第71話 鬼の資格

文字数 3,195文字

 血を吐いて絶命していた康子が、突如起き上がった。
 なぜ自分が生き返ったか、思考の定まらない康子を見ながら、葛西龍児はイ・スホに厳しい顔を向けた。
「鬼が戻って来たと言うことは、やはり凌牙では直江雷は倒せなかったか」
「暁斗が剱山に敗れた時点で、凌牙の敗北は分かっていた。特に気にすることはあるまい」
 イ・スホは凌牙の敗北に特に動揺を見せなかった。
「やはり、凌牙には鬼となる資格が不足していたのか」
「奴が心の中に持っていたのは、妬みと不満だけだ。真の恨みを持った者でないと鬼の力を活かしきれん。フフ、案ずるな。この康子がその分やってくれる」

 康子はやっと現在の状況を把握したようで、イ・スホを睨んだ。
「私に鬼の意識を移したのか?」
「そのおかげで生き返ったのだ。問題なかろう」
「人でなくなるぐらいなら、そのまま死んでも良かったものを」
「この幸せボケした国の民を地獄に突き落とすのだ。気持ちは高まるだろう」
 イ・スホの笑い顔は、まるで地獄の鬼のような邪悪さに満ちていた。
「復讐心など、疾うに消えたと思っておったがのう。昔の思いがどんどん増して来おったわ」
 不思議なことに康子の容姿がどんどん若返っていく。まるで恋する頃の二十代にもどったかのようだった。

「康子、暁斗の怪我を治してもらえないか」
 暁斗は龍児に運ばれてここまで来たが、剱山によって斬られた腹の傷が腐り始め、もう息も絶え絶えになっていた。
 康子は暁斗の腹に手を入れ、斬られた内臓を直接手当し始めた。
 時間が経つにつれ、暁斗の顔色がだんだんと良く成ってくる。
 最後に康子は腹から手を引き抜き、傷口をなぞると傷跡は残ったが、皮膚は接合された。
「おおっ」
 龍児は嬉しそうに暁斗の頭を撫でる。

「では第二ミッションを始めよう」
 イ・スホは満足そうな顔で四人の顔を見まわす。
「剱山は公安の男を連れて、病院に向かった。当分は元の力は戻らぬはずだ。雷は八雲と共にまだ眠っている。となれば、上杉の屋敷に残っているのは執事の直江弥太郎のみ。我ら五人で襲撃して、上杉の本拠地を破壊するのだ」
「五人?」
 龍児がイ・スホの言葉に疑念を感じたようだ。
「五人だ」
「あんたはともかく、その女は我らと同じ力を持っているのか」
 龍児が指さしたのは、凌牙をハニートラップにかけた佐藤芽衣だった。
「心配するな。この女は俺と同じ闇の力を持っている。そうだな、キム・ジウ」
 芽衣ことキム・ジムは無表情で頷いた。
 なおも疑いの目を向ける龍児を制してイ・スホは言った。
「ではいいな、破壊の旅に出るぞ」


 弥太郎は眠らない夜を過ごした。剱山たちが八雲の救出に向かって、既に十三時間が経過している。既に屋敷の窓からは朝日が差し込み、新たな一日の活動が開始されようとしていた。
 剱山と別個に行動することはこれまでもあった。九家会議のときも同行を主張したが、家を守れと命じられた。いつも剱山は無事に帰って来るが、定時連絡は欠かさずしてくる。今回のように何の音沙汰もないことは珍しかった。

 安心できるのは鵺が啼かないことだ。剱山が真の危機に直面したとき、鵺はどこからともなく現れて、激しく不気味な啼き声を聞かせる。あの九家会議のときもそうだった。
 今回はまだ一啼きもしてない。つまり剱山は命を失うほどの危機には面してないということだ。
 同行した雷の安否を思った。
 まだ高校生だというのに、生真面目すぎる息子だった。
 母がいないこともあって、弥太郎自ら箸の持ち方から指導して来た。門弟の一人と成ってからは、私生活においても師範代としての顔を保ち続けた。

