第76話 スホの狙い

文字数 3,863文字


 礼美はジウと闘いながら違和感を覚えていた。
 ジウの攻撃は単調で、何よりも肌がひりひりするような憎悪が籠っていなかった。
 まるで人形相手に戦っているような感じがした。
 強いことは強いのだが、これまで何度となく智成について大陸に渡り、戦った相手とはまるで感触が違う。
 いずれにしても、この相手を倒さなければ真相は分からない。戦いにおける礼美の長所は、迷わない心を持っていることだ。戦い始めた以上、相手が誰であろうと倒すことを躊躇わない。それが攻撃に鋭さを与え、見落としのない守りを生む。言い換えれば、常に冷静に相手を観察しながら戦う礼美だからこそ、戦いの最中に相手の違和感に気づいたと言えよう。

 攻撃に込められた気の感じは違いがあるが、ジウの攻撃自体は強力だった。
 放たれるパンチの一つひとつには、鋼鉄の重みがあり、思念で固めた礼美の防御する腕を痺れさせる。礼美は受けることを止めて、切れのある動きで紙一重でかわし始めた。
 これは智成の防御法だった。大きな動きの防御は隙を生みやすいし、防戦一方に成りやすい。いたずらに戦いを長引かせる上、相手に攻撃の変化を与えやすくなる。

 一方的に攻撃を仕掛けるジウに焦りが見え始めた。相手に全くダメージを与えられない上、反撃を警戒して攻撃の手を緩められない。まるで礼美に操られて、攻撃させられているようだった。
 ジウの攻撃の手が緩んだ瞬間、礼美の強力なパンチがジウのテンプルにさく裂した。
 ジウの身体は二メートル後方にふっ飛んで、痙攣を起こしながら地面に突っ伏した。
 礼美は相手の攻撃意志が消えたことを確認し、ジウの身体を仰向けにすると、別人の顔が表れた。

 礼美が戦ったのはジウではなかった。なぜ別人がジウに成り代わったのか、礼美は一つの考えにたどり着いた。
 八雲と雷が舞うステージ上から、観客を大量虐殺する。そのためにスホはジウを必要としたのだ。虐殺の目的は八雲と雷の心に憎しみを生み出すこと。大きな憎しみは大陸の鬼と共鳴し、二人を仲間へと引き込むきっかけになる。
 その結果、強大な二匹の鬼が誕生する。
 礼美は目を閉じた。
 今頃ステージの周囲には、スホの結界が張り巡らされ、そこに侵入はできないだろう。
 今はただ信じるしかない。共に修業した八雲と雷の強さを……


 雷は八雲と演武をしながら二人の心が相互に絡みついて、一本の柱に変わっていくのを感じていた。
 出会ったときから互いに母のいない子供だった。寂しさを補完するように惹かれ合った。やがて二人は強さを求められるようになり、武の極みを共に目指す同胞となった。今は人生を共有する相手と言って差し支えない。

 演舞している二人の前にスホとジウが現れた。予期せぬ二人の出現に、八雲と雷の演武に見入ってた数百名の観客は驚いたが、演武に一切の乱れを見せない二人の様子に、これも何かの余興かもと、その成り行きを固唾を飲んで見守った。

「まったく動じぬとはさすがだな。だがこれではどうかな」
 スホは右手を上げて身体を発光させてからジウに近づき、彼女の左胸を一突きし、心臓を中から取りだした。
 血が滴る心臓を高々と掲げ、観客に見せつけた。気の弱い者は目を背けたが、多くの観客はこれが現実のできごととは思えず、どのように成るのかひたすら見続けた。
 スホは掲げた心臓を口に近づけ、それを食い始めた。食い終わったとき、ジウの身体は陽炎のように消え、代わりにスホの身体が変化し始める。
 頭部には角が生え、耳が尖り口は耳まで裂けて牙が飛び出した。目の玉が消え白目に代わり、上半身の服は裂け、中から流々とした筋肉が浮き出た身体が覗く。

「今、お前たちを崇め慕う者どもを死体に変える」
 スホは背をやや屈ませながら両手を広げた。全身の鬼の気が両手に集中し、どす黒く変色する。
「ウォーーー」
 スホが雄たけびを上げ、両手から無数の黒い球が観客に向けて発射された。

 大量殺人の危機に際し、八雲の両腕からステージと観客の間に、白色に輝く電光のカーテンが放たれ、全ての黒い球を受け止め消滅させた。その間も休むことなく二人の演武は続く。観客はパニックに成ることなく、安心して二人の姿に見入った。

 スホは演武を止めない二人を見ながら、不敵に笑った。
「まずはお前たちの演武を止めることが先ということだな」
 八雲の電光のカーテンの強力な防御力を知ったスホは、間接攻撃が無駄だと理解し直接打撃に切り替えた。
 スホが八雲に向かって走った。和太鼓の刻むリズムが激しくなり、演武のクライマックスが近いことを告げる。
 八雲は舞うように演武をしながらスホを迎え撃つ。
 スホの巨体が八雲の細い身体に接近し、今にも掴みそうになったとき、八雲が宙に舞う。
 それを捉えようとスホも跳躍したが、八雲の跳躍はスホのそれよりも高く、伸ばした腕の上に左足をかけ、それを足場に右足でスホの顔面を強打した。
 仰向けに落下するスホの顔面を雷が跳躍して、真上から正拳を叩き込んだ。スホは顔面を雷の正拳とコンクリートのステージでサンドイッチされ、身体は消滅した。

