第69話 北の思惑

文字数 2,993文字

「いったん屋敷に戻るぞ」
 剱山は厳しい顔で雷に告げて、すたすた前を歩き出した。
 凌牙は恐ろしい男に変貌していた。自身は鬼の意識と同調し、バックには北の国の諜報機関を味方に持つ。強大な力に組織力を兼ね備え、侮れない敵に変貌していた。
 敵が自身の力を最大限に発揮できる場所にいる以上、こちらも体制を整えて臨む必要がある。

 上杉屋敷に戻ると、既に弥太郎が手配を終えていた。蓬平までの足としてランドクルーザーを調達し、応援を二人用意していた。
 応援として待機していた二人の内、一人の名は大門京士(だいもんけいし)三四才、上杉流柔術の高弟であり、新潟県警警備部外事課に所属する公安警察官だ。
 もう一人の名は仲條多恵(ちゅうじょうたえ)二八才、やはり上杉流柔術の高弟であり、新潟県警組織犯罪対策第一課に所属する裏組織に対するエキスパートだ。
 北の国が絡んでいるとはいえ、二人の派遣は新潟警察に対して、上杉家の影響力の強さを物語っていた。

「やはり、私が同行するのはダメでしょうか?」
 弥太郎が不安を隠しきれないという顔で、剱山に同行を打診する。
「いや、弥太郎はここを守ってくれ。敵のバックに北の組織がついていると分かった以上、個々がいつ襲撃されるか分からない。ここを守る人間が必要だ」
「それならば、剱山様に代わって、私に行かせてください。雷と共に必ず八雲様を救い出します」
 弥太郎は執拗であった。
 必死の面持ちで迫る弥太郎に、剱山は静かに首を振る。
「弥太郎、今回ばかりはわしの我儘を聞いて欲しい。わしは上杉家当主として八雲にはずいぶん厳しく接していた。母親のいないあの子にとって、それは慰めのない毎日だったと思う。だから、この救出はわしの命に代えても自分の手で成し遂げたい」

 剱山と弥太郎はしばらく見つめ合った。
「分かりました。ご当主様の意のままに」
 弥太郎が下を向いてポツリと承諾の言葉を漏らした。
「父上、剱山様と八雲様は、私が我が命をかけてお守りいたします」
 弥太郎は無言で頷いた。
 いくら家を守るためとは言え、我が子を死地に送り出すことは、弥太郎にとってこれもまた辛い選択であった。
 だが、雷を止めることはできない。雷は明らかに八雲を愛しており、八雲もまたそれに応えている。ここで雷が引いてしまっては、二度と八雲の前に立てなくなる。

「では参りましょう」
 多恵が二人を促した。八雲が攫われて、既に二一時間が経過している。抵抗を奪うのに薬物の使用が考えられる中、一刻も早い行動が必要であった。それに八雲が女性であることも、同性として多恵の気持ちを急がせた。

 四人はランドクルーザーに乗り込み、上杉屋敷を出発した。運転は京士が行い、多恵は助手席で四方に気を配った。
「北の国の狙いが何なのか分かりますか?」
 雷は対スパイのエキスパートである二人に、新潟からの帰りにずっと気にかかっていた疑問をぶつけた。

 京士が運転しながら、雷の質問に答え始めた。
「今、北の国は経済が壊滅寸前の状態にあります。核兵器保有に対する国連決議により、経済制裁が行われているからです。特に兵器開発に必要な資源は、ほぼ入手の目処が立っていない。そこで新潟が目をつけられたわけだ。大量の物資を輸送するなら、やはり船が一番だ。しかも航路は短ければ短いほどいい」
「それと今回の拉致はどういう関係が?」
「新潟を裏から制圧する上で、最も障害に成るのが上杉家というわけだ。だから剱山様を筆頭に上杉家の関係者を根絶やしにして、自分たちが活動しやすい状況を作ろうとした」
「では凌牙はそれに利用されたのですか?」
「おそらくな。そして、計画は順調に進んでいる。凌牙の八雲様に対する想いを利用して、まんまと誘拐に成功し、こうして剱山様もおびき出すことに成功した」
「その計画は、力で打ち砕きます」
「まあな、そうでないと困る。最早、上杉家個人の問題ではなく、国家的な問題になっている」

