第44話 最強の男

文字数 4,260文字

 ライアン・J・グリムスターは苛立っていた。グリムスター総帥のアランから日本に対する工作の遅れを指摘されたからだ。
 アランはライアンの父であると同時に、冷酷なビジネスマシーンだ。ライアンが役に立たないと判断すれば、容赦なく切り捨て次期総帥候補から外される。
 今回の日本金融支配計画は、ライアンにとって国家規模プロジェクトのデビュー戦だった。米国内の小さな謀略は何度も挑戦し、ほぼ全てを勝利で飾っている。国家規模とは言え、日本のように警戒の甘い国で失敗するとは思えなかった。
 ところが前哨戦において、手酷い敗北を喫した。
 素目羅義儀介には深手を負わせたものの死に至らしめず、北条家襲撃は放ったメンバーが全滅し、九家の次世代殲滅戦では、最強の切り札として送ったファカルシュ家の刺客が悉く倒され、挙句の果てに敵と和解して帰国してしまった。
 ハニートラップこそ成功し、九家会議で同士討ちを誘う段取りはできたが、素目羅儀儀翔暗殺に失敗し、素目羅義を除く八家の結束が生まれそうな情勢になってきた。

 言い知れぬ不安と失敗続きの苛立ちは、グリムスター日本支部長で今回の作戦指揮を執る、ジョージ・ゴンドウに向けられた。
「お前は私の立てた完璧なプランを、実行段階で悉く失敗に終わらせた。次失敗したら命はないと思え」
 ジョージは目を伏せて唇を噛み、ライアンの叱責を耐えた。もともとジョージは、二十年に及ぶ日本支部での経験から、今回の計画は強引すぎて無理があると、ライアンに何度も進言してきた。九家の力を削ぐには、力づくではなく謀略を持って仲たがいさせるべきだと。
 しかし強引な計画を修正せずに実行したのはライアンではないか。しかもライアン自身がスカウトしたファカルシュ家のメンバーは、失敗しただけではなく勝手に和解して帰国したのだ。責任はライアンにあることは間違いなかった。
 それにも関わらず、ビジネススクールを出たばかりのこの若造は責任を全て自分に押し付けようとしている。忌々しいことこの上ない。
 だが、次に失敗すれば、自分に死の裁定が下ることも現実だった。何としても次は成功させなくてはならない。

「それで、今度こそ確実に仕留めることはできるのだろうな」
 ライアンは爬虫類のようなねっとりした視線でジョージを見た。
「次こそは確実に仕留めます。今、派遣しているのは、中国の劉永の組織です。彼らが失敗するなど、私には想像もつきません」
「劉永か、刺客集団としては世界屈指の集団だな。だが作戦はどうする」
 劉永の名を聞いて、ライアンの機嫌は少し持ち直した。それほど裏の世界では彼らの威名は鳴り響いていた。
「こちらをご覧ください」
 ジョージは甲府の地図を広げた。
「こちらが、武田屋敷でございます。武田屋敷の半径五百メートルは、武田の索敵網となり、この中で事を起こすわけにはいきません。また武田神社からしばらくは、民家も多く戦闘を起こすのに適しません。よって、武田の索敵網の外側で、民家が一時的に途絶えるこの地点を襲撃場所としました」
 ジョージは地図を食い入るように見た。頭の中ではこの地点で劉永率いる暗殺集団が、獲物を追う様子を描いている。
「完璧だな。ようやく煩い虫を殺すことができそうだ」
 薄ら笑いを浮かべたライアンの顔は、まさに悪鬼のそれであった。


 浜松から車を借りて甲府に行こうという信の提案を、儀翔は頑なに却下して、静岡まで新幹線で、静岡から東海道線に乗り換えるルートを選択した。こんな長距離を信の運転する車に乗るのは心臓に悪いし、何よりその方が目的地まで早く着くからだ。
 四時間近い列車の旅も、信のクレージーな運転と比べると快適だった。信自身もさすがに疲れが残っていたのか、甲府に着くまでうとうと居眠りを繰り返していた。

 甲府に着くと、信がまた武田屋敷迄四キロの道のりを、車を借りて行くことを提案した。賛成する美晴を横目に、儀翔はここでもタクシーで行くことに決めた。
 タクシーは滑るように市内を抜け、すぐに武田神社の脇を抜けた。ここから百メートルも進めば噂に聞く武田屋敷の結界に突入する。無用の警戒を与えたくないので、タクシーを降りて歩くことにした。

 辺りは一面に農地が広がる。すぐ側面は森に成っていた。歩きながら武田綜馬の人物を思い浮かべる。一代で武田家を立て直した稀代の謀略家、全国のホームレスを束ねる棟梁、犀の力を持つ不死身の男、どれも真実であるが、綜馬自身の人間を語るものではない。強いてあげれば病的な女好きということか。
 ふと、隣を歩く美晴のことが気に成った。綜馬が美晴にちょっかいかけて、怒った美晴に会談をぶち壊される絵が浮かんだ。急に心配に成ったが、来る前に聞いた正臣の言葉を思い出す。
 綜馬は女性から罵倒されたり、暴力を受けることは嫌いではない。むしろ喜ぶ変態的な性向だと言っていた。ならば美晴が怒って一発殴るぐらいが、ちょうどいいかもしれない。
 考えていたら馬鹿らしくなってやめた。

