第28話 魔女の館

文字数 4,246文字

 静岡県浜松市は、県内最大の人口を要し、東海地方屈指の工業都市である。
 市の中心部は東に流れる天竜川と、西にウナギの養殖で有名な浜名湖に挟まれた平野部となる。平野部の中心には浜松城が鎮座し、浜松の歴史の深さをアピールしている。
 明良は正臣の運転で、天竜川の上流に向かって進み、全国秋葉神社の総本山の近くまで来ていた。
「今川屋敷ってずいぶん山奥にあるんですね」
「魔女の館だ。雰囲気が出ていいんじゃないか?」
 正臣の言葉が雅のイメージと重なって、思わず武者震がでた。

 車は更に北上し、今川屋敷はもう近いというところまで来た。ここまで来るとはっきりと、九家に共通の守護獣の力を感じる。
「先生は雅のことはよく知っているんですか?」
「いや、あまりよく知らない。彼女は俺やコーマが大学に入学したとき、既に四年生だった。ほとんど付き合いはなかったが、美人だったんでキャンパス内では目立ったな。顕恵が正統派のお嬢様とすると、雅は艶やかな麗人という感じだったかな」
「九家会議には顔を見せないですよね」
「会いたくない奴がいるんだろう」
「会いたくないですか」
 正臣の言葉は明良の心に思いの外強く響いた。

 今川屋敷は意外にも質素な外観だった。屋敷の周囲に柵などなく、荒れ地にポツンと家が建っているという感じで、大きな家だが壁は色あせ苔むしていた。
「お化け屋敷のようですね」
「確かにな」
 正臣はフフンと鼻で笑って、車のサイドブレーキをかけた。
 二人は車を降りて屋敷の入り口に向かう。玄関のドアは引き戸で昔ながらの低い造りだった。インターフォンなどついてないので、大声でごめんくださいと声をかける。
 しばらく待つと、戸が開いて目つきの鋭い長身の男が応対に現れた。
「楠木正臣殿か、もう一人はどなたですか?」
 男は低い声で来訪者を確認する。
「戸鞠明良です。北条の身内のものです」
 男は、明良を頭から足の先まで見た。
「私は朝比奈泰人(あさひなやすと)、雅様のお側付きの者です」
「おお、執事の朝比奈康則(やすのり)殿のお身内のかたですか?」
 正臣の問いに康人は小さく頷いた。
「康則の次男です」
「雅殿に会いに来たのだが、今日は在宅かな」
「はい、いらっしゃいますが、今は業の最中です」
「そうか、では待たせてもらおう」

 康人に案内されて、客間に通された。
 古びた外観と違って客間の内装は豪華だった。
「凄いですね。畳の光沢は良質のイグサと織り込みの美しさですね。この和風テーブルも漆の具合を見ると高級感があります」
「襖には金糸を使っているな。相変わらず高級志向だ」
「外観の苔むした感じとこの内装のギャップから、今川雅は相当な粋人だと想像できます」
「一筋縄ではいかない相手だ。気を引き締めていかないとな。雅が現れたら、身体全体への思念コントロールを忘れるな」
 二時間ばかり待つと、再び康人が現れた。
「お待たせしました。今、雅様がお越しになります」

 今川雅は鮮やかな加賀友禅の着物を纏って現れた。
「正臣か、久しぶりだな。最後に会ったのはいつだった?」
「一昨年の六月ですか。儀介殿の命で名古屋の治安を守りに出かけたとき以来ですか」
「あのときは凄まじかった。中国系の異能者はなかなか手ごわい」
 雅は微かに笑いを見せたが、それは艶と成って部屋全体を甘く取り包む。
「そちらは昂麻殿の弟殿か」
「戸鞠明良です。以後よろしくお見知りおきください」
 明良は緊張していた。これほど女を感じさせる女性と、今まで会ったことがない。雅の艶めいた美しさが、気を抜くと明良の五感を痺れさせる。
「雅様、艶を振りまくのも程々に願えますか。相手はまだ十代の学生ですから」
 正臣が心配そうな顔で雅にお願いする。
 この心をくすぐるような雰囲気は、雅が発動した思念だと気づき、明良は慌てて自身の心を思念で防御する。
「まあ正臣の固いことよ。明良、心地良かったであろう」
 雅からの心を揺するような圧力が消えた。
 明良はホッとして小さくため息をついた。正臣から注意されていたにも関わらず、序盤から翻弄されてしまった。このままでは駄目だと、気を引き締めた。

「ところで今日は何用かな?」
 雅が訪問の意図を訊いてきた。いよいよ交渉が始まる。
「もうご存じだと思いますが、欧州のファカルシュ家が日本に来ています」
「存じておる。欧州の魔狼と魔剣リリアク、それにドリアンの弟の三人がやってきて、儀介殿に深手を負わせたのであろう。少弐の若造も危うく死にかけたと聞いている」
 九家の危機であるにも関わらず、雅は薄ら笑いを浮かべている。
「元々はグリムスターの陰謀から始まっています。誇り高いファカルシュが九家殲滅の依頼を受けたのは、あなたがドリアンから生命の石を奪ったことが原因と聞きました」
 正臣の糾弾にも関わらず、雅の顔は笑いを浮かべたままだ。
「確かにその通りだ。不死の力が欲しくて石を奪ったが、あの石はファカルシュの者でなくては効果が出ぬようで、結局役にはたたなかった」
「それでは、ファカルシュにお返し願いますか」
 無用と聞いて、明良は思わず要求を口にして、ハッとした。雅の目に妖しい光が灯ったからだ。

