第75話 春日山祭

文字数 3,434文字


 新潟県上越市は上杉謙信の居城春日山城の城下町として栄えた街だ。現在も新潟県第三の都市として、二十万人近い人口を要している。春には高田城址公園の桜が、東京上野公園、青森弘前公園と並ぶ日本三大夜桜として咲き誇る。
 上杉家にとっても、祖先と縁の深い地であるため、毎年祖先の霊が戻るこの時期に、史跡広場で一年間の武を精進した結果を披露するイベントを催す。上杉家によるプライベートな開催ではあるが、出店も立ち並び五万人が訪れる盛況なイベントであった。
 ここ数年は八雲と雷がメインステージで演武を披露し、その気高い美しさは市民の人気プログラムとなっている。
 上杉家は他の九家のような秘密めいたところが少ない家で、戦国の英雄上杉謙信を愛す新潟の人々と積極的に関りを持つ。同じ戦国の雄の家柄ながら、市民と関りを持たない武田家とは対照的な家風である。

 智成と礼美がこの地を訪れたのも、八雲と雷の演武を鑑賞するためだった。しかし、北の国の攻撃により、今上杉家は混乱している。イ・スホとキム・ジウが見つからない状況では、予定通りイベントを行うのは危ぶまれることは確かだ。
 ここで剱山の大英断がなされた。イベントは予定通り行うと。
 武人たる者、いついかなるときも敵に対して備えるもの。北の国の脅威はあるとしても、それで恒例のイベントをやめるようでは、結局日常も守り切れないと吐露しているようなものだと。

 弥太郎は剱山の気概の強さを危惧していた。イベントにはたくさんの一般客が押し寄せる。それを人質に取られれば、行動に制限がかかる。この中で結界を張れるのは六人のみ。どうしても警備に穴が空いてしまうことは否めなかった。
 それにも増して心配なのは、剱山の感情制御だった。
 令子のの家族が惨殺された。優しい夫と二人の可愛い子供が惨い死に方をした。令子は行方不明になっている。智成は、これは大陸の鬼の仲間の増やし方だと言った。恨みや憎しみが強いほど、強い鬼が生まれる。
 仲間を四人失ったスホが、新たな仲間の補充として、令子に狙いを定めたのだというのが、智成の見解だった。
 同じように亜久良も病院から消息を絶っている。これも同様だと智成は言った。亜久良は鬼の技で既に精神が壊されていたから、仲間に引き込むことは容易だと言うことだった。

 これを聞いたときの剱山の怒りは尋常ではなかった。剱山は元々身内には情の熱い男だ。それ故に上杉門下の結束は固く、四天王のように命をかけてくれる者も少なくない。
 だが智成は、大陸の鬼に有効なのは無心の拳だと言った。そうなると剱山の怒りは戦いにおいて不利になる可能性が高い。イベントを例年通り開催する時点で、敵の術中にはまっている可能性がある。

 弥太郎は心配のあまり、智成に相談した。ところが智成は弥太郎程危惧していなかった。
「これは上杉家執事の直江殿とは思えぬほど、弱気な意見ではありませんか」
 弥太郎の心配を聞いた智成の第一声だった。
「しかし、智成殿は無心の拳のみ大陸の鬼に勝る技だとおっしゃったではないか」
「その通りです。しかし、剱山殿は戦いにおいて、そこが制御できない方とは思えないが」
「あっ」
 弥太郎は恥ずかしくなった。智成の言う通り、拳聖と謳われた剱山に限って、戦いの場において心を制御できないなどと心配するのは、執事として不遜であった。
「智成殿の言う通りです。執事の分際で出過ぎました」
「いや、お気持ちはよく分かります。私自身あんな幼い子を殺すなど、あまりに非道な振る舞いは絶対に許さないと思ってしまいました。身内である弥太郎殿が剱山殿の心理を心配されるのは致し方ないと思います」
 弥太郎は改めて、少弐智成を見直した。一見凡庸な風を装っているが、周りをよく見て熱い気持ちを胸に秘めている。雷はいい知己を得たと安心した。これに北条の明良などが加わるわけだ。里見の当主が次世代に期待をかける気持ちがよく理解できた。


 イベント当日の日、会場内には多数の公安刑事が配置された。弥太郎は剱山たっての頼みで、鵺の祠を守るために屋敷に残った。
 イベントは予定通り進み、八雲と雷の演武が始まった。
 演武は和太鼓のドラマティックなリズムに乗って、リズミカルでかつ華麗に行われた。一つ一つの動きにしっかり上杉流柔術の技が組み込まれ、これなら雷が一度見に来た方がいいと智成を誘ったことにも納得できた。
 演武が終わりに近づいた頃、智成は鬼たちの気配を察知した。
 剱山と礼美に目で合図して、鬼たちの気配のする方に全速力で向かった。