 後少しで武田の結界に突入するというところで、強烈な殺気を感じて思わず立ち止まる。
 目の前に中国服を着た異様な集団があった。それぞれが凄まじい殺気を発して、こちらに対峙している。振り返ると背後にも同じ集団が現れた。いつの間にか取り囲まれている。
「やばいな、ふりきれそうにあらへん」
「戦うしかあらへんか、ちょい数が多いかもしれへんな」
 前後合わせて五十人近くいた。
 しかも、一流の戦闘集団であることは見ただけで分かった。
「美晴、わしと信とで突破口を開くさかい、悪いが武田屋敷迄行って救援を頼みなはれ」
「いやや、うちも儀翔と一緒に戦う」
「そないな聞き分けの悪いこと言わんでくれ。奴らの目的は儂のはずや。あんた一人なら追う手はかからん。全員助かるには、あんたの足一つにかかってる」
 美晴は感動した。今儀翔は自分たちの命はお前に託すと言った。自分がどうなっても絶対にこの人を死なせない。鬼の娘は即座に決心した。
「ええよ。すぐに助けを連れてくる」

 儀翔は信と目配せして、前方の男に向かって飛んだ。男はすぐに反応してナイフを突き出したが、その刃は儀翔の身体には届かなかった。その前に男の身体が発火したのだ。
「うぎゃー」
 男は悲鳴を上げて地面を転げまわって火を消そうとした。
 素目羅義の守護獣である鳳凰の技、人体発火だった。
 男たちがたじろぐ隙に、美晴が囲みを飛び抜けた。
 想定通り男たちは美晴を追わなかった。
 人体発火の技に驚いて、警戒を強めたため、瞬間的に動く決断がつかなかったことと、ターゲットである儀翔を仕留めるために人数を減らしたくなかったからだ。
「どこのどなたか知りまへんが、素目羅儀儀翔と知って向かって来るのなら、その命を掛けて来られや」
 儀翔の音声(おんじょう)が高らかに響いた。
 信がにやりと笑う。

 美晴は走った。既に武田の結界に入ったはずだ。早く気づいてこっちに向かってくれと祈るような思いだった。
 前からクロスバイクに乗った青年がやって来た。青年は美晴の顔を見て、急ブレーキをかけて止まった。
「鬼堂殿の娘ではないか?」
「少弐智成!」
 それは確かに九家会議で何度か会った少弐家の息子の顔だった。
「何をしておる」
 尋常でない美晴の様子にも、智成は落ち着いて状況を尋ねた。
「儀翔さまが刺客に襲われてる」
 それだけで、智成にはピンと来たようだ。
「この先か?」
 美晴は大きく頷く。この少し生意気な年下の男が、今はとてつもなく頼もしく感じる。
「俺はすぐに助けに向かう。二百メートル先に武田屋敷があるから、そこに行って加勢を呼んでくれ」
 智成はすぐにクロスバイクのペダルを踏んで、助けに向かった。
「間に合ってや」
 美晴は祈るように一言呟くと、再び前方に駆け出した。

 儀翔は全身に傷を負っていた。隣の信も相当な傷を負っている。あれから敵は人体発火の的に成らぬよう、円を作って儀翔たちを取り囲み、猛スピードでぐるぐる回り始めた。四方八方から、高速でナイフを突き出しては引く。いわゆるヒット&アウェイで儀翔たちを弱らせる戦法に切り替えた。
 動脈だけは切られぬよう交わしているが、細かな傷を無数に負った。出血もかなりある。美晴がなんとか武田屋敷にたどり着いて、援軍を呼んだとしても、持たないかもしれない予感がした。
「だいぶやられてもうたな」
「諦めんといて。ここ耐えれば、援軍はきっと来る」
 信が必至で儀翔を励ます。だが傷は信の方が深そうだ。
 またもや刃が突き出された。間一髪避けたが、後ろから別の刃が突かれた。
――やられた。
 体制が崩されている。首を切られると感じた瞬間、信の左腕が儀翔の首と刃の間に入った。信の左腕から血が噴き出す。まずい! 動脈を切られたようだ。
 信は血が噴き出す左腕を押さえながらも、ゆらりと立って、次の攻撃に備えている。血に染まったその顔は凄絶だった。

「信……」
 もう戦わなくていいから、止血しろと言いたかった。
 抵抗を止めれば信が襲われることはない。
 動脈から噴き出す血を止めないと五、六分で致死量に達する。
 だが言って聞く男ではない。儀翔は二人の死を覚悟した。

 そのとき、砂塵を舞い上げ、クロスバイクが乱入してきた。クロスバイクに乗った男は全身に風を鎧のように纏っていた。
「少弐智成!」
 なぜ智成がここにいるのか分からないが、とにかく援軍であるのは確かだ。
 智成はクロスバイクに乗ったまま、モトクロスさながらに、ナイフを持った刺客たちを蹴散らしていく。刺客たちは反撃しようにも、風の鎧に触れた瞬間に身体が切られるため、逃げることしかできない。
 焦れた刺客の一人がナイフを突き出し、手首ごと切り落とされた。
――強い、なんだこのでたらめな強さは……
 儀翔は自分たちを追い詰めた刺客たちが、いとも簡単にあしらわれている様子に、智成の圧倒的な力を感じ、畏怖すら覚えた。

「引け!」
 刺客のリーダーと思われる男が撤退の合図をすると、刺客たちは消えるように退散していった。
 儀翔は、シャツを破って信の左腕を縛り、とりあえず応急的に止血した。
 信は出血量が多くて気を失った。

「無事か―」
 前方から武田の一群が駆けつけて来るのが見える。先頭の大男は武田兵馬だ。その隣には懸命に走る美晴の姿があった。
 なんとか助かったようだ。智成が来るのが、後一分遅かったら、少なくとも信は死んでいた。自分もどうなったか分からない。
 儀翔は気が抜けて、その場に座り込んでいた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み