。

「おまえは祈祷師だな」
「だったらどうした」
「鬼の声を聞くのか」
 初めて老婆の顔つきが変わって、こちらを向いた。
「上杉の者か?」
「そうだと言ったら」
「わしに何のようだ」
 上杉の者と聞いて、老婆は少し興味を示した。
「わしは現上杉家当主剱山じゃ。おまえに聞きたいことがある。桧垣凌牙という若者を知っておるか?」
 剱山は凌牙の名前を出して、老婆の思念を探っている。
「知ってるとも」
「鬼の声を聞かせたのか」
「聞かせた」
「そうか、凌牙は一人でここに現れたのか?」
「伊藤いやイ・スホという北の国から来た男、それから若い女も一緒にいた」
「女の名前は分かるか?」
「メイと呼ばれていた」
 老婆は剱山が思念を読むことを知っているのか、ずっと正直に答えている。

「いま、その者たちはどこにいるか知っているか?」
「知らぬが、その凌牙という男、鬼の声を聞いても生きておった。もう今頃は鬼と一体化しておるはずじゃ。とすれば蓬平かのう」
「なぜ、蓬平などにいる」
 蓬平は長岡市の一部で、市街から南方となる山間部にある温泉街だ。街には商売繁盛の神様で名高い龍を祭った『高龍神社』がある。
「蓬平には異界の生物の力を活性化させる場所だ。そこでは、鬼の力も数十倍に増幅される。あの男はそこに鬼の仲間を集めた。行けば間違いなく死ぬぞ」
 康子は下卑た笑いを浮かべて、剱山をみた。
 剱山は康子を無視して雷に言った。

「行くぞ」
 雷と共に出て行く剱山の背に、康子は嘲るような笑いを浴びせた。
「本当に恐ろしいのは凌牙ではないと思え」
 再び康子は笑い始めた。
 笑いながら血を吐いて畳の上にうつ伏せに倒れた。
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