 八雲を守るために強さのみを追求し、武の道を走り続けた結果、少弐の後継ぎに敗れた。それも本人ではなく、そのパートナーに完膚なきまでに叩きのめされたという。さすがは個人戦闘においては、当代最強と噂される少弐の息子だけあった。そのパートナーも半端ではない。
 上杉家は武の家だ。剱山の強さに惹かれ、上杉流柔術の門を潜る者は後を絶たない。上杉家は他の九家に比べ、財閥の体をなさず古流の家として大きな人脈を築き、それを家の力としていた。
 それ故に北条屋敷での敗戦が、八雲と雷に与えた衝撃は大きかった。だが、弥太郎は二人にとって大きな経験だったと考える。剱山の意志により、東京に移り住んだ二人の成長は目を見張るものがある。力だけでなく心も大きく成長した。
 零士がよく言う九家の次世代、この言葉が示す可能性を強く感じる。


 異変を感じた。
 敵意を持った大きな力が近づいていることを、鵺が知らせて来た。
 弥太郎は屋敷の警護兼施設の総合管理を行っている、四勿(しない)を呼び寄せた。
「今、敷地内施設の利用状況はどうなってる?」
「プール、図書館、スケートリンクはまだオープン時間前なので、誰も来ていません。武道場には少年部の朝稽古で十七名、一般の練習生八名が来ております」
「すぐに本日の全ての施設の営業は中止するよう連絡し、道場の練習生はすぐに帰らせろ。それから四天王に連絡し、可能な者には応援を頼め。敵襲だ」
「かしこまりました」
 四勿はすぐに指示に従い行動を開始した。

「剱山様の心配は的中したか」
 弥太郎はぼそりと呟いた。
 自分一人しかいない屋敷の襲撃の狙いは一つ、守護獣である(ぬえ)の抹殺だ。
 屋敷内にある鵺の(ほこら)を破壊すれば、鵺の魂は上杉家を離れ異界に戻る。そうなれば上杉は力の源を失い、九家たる資格を失う。
――死なねばなるまい。
 弥太郎の胸に浮かんだのは命を捨てる覚悟だった。

「来たか」
 襲撃者たちが敷地内に入った。
 警備員には警備BOXに入って絶対に出て来ないように連絡済みだ。
 屋敷の使用人は全て四勿と共に武道場に送った。彼らには絶対に武道場から外に出るなと言ってある。

「では参ろう」
 弥太郎は一人で屋敷の外に出た。
 五分もしないうちに襲撃者五名が現れた。
「凌牙の姿が見えぬが」
「凌牙は雷によって討たれた」
「ほう、雷が仕留めたか。それでお前は北の国の者か?」
「これは、これから殺し合いをするというのに、ご挨拶が遅れました。私はイ・スホ、隣にいるのがキム・ジウ、われら二名が北からやって来ました。他三名は日本人で、左から余康子、葛西龍児、葛西暁斗です」
 葛西暁斗はまだ、十才になっているかどうかという年端の子供だった。

「そんな子供まで殺し合いをするのか?」
「心配ご無用。子供でも人を憎む気持ちは大人以上ですから」
「むごい話だ」
「ではご挨拶はこのぐらいにして、早速殺し合いと参りましょう。申し訳ないが武術の試合ではないので、五対一でやらせてもらう」

「どこを見て五対一と言う」
 襲撃者の背後から三人の男と一人の女が現れた。
「おお、四天王が揃ったか」
 弥太郎の顔がやや明るくなった。
 上杉の武を象徴する存在である四天王が戦いに間に合った。門弟の内で唯一、天分の才によって、思念による肉体強化を会得した者たちだ。もちろん九家と同じく脳内に『種子(たね)』を持つ。
「お前たちに倣って、我らも自己紹介しよう。私が上杉四天王の一人、円城亜久良(えんじょうあくら)だ」
 亜久良は普段は消防士として働いている。今年三四才になったばかりで、力技を得意とする。
「同じく四天王の大嶽草次郎(おおたけそうじろう)だ」
 草次郎は三七才と四天王では一番の年長だが、円熟した技の切れを見せる。フレンチのシェフで、長岡に自分の店を持っている。
「同じく四天王の安仁屋晋平(あにやしんぺい)
 四天王最年少二八才の晋平は、中学校で美術を教えている。凌牙が学校の先生を目指したのも晋平の影響だ。
「四天王最後の一人は、真杉令子(ますぎれいこ)、上杉家は私が守る」
 四天王紅一点の令子は三二才、門弟の一人と結婚し、既に二児の母である。

「これで数の優位はお前たちにはない。当主様の不在を狙ってのことと思うが、今退くならば見逃してやる」
 亜久良の強気の言葉に、イ・スホは薄ら笑いを浮かべた。
「では、始めるか」

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