第62話 憂悶とする天才

文字数 3,311文字

 新潟県第二の都市長岡は、市証に不死鳥を描いた復活を掲げた街だ。
 幕末の戊辰戦争の戦火で、長岡は街一面が焼け野原と化した。
 それから百年もしないうちに、太平洋戦争末期の空襲によって、長岡はまたもや一面焼け野原と化した。
 この二度の壊滅から蘇った原動力は、米百俵の精神で名高い小林寅三郎や、三島宗右衛門、森源三、その師であった河合継之助らに代表される不屈の精神であった。

 北陸を本拠とする上杉家の屋敷は、復興と歩調を合わせるように、戦後上越市から長岡市に場所を移して建築された。
 東京ドームに相当する一万四千坪の敷地は、皇援九家の中でも最大の広さを有し、その中には剣道、柔道、空手などの武道場や、百万冊の蔵書数を誇る図書館、スケートリンク、温水プールなど、一般市民も立ち入り利用できる公共施設が建ち並んでいた。

 上杉家自体、上杉流柔術の宗家であり、門弟三千人が自由に出入りする開かれた家であり、当主剱山のみならず八雲もまた、上杉家の強くて美しいプリンセスとして慕われていた。

 上杉流柔術には、二人の天才が存在する。一人は上杉家執事兼師範代の直江弥太郎(やたろう)の一子(らい)で、その人間離れしたスピードで当身を得意とした。
 もう一人の天才は、締め技と関節技を得意とする雷の四才上の青年で、名は桧垣凌牙(ひがきりょうが)、門弟からは上杉の闘鬼と呼ばれていた。
 凌牙の関節技は凄まじく、喧嘩自慢のチンピラ六人が女性をレイプしようとした現場で、すれ違いざまに次々に肩の関節を外し、一瞬にして六人を戦闘不能にした逸話がある。

 昨年の春から、凌牙は新潟市内の大学に入学し、長岡の実家を離れ一人暮らしを始めた。
 師である弥太郎の監視下から解放された生活は、凌牙にとって初めての自由であり、抑圧されてきた欲望が一気に解き放たれたが、柔術の才能以外は遊び慣れない普通の大学生であるため、せいぜい友達と一緒に酒を飲む程度が関の山であった。

 そんな凌牙がアルバイト先のコンビニで、伊藤(しげる)という名の四十代のフリーターと知り合った。
 伊藤は凌牙が知らなかった遊びの世界を知っていた。遊び友達も多く、その中には女もいた。凌牙はその中の一人、キャバ嬢の佐藤芽衣(めい)と知り合い、生まれて初めて女を知った。
 今日もバイトの帰りに伊藤に誘われ、芽衣の働くキャバクラに来た。

「何かいつもすいません。ここで飲んだら何万円もするんでしょう。それをいつも奢ってもらって」
「いいよ、気にしないでよ。ここは、俺のおじさんが経営してて、すげえ安く飲ませてくれるんだ。凌ちゃんには変な奴に絡まれたときに、助けてもらった恩があるしな」
 伊藤の言ってる恩というのは、凌牙が伊藤に誘われて初めて一緒に飲んだ居酒屋で、ガラの悪い男に伊藤が絡まれのを凌牙が撃退したときの話だ。
 凌牙にとっては造作もない話だったが、伊藤は本当にびっくりして、以来何かと凌牙によくしてくれる。伊藤の話では、あのガラの悪い男たちの仲間の女に手を出してしまい、それからずっと付きまとわれているということだった。だから凌牙は伊藤にとって体のいい用心棒代わりだった。

「またあいつらと揉めたら、いつでも連絡してください。非常の際は、ワンコールで向かいますから。それとも、一度あいつらがいるところにこちらから出向いて、二度とちょっかいかけないようにお灸を据えましょうか?」
「やめてよ。あいつらはこの辺でも質が悪いと評判の連中よ。人殺しだって平気だという噂だよ」
 凌牙は伊藤に気に入られようと、自分の強さを強調する。隣で接客している芽衣が心配そうな顔で凌牙の蛮勇を注意した。

「平気だよ。普通の人間が何人向かって来ても、俺の敵じゃない」
「凌牙がいくら強くても、相手が刃物とか持ってたらどうするの?」
 自分のことを大事に思って心配する芽衣に、凌牙は自分の強さを誇示したい、強い欲望に襲われた。
「刃物なんて問題じゃない。例え拳銃を持っていたとしても、俺にかすり傷一つ負わせることはできないよ」
 凌牙の自信には根拠があった。上杉流柔術の秘伝として遠当てという技がある。気を発して距離のある相手を威圧する技だ。師の弥太郎は、気を発するだけで周囲の門弟十数人を、膝まづかせたことがある。凌牙のそれも相当に強い。
 例え拳銃を向けられても遠当てを行えば、殺意を挫くことができる。後は上杉流柔術の
スピードで、手早く相手を倒すだけだ。