 会場の入り口付近で智成たちは、三人の鬼と対峙した。
 剱山がすばやく結界を引いて、鬼たちを閉じ込めた。
 三人の中にはスホの姿はなかった。
「亜久良、令子」
 智成の予想通り、二人は鬼の仲間と成っていた。
「小結界を」
 智成の要請で、剱山は更に三つのバトル用結界を自身の結界内に敷く。
 お互いの位置取りから、剱山と亜久良、智成と令子、礼美とジウの組み合わせになった。

「亜久良、お前をここまで追い込んでしまって申し訳ないと思う」
 剱山が戦う前に亜久良に頭を下げた。
「死んでくだされば、それでいい」
 亜久良は一切の感情を見せることなく、非情の前蹴りを剱山に放った。
 剱山はその蹴りを十字受けで防ぐ。
「優しすぎることが、柔術家としてのお主の欠点だったが、こんな形で克服されるとは皮肉なものだ。いい蹴りだ」
 剱山の表情に憂いが浮かぶ。

「イカヅチ」
 青白い稲妻が亜久良を貫く。
「効かないなぁ。世に恐れられたイカヅチも大陸の鬼の力の前では、この程度ですか」
 亜久良が踏み込み、およそ人間とは思えぬ速度で次々に繰り出される正拳を、剱山はこちらもまた人間離れした反射神経でかわし続ける。
 空気が拳との摩擦熱で焦げた匂いを発する。
 死角から放たれた亜久良のハイキックも、剱山は後頭部に目があるかのようにかわす。剱山の髪の毛が蹴り足に触れ、何本かパラパラと地面に落ちる。まさに首を削ぎ落す鋭い刃と化していた。

 しばらく、亜久良の一方的な攻撃が続く。剱山は亜久良のスピードを測っていた。智成の話では、大陸の鬼に通じるのは無心の一撃のみ。それを繰り出すためのタイミングを測っているのだ。

 亜久良はいささかの疲れも見せず、同じスピードを保ちながら、時折死角から蹴り、頭突き、肘打ちを織り交ぜる。剱山はその全ての間合いを見切っていた。
 惜しいと剱山は思った。大陸の鬼の力によってスピードと持久力は倍増しているとしても、その技はまさしく上杉流柔術のものだった。ここまで当身技を極めるのは、並大抵の努力では語れない。
 だが、鬼の呪縛から亜久良を開放するためには、その命を奪うしかない。
 剱山の表情から憂いが消え、目には非情の色が浮かんだ。

 亜久良が地面に崩れ落ちる。
 上杉流最終奥儀龍打掌、亜久良の胸を突いた肘を支点に、裏拳が猛スピードで亜久良の顔面を叩き、頸椎を完全に破壊した。亜久良は即死した。
 剱山は亜久良の遺体に両手を合わせる。

――剱山様
 亜久良の死の瞬間の残留思念が剱山に呼びかける。
――人に戻していただいて、ありがとうございました。
 亜久良は死の瞬間に人に戻って、死んで逝けたのだ。
 若き才能を惜しみ、剱山の頬を一筋の涙が零れた。


 令子に憑りついた鬼は、毒の気流を放出する鬼だった。亜久良に憑りついた鬼程のスピードはないが、全身を毒の気流で覆い、結界内に侵入してしまった虫や鳥がその気流に触れ、次々に命を絶たれた。
 令子と結界内で対峙する智成は、雷の毒思念に似ていると思った。
 気流を避けながら、智成は己の心を無心と化すプロセスを踏んでいた。相手の命をも奪うそのプロセスは、常に智成の心に大きな痛みを加える。
 令子の心の痛みが智成の心に流れ込んで来る。夫と我が子を無情な暴力で奪われ、責任を放棄したと責められ、二重三重に心を痛みつけられた悲しみが、智成の心を刺す。
 智成は令子の痛みに涙を流しながらも、やがて涙が枯れ、非情さが心を覆い始める。そして心の中が空っぽに成り、無心へのプロセスが完成した。

 智成の身体を風の鎧が纏い、令子の気流を跳ね返す。
 右正拳が令子の心臓を貫いた。
 崩れ落ちる令子の身体を、智成がヒシッと抱き留め、既に意識が失われた頭を己が胸に抱き寄せる。
 無心の心に再び悲しみが戻って来る。
 今度は智成は涙を流さず、悲しみを堪えて令子の遺体を静かに地面に横たえた。
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