 観客はこれを演武のプログラムの一部と判断し、大いに沸きながら八雲と雷の演武に拍手した。二人は何も動じることなく演武を続ける。

 剱山は見事な演武を見せる二人の姿に目を潤ませていた。
 智成が礼美と一緒に近寄って来た。
「二人とも本当に強くなった。もう立派な後継者ですね」
「心が成長した。これほどの不動心をどのようにして身につけたのか」
「北条屋敷では多くの事件が起きましたから、中でも昂亜の誕生で我々は多くのことを学びました」
「ほう、それはいかなることかな」
「人の魂とこの世の成り立ちです。我々は明良の天眼が導く中互いに手をとり、奥方の綾香殿をこの世に引き戻そうとする昂麻殿の手助けに行きました。綾香殿の魂は川に流されそうになり、我々は昂麻殿を手伝って川から引き戻しました」
「それが里見の言っていた神樹の母親を死なせない方法か」
「はい、そのとき全員が悟りました。死とは消滅ではなく、魂が現在の肉体と離れることだと。そして川の向こうには別の世界があると」
「天国とか地獄とかいう世界かな」
「うーん、ちょっと違います。我々の魂は元々その世界からやって来たのです。そして守護獣たちも元はその世界にいたとのだと思います」
「なぜ、そう思う」
「川の向こうから妖狐と同じ思念が漂ってきました。おそらく、妖狐の仲間がそこにいたと思います。同じことを明良や八雲からも聞きました」
「うむ」
 剱山は黙って頷いて、考えていた。もしかすると、守護獣たちの住む人間の魂の生まれた地に、住んでいるかもしれない妻の魂を思ったのかもしれない。

 最後に強く叩かれた和太鼓の残響の中で、八雲と雷の演武は終わりを告げた。
「智成殿、イ・スホたちは本当に消滅してしまったのかな」
「おそらく、まだ生きておりましょう」
「そうだな、今見ていることが全て事実ではないとわしも分かっておる」
「彼らのアジトを見つけ出して、今度はこちらから出向いて拠点をたたく必要があります」
「それで決着がつくかな」
 剱山の言葉に智成はしばし考えた。

「イ・スホに確認しなければなんとも言えません。今回の来襲が北の国と大陸の鬼が手を結んでやって来たとすれば、大陸の鬼は不滅ですから、また北の国と手を結び別の者に鬼の意識を移してやって来るでしょう」
「その場合は、里見の助けがいると言うことだな」
「北の国からこの地への干渉を、零士殿の持つ政府とのパイプを使って絶つ必要があるでしょう。いずれにしても、まずは本拠でイ・スホをこちらの結界内に取り込み、最終決戦を行う必要があります」

 八雲と雷が演武を終えてやって来た。
「ご苦労」
 剱山は二人を万感の思いを込めて短い言葉で労った。
 二人には剱山の思いが伝わったようで、明るい顔で応じた。
「智成殿、敵の本拠が分かったら、この二人にイ・スホの打倒を託そうと思う」
「なぜですか。私も参ります。大陸の鬼は強敵。侮っては危ない」
 剱山の思いがけない言葉に、智成は驚いて反対した。
「智成殿、あなたは大陸の鬼からデビルハンターと呼ばれて警戒されてる存在だ。行けばイ・スホたちは戦わずに逃げて、次の本拠を作るだろう。だが、八雲と雷二人だけなら、討ち取れるとみて戦いに応じるだろう」
「しかし、危険な相手です」
 剱山は寂しそうに笑った。
「今日の二人の戦っている姿を見て、二人で戦えばわしと弥太郎よりも強いと確信した。子供の成長を感じるのは嬉しくもあり、寂しいものだな」

 剱山の気持ちは八雲と雷にも伝わったようだ。
「私たち二人にお任せください。必ずイ・スホを倒します」
 八雲は嬉々として剱山に申し出た。
 その姿を見て、智成も納得した。
「雷、八雲を助けるんだよ」
 礼美が雷を励ます。
「もちろんだ。私の命に代えても八雲様は守る」
「命に代えてではないでしょう。必ず二人で戻ってくるの」
 礼美の言葉に八雲も深く頷く。
「奴らの本拠については、今多恵が公安の刑事と一緒に探している。じきに見つかるだろう。知らせが来たら、お前たちに告げるから、今は二人の時間を大事にしてくれ」
 死地に送り込む二人に対する剱山のせめてもの餞の言葉だった。

 春日山祭はますます人手が多くなり、にぎわって行った。
 眩しい夏の日差しの下で楽しそうに出店を回る親子連れを見ながら、八雲と雷はこの平和を守るために自分たちが選ばれたことを光栄に思い、気持ちを高ぶらせていくのだった。

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