「すごいな凌ちゃんは。いったいどこでそんなに強く成ったんだい」
 伊藤はニヤケ顔で凌牙をおだてた。芽衣もうっとりしたような顔で凌牙を見ている。
 なんだか気分が良く成って、凌牙の口も軽くなった。
「長岡に上杉流柔術と呼ばれる古武術の道場があるんだ。そこの師範代に見込まれて、小学生のときから鍛えた。今では道場で俺が一番強いと思っている」
「ふーん、上杉流柔術か。もしかしてプールやスケートリンクもある、あの辺で一番大きなスポーツ施設かい」
「そうだよ。あそこ一帯は上杉家の持ち物で、上杉流柔術は上杉家の家伝みたいな武術なんだ」
「じゃあ、凌さんは将来はそこの師範代かい?」
「いや、師範代の息子が一人いてこれもなかなか使える」

「どっちが強いの?」
 二人の話に芽衣が割り込んできた。甘えたような口調に凌牙はいきり立った。
「俺の方が強い」
「ふーん、じゃあ師範代の息子は依怙贔屓されてるんだ」
「そういうことなのかな」
 口にすると、本当にそういう気がした。
 ずっと、自分は虐げられてきたように思えてきた。
 凌牙の双眸に、暗い炎が揺らめく。

「そうだ、凌ちゃんのこれからを占う意味で、鬼の声を聞く女のところに行ってみないか」
「鬼の声を聞く女?」
「そうだよ、最近よく聞くよ」
「インチキじゃないのか」
「うちの女の子も行ったみたいだよ。よく当たるって言ってた。芽衣も行ってみたいな」
 半信半疑ではあったが、どうせ暇だし、行ってみてもいいかなと凌牙は思った。


 柱も天井も黒ずんでいた。畳はいつも湿っぽい感触で、かび臭い匂いを発している。台所はところどころ水垢で白く成り、水道管からはすえた匂いが上って来る。
 この家が建ってから既に七十年は経っているだろう。明日の食事もままならない身では、建て替えるどころの話ではない。
 余康子(あまりやすこ)は、明日にも崩れ落ちそうな我が家の中で、家に潰されて死んだとしても、それはそれで自分らしいと、自虐の気持ちで黒い柱を眺めていた。
 康子は祈祷師だった。だが既に二年近く祈祷の仕事はしてない。生活保護でやっと生きている毎日だった。父が生きている頃は羽振りが良かった。美味しいものをいっぱい食べて育った。

 父も同じ祈祷師だったが、その頃は余家に祈祷を求めるお客さんがたくさんいた。
 うつ病などで心の病に掛かった人。
 運がなくて事業がうまく継続しない人。
 原因が分からない体調不良に悩む人。
 どこからか父の名前を聞きつけ、藁をも掴む思いで、祈祷をお願いにやって来た。
 康子から見ても、父は力のある祈祷師だった。父の祈祷のおかげで、苦しみから抜け出る人たちをたくさん見た。

 康子自身、父の祈祷を間近に見て、そこから発せられる目に見えない力を感じたものだ。
 だが、康子が父の後を継ぐ頃には、人々が祈祷の力を信用しなくなっていた。同じ祈祷師でも、インターネットで解決症例を派手に宣伝する者の下に、依頼は集まった。
 自然康子のような昔ながらの口伝に頼る祈祷師は、次々に廃業の憂き目を見た。
 康子は既に七一才だ。廃業しても他の職につく自信がない。従ってこの古ぼけた家で、生活保護で何とか食いつなぎながら、ひたすら死ぬ日を待つだけだった。

 父の話では余家は、奈良時代に日本に亡命した、百済の亡命王族の子孫である余真人(よのまひと)の末裔ということだった。余真人は、律令制下で官位をもらい陰陽師として働いていたらしい。
 父はその力は確実に自分たちにも、受け継がれていると言った。
 康子自身も、自分の内なる中に確かな力の存在を感じる。
 だが、それが何になると言うのか。
 そんな力で食べていける時代ではなくなっているのだ。

 失意の中で今日も一日が終わろうとしている中で、その男はやってきた。
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