 隣で瞑想していた剱山が口を開いた。
「雷、お主は少し思念が揺れすぎる。怒りが生まれるのは人である以上、仕方ない。だが怒りで思念を揺らしてしまっては、戦いで相手を見失ってしまうぞ」
「気を付けます」
 確かに隣で頼以上に怒りが生まれているはずの剱山は、静かに瞑想しているが、あるいは今の言葉は己に言い聞かせる言葉で、瞑想はその実践であるのかもしれない。
「もうすぐ蓬平です。くれぐれも油断されぬように」
 多恵が敵地での注意を喚起した。

 京士は、長岡警察の蓬平駐在所に車を停めた。駐在所には若い警官が一人で詰めていた。
 多恵が身分を明かし、最近の真智の様子を確認したが、特に変化はないとのことだった。
 念のため剱山がこの警官の思念を読んだが、特に嘘を言ってる形跡はなかった。

「どうしますか、少し車で回りますか? それとも歩きますか?」
 京士が剱山の意向を確認する。
「歩いてみよう。向こうの方がこちらに用があるはずだ。この辺をうろうろすれば、向こうから挨拶してくるだろう」
 そう言いながら、もう剱山は先を進んでいる。八雲のことが心配で、気が急いているのは間違いない。

 およそ百メートルも歩いたろうか。山に続く小道から誘うような声が聞こえた。
「お前たちが捜している女はこちらじゃ」
 その声は虫の羽音のように微かだったが、繰り返し聞こえて来た。
 四人は顔を見合わせて頷いた。
 もしものときの連絡係として、多恵はその場に残った。日が暮れても皆が戻らぬときは、弥太郎に連絡する手はずだ。

 小道は木々によって影を作り、昼間と言うのに薄暗かった。ほとんど人によって踏み固められてなく、足場は悪かった。
 三百メートルも歩いたところで、先頭を行く雷の足が止まった。
「剱山様」
「うむ、ここから鬼の結界が張られている」
「どうなさいますか?」
「もちろん進むのみじゃ」
「かしこまりました」
 雷は思惑通りの剱山の言葉に嬉しそうな表情を見せた。

 結界の中に足を踏み入れると、前方に祠が見えた。祠の脇にはお堂があった。
 そのまま進んで、お堂の扉を開くと中は存外に広かった。さらにその奥には凌牙に加えて見知らぬ男が二人、そして若い女と少年がいた。

「凌牙、八雲様はどこだ?」
「雷、教えてやろう」
 凌牙は隣の大きな塊を覆う黒い布に手をかけた。布を取り払うと、そこには、全裸で椅子に括りつけられた八雲がいた。
 八雲は気を失っているようで、目は閉じられたままだった。

「何とむごいことを」
 剱山は苦し気に顔をしかめた。必死で怒りを抑えているのが伝わって来る。
 京士は無表情で相手の戦力を分析していた。
 雷は、怒りを抑えることができず、拳を振るわせて凌牙を睨みつけた。
「凌牙、お前は絶対に許さない」
「何を許さぬ。おれはこれほど美しい女を見たことがない。そして肌もこのように滑らかだ」
 凌牙は八雲の胸の周りを触る。
「触れるな―」
 雷の怒りがとうとう爆発した。
「まて、雷、暴発は相手の思うつぼだ」
 剱山が懸命に宥める。

「凌牙、上杉に対してここまでのことをした以上、覚悟はできておろうな」
「何を今更、問答無用で来い」
 雷が凌牙に向かって走り出したとき、結界が三分割した。
 凌牙と八雲と見知らぬ男女、雷、そして剱山と京士とこれも見知らぬ男と少年が三つの結界のそれぞれに分かれた。

「雷、まずはお前の敬愛する師が、そこで死ぬところを見るがよい」
 凌牙の声が妖しく雷の耳に響いた。
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