第45話 正臣の誓い

文字数 4,343文字

 智成が北条屋敷に戻って来た。片道百二十キロ、最高標高千百メートルをクロスバイクで往復し、武田綜馬を口説き落とし、素目羅義儀翔を刺客の手から救った。
 素晴らしい成果をあげての凱旋だったが、意外なことに零士の顔は引きつっていた。

「馬鹿野郎、心配かけやがって。お前にもしものことがあったらと、俺は、俺は」
 怒声をあげながら、零士は智成に詰め寄る。
「申し訳ない。武田の伯父御だけは、自分が行った方がいいと思ったんだ」
 本気で心配した零士の心が伝わるのか、智成も神妙に謝っている。
「それはいい。結果は上々だった。だが、相手が爆弾を仕掛けたり、バズーガで狙い打たれる可能性だってあるんだ。めんどくさくても、今度は絶対に相談してくれ」
 零士の目は真剣だった。絶対に曖昧には済まさない気迫のようなものが伝わってくる。
「分かった。次は必ず相談する」
 智成は嬉しかった。鬼っ子と呼ばれ、一族からも腫物を扱うように接しられていた自分を、こんなにも大切に思ってくれる他人の存在に素直に感動したのだ。

「智成、儀翔たちを救ってくれて本当にありがとう。信など死の一歩手前だったと聞いた。関西の九家にとっては、明日を担う大事な若者だ。命が助かって本当に良かった」
 説教は零士で十分と思ったのか、正臣は智成の勝手な行動を咎めもせず、儀翔たちを救ってくれたことの礼だけを述べた。

 コーマは何も言わない。黙って彼らのやり取りを眩しそうに見ていた。そんなコーマの様子を見て、もしかしたらサキヨミで智成の行動を知っていたのではと、明良は疑った。
 正臣から素目羅義会談の話を聞いたとき、明良は会談の行方が気に成り、サキヨミで見ようとしたが、ぼんやりとしてよく分からなかった。そのとき仲間の誰かが姿を消す映像が見えたが、特定することもできずやり過ごした。

 明良が見るところでは、今回の智成の成果は儀翔を救ったことが一番大きかった。もちろん武田綜馬を味方に引き入れたことも大きな功であるが、素目羅義儀翔は絶対に失えない特別な人間だった。彼がいる限り、九家会議で素目羅義家対他の当主と成っても、クーデーターではなく、素目羅義家の方針を巡る家中の争いとすることができる。
 九家は思念を扱う家だから、こうした名目の在り方は大切だ。その家全体の力の増減に直接影響する。

 正臣から、これから智成に十分に休んでもらって、午後八時に全員リビングに集まってくれと召集連絡があった。
 今は午後三時だから時間はたっぷりある。
 明良は迷わずコーマの部屋を目指した。
 もちろん九家会議の行方を聞くためである。

 コーマは一人でいた、綾香と昂亜は隣の部屋にいる。昂亜が生まれたときに比べると、最近のコーマは一人でいる時間が多い。素目羅義との争いで痛めている心を、昂亜の前に晒したくないのだろうと明良は思った。

「どうしたのですか? 思いつめた顔をしていますよ」
 コーマに指摘されて、明良は笑顔を見せようと思ったが、顔が引きつってうまく笑えないので諦めた。
「どうか知っているのなら教えてください。コーマは九家会議がどうなるか、既に知っているんじゃないですか?」
 コーマはおやっという顔をして明良をじっと見つめた。
「他の人ならともかく、同じサキヨミ使いの明良がそれを聞いてどうするのですか?」
 明良ははっとした。確かに自分はそれを聞いてどうしようというのだ。

 黙っている明良にコーマは微笑んだ。
「責めてるのではなく、この世にたった二人のサキヨミ使いとして、一度明良と話しておきたかったのです」
 明良にはコーマの意図がまだよく分からなかった。
「例えば、今明良が聞いた九家会議の行方についても、時が経つにつれて見える未来は変わって来る。それは儀翔殿の行動や智成の活躍が影響しているのだろうと思う。私は確実な未来などないと思っているよ」
「運命は変わると」
「私は運命なんて信じない。人と人が触れ合い影響し合うことによって、未来は変わるものだと信じている」
「だがそれではサキヨミなど意味がないじゃないですか?」
「例えば明良が得意の取引の世界にしても、必ずしもサキヨミで読んだ結果だけで、今の結果を得ているわけではないでしょう。多くの情報を明良なりに分析して予測し、時には他の人に働きかけているじゃないですか」
「あれは自分のサキヨミだけじゃ不安で、でもコーマのサキヨミならそれに従えば、確実なんじゃないかと思っています」
「そんなことはないですよ。私のサキヨミした結果と、明良の選択が違うことは今までもありました。でもいつも明良の選択が正しかったと記憶しています」
「そんな。コーマはいつも黙っていたじゃないですか」
「明良の最終的な判断は、サキヨミに勝ると信じているからですよ」

「なんだかサキヨミは不要だと聞こえます」
「そんなことはありません。人はだいたいにおいて、重要な行動をする前に結果を予測するものです。その予測が少しでも正確なものにするためには、サキヨミは有効な道具なのです。でも結局それに基づいて悩みながら判断しなければ、行動は起こせません」
「そうですね。申し訳ありません。九家会議への不安で、コーマの大切な思索の時間を削ってしまいました」
「大丈夫です。まだ正臣の話まで時間がありますね。久しぶりに兄弟二人で、ゆっくりと話をしましょう」
 コーマの部屋には緩やかで柔らかい空気が漂い始めた。
 明良はそれを心地よいと感じ、未来への不安が溶けていくように思った。