「ただでか?」
 明良は聞き間違いかと思った。
「ただと言いますと」
「人にものを頼むときには見返りが必要であろう。それとも若年ゆえに、そんな社会の(ことわり)も知らぬのかの」
 思えばこの人の行為によって大勢の人が傷ついた。それにも関わらず見返りを求めるとは、どういう神経なんだろうと明良は色めき立った。
 思わず抗議しようとした明良を、正臣が制した。
「雅様ともあろう方が、あまりにも浅ましい理屈ではございませんか。九家はファカルシュの来襲によって、かなり傷ついています。これからもこの争いが続けば、被害がどこまで及ぶか想像し難い。ファカルシュは石さえ返せば、遺恨は忘れると言ってます。ここは九家のために、ご配慮いただけませんか」
 正臣はあくまでも冷静に理屈を通していく。
「私は石を自分のものとするために相当な苦労を費やした。それを皆のために供出しろというのであれば、それ相応の対価を支払うべきだろう。十億円で手を打とう」
 明良は十億という数字を聞き、それなら交渉可能だと思った。北条家の蓄財から見れば微々たるものだ。
 返答しようとする明良をまたもや正臣が制する。
「これは異なことを、言われる。九家が危機に陥る原因を作っておいて、その過ちの対価を寄越せとは、泥棒が手間賃を被害者に要求するようなものでありましょう。冗談はほどほどにしてもらわないと、九家として引けぬことになりますが」
 あくまでも毅然として退かぬ態度を示す正臣に、明良ははらはらした。
「ではどうする。腕づくでくるか? ここは今川屋敷ぞ」

 正臣はフッと笑った。
「何の策もなしに、この楠木がのこのこやってきたと思われたか。いやはや、嘗められたものだ」
 正臣は言い終わらないうちに、外に向けて思念を発した。一斉に外から屋敷に向けて、凶悪な暴力の気配が流れ込んできた。
「これは……」
 雅の顔が初めて強張った。
「さよう。楠木、素目羅義、北畠、武田、上杉の手の者がこの屋敷を囲んでいます。この囲みを破って逃れることなど不可能。素目羅義などは一刻も早く攻め入ろうと、猛々しい気に満ちています。いかに今川屋敷といえども、回避は不可能かと思いますが」
「いつこれほどの手配を取った」
 雅は悔しそうに訊いてきた。
「昨夜のうちに浜松の近隣に各家の精鋭を集めておき、今朝がた楠木の秘密ルートで、この屋敷を取り囲んでおきました」

 雅は一言も発せず正臣と睨み合う。北条屋敷が襲撃されたときとは訳が違う。あの時は北条、里見、少弐の三家に対し、北畠、武田、上杉の三家で場所は地の利のある北条屋敷であったが、今回は一家に対し五家の精鋭が当たることになる。
「ホホホ――」
 突然、雅が狂ったように笑い出した。
「相変わらず、きつい冗談をかましてくるのう。ほら、お前たちの望むものはこれだ」
 雅が手元から石を取り出し、机の上に置いた。
 それは妖気を発する不思議な石だった。
「明良、サキヨミしてくれ」
 明良がその石をヤニスに渡す未来を覗いてみた。
「間違いないようです」
「よし、ではこれは預かった。快く渡してくれたことに礼を言う」
 石を掴んで慌ただしく去ろうとする正臣に、雅が声をかける。
「もう帰るのか? 慌ただしいことよ」
「申し訳ないが、一刻も早く不戦協定を結びたいのでね」
 早く立ち去ろうと、正臣は急いで席を立つ。
 二人は礼もそこそこに今川屋敷を辞した。

「凄い緊張しました」
 明良は正直に感想を言った。
「まあ、九家同士の交渉はいつもあんなもんだ」
「九家の間の紛争はよくあるのですか?」
「利権が絡むとどうしてもな。九家はそれぞれ支持基盤に成ってる母体を持っているから、支持基盤同士のいさかいにも、入らなきゃならないしな」
「それにしても凄い手配でしたね」
「まあ、あれが楠木のお家芸だしな」
 この人が一番敵に回してはいけない人だと、明良は悟った。

「先生には神樹の想い人はいないのですか?」
 明良は唐突に切り出した。雅の妖気に当てられたせいかもしれない。
「昔いたけどな」
「想いを遂げなかったのですか?」
「まあな、二人の間には結ばれぬ制約があってな」
 正臣は運転しながらも、遠くを見るような目をした。
「そうなんですね。すいません辛いことを聞いちゃったみたいで」
「いや構わんよ。九家に属する以上神樹のパートナーとどう結ばれるかは、人生における大事なことだからな」
 日は暮れかかっている。幸い山道は抜けて、浜松駅はもうすぐだ。
「北条屋敷に着くのは夜遅くなるな」
「早く渡してヤニスを安心させたいです」
 兄を思うヤニスの気持ちは、明良には良く分かる。どちらもいわくつきの家に育った兄弟だ。
「ファカルシュの問題がクリアされたとしても、グリムスターが諦めるわけではないからな。今度はどんな刺客を送ってくるか、今のうちにしっかりした防衛ラインが必要だな」
「世界は広いですね。恐ろしい敵がたくさんいる」
「だから、零士がやろうとしていることは意味がある。もう日本だけで済ますことができない世の中なんだ」

 浜松駅はたくさんの人が東京行きに乗り込んでいた。明良と正臣は疲れを癒すためにグリーン車両に乗り込んだ。
 今回の交渉は、ほぼ正臣の力で無難に切り抜けられた。次もこうだとは限らない。走り出す新幹線の窓から外を見ながら、空に輝く満月に強くなることを誓った。
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