 リビングに明良、樹希、智成、礼美、八雲、雷、杏里紗の七人が集まった。その顔を見て正臣は満足そうに厳しい表情を緩めた。
 明良自身もなんて頼もしい顔ぶれなんだと思う。
 それぞれが九家を代表する能力者であると同時に、同じ学校に通う同窓の友なのだ。

「俺たちの力不足から、みんなにはいろいろと不安を感じさせてすまないと思う。それから智成、分かっているとは思うが、零士は智成に腹を立てたのではなくて、自分の不甲斐なさに腹を立てたんだ。零士はみんなを本当に大事に思っている。それだけは分かってくれ」
 智成は当然と言う顔で大きく頷く。
「それでは九家会議の話をしよう。儀翔や智成のおかげで、素目羅義を除く八家の意志は固まった。それでも素目羅義屋敷で戦闘が起きれば、大きな被害を出すことは間違いない」
 みんなシリアスな表情で正臣の話を聞いている。智成の唇を噛む姿などは、必死で激情に耐えていることが伝わってくる。
「それでも今度の会議に参加するのは、みんなの存在があるからだ。例え俺たちが死んでも、みんながいれば日本を侵略の手から救えると信じている」

 ついに智成が耐え切れずに反論した。
「そんなのはおかしい。我々が一丸となって望めば、きっと活路を見出せる。ここで結果を待つなんて、そんなのは嫌だ」
 正臣は激情に駆られる智成を愛おしそうに見ていたが、再び厳しい表情に戻って、智成に向かって言った。
「甘えてはいけない。九家に生まれついた以上、その身は日本のためにある。例え親兄弟が倒れようとも、自分に与えられた役割を全うしなければならない」
 正臣の言葉を、智成だけではなく、八雲や雷も不満そうに聞いている。樹希や杏里紗も到底納得した顔には見えなかった。

「今、日本人は変わらなければいけない時代が来ている。日本人の大半は海外で働くことを夢見なくなり、外国人と討論となると、いたずらな衝突を避けて沈黙を守ってしまう。だが、他のアジア系の国々を見ると機会さえあれば、積極的に海外に骨を埋める覚悟で飛び出して行き、外国人相手でも意思表示をはっきりとする。それが結果的に国を守ることにつながっている」
 話の流れが変わり、智成たちは勢いが削がれる。正臣の話はハイティーンの高校生には、少しばかりピンと来ない話だった。
「だが、日本人は昔からそうだったわけではない。南蛮貿易が隆盛を迎えた頃、日本を飛び出しアジアの国々に日本人町を建てた。鎖国の時代を経て欧米列強の侵攻が始まったとき、外国人に対して毅然とした態度を示し植民地化を防いだ。日本人は昔から冒険心に富んで、意志を明確に表現できる民族だったんだ」
 正臣はそこで話を止め、皆の理解度を目で確かめた。
 半信半疑ではあるが、正臣の話の内容は伝わっているようだった。

「ではなぜ、日本人は変わってしまったか。豊かさを例に挙げる者がいる。平和を理由にする者がいる。民族の腐敗を口にする者がいる。でも全て本当のことではない。これは素目羅義が国民にかけた呪いなのだ。戦後マッカーサーは日本を実効支配する中で、日本人の心の支柱であった天皇制の廃止を考えた。それを阻止するために素目羅義は、マッカーサーとある取引をした。日本人の冒険心や外国人に対する強い意志を徐々に弱め、やがて抵抗できない国にすると。その呪いは戦後七十年をかけて、徐々に浸透してゆき今も続いている。時間と共にその効力も大きくなっているんだ」

 正臣は話の核心を一気に話し終えた。想像もしなかった事実に、頭の中で消化しきれずに戸惑う者もいる。
「俺たちは、今度の九家会議でその呪いを解く。そのためならこの命をかけても惜しくはないと思っている」
「それならば、我々もその呪いを解くために、戦っても良いではないか」
 智成が正臣に自分たちも加えて欲しいと懇願する。

「それはダメだ。呪いが解けても世界が日本を狙っている状況は変わりない。意志を明確にすれば、物理的な攻撃をかけてくる国も出てくるかもしれない。そんな脅威から日本を守ることこそ、本来の九家の役割であり、みんなが生き残って成さなければならないことだ」
「智成、僕はこの会議が始まる前にコーマと話をした。そのときコーマは言った。九家会議で死ぬよりも、生き残る方がずっと辛くて過酷な未来が待っていると。そんな重荷を背負わせてしまうことを、すまなく思っていると言われた」
「でもコーマはせっかく生まれた昂亜と、会えなくなっちゃうんだよ」
 樹希が目を潤ませながら訴える。
「その昂亜の未来のために、命をかけるのだと言ってた。それから昂亜が寂しい思いをしないために、僕と樹希に後はよろしく頼むとも言われた」
「そんな……」
 樹希はそれ以上、何も言えなくなった。

「分かった。正臣殿の言う通りにしよう。ただ、一つだけ約束してくれ。自身の命を決して粗末にしないと。生き残る道を探すことを決してあきらめないと」
 智成のそれは、要求というよりも哀願となっていた。それはその場の全ての仲間の意志を代表していた。
「もちろんだ、俺を誰だと思っている? 策士楠木の当主だぞ。当然転んでもただでは起きんよ」
 正臣は教え子たちに、力強く約束した。
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