第50話 素目羅義の夜明け

文字数 4,540文字

「何者だ、神にも等しい素目羅義の力を……」
 儀介はそれ以上言葉が続かなかった。圧倒的な力が儀介の身体から、悪思念を振り払い始めたからだ。
「うむむ……」
 儀介の真っ赤に染まった目は徐々に膨らみ始め、悪思念を留めようと更に思念を集中した途端、破裂して血が噴き出した。吹き出る血と共に悪思念が体外に放出される。
 儀介は仰向けに倒れ、解放された悪思念が再び部屋を覆う。

――明良か?
 コーマが自分たちを救った大きな力の主に語り掛ける。
――僕の力じゃないよ。僕は媒介に過ぎない。昂亜はその場所を知らないからね。
――昂亜なのか?
――突然、昂亜の意識が流れ込んできたんだ。お父さんを救いたいから、協力して欲しいって。
――私は息子に救われたのか。
 コーマは信じられない思いで倒れている儀介を見た。
 そこには確固たる現実が示されていた。

――コーマ、今意識を繋げるから昂亜を話してみて。
 明良の思念が波上の帯となってコーマの天眼とつながる。つながった先には明良の天眼を感じる。さらにその先にある天眼、昂亜を感じた。
――お父さん、間に合って良かった。僕はもう疲れたから寝るね
 コーマは感激で胸がいっぱいになった。
――昂亜、ありがとう!
 そのまま、明良との通信も切れた。

「息子に救われた」
 コーマが小さな声でつぶやいた。
 突然倒れた儀介を唖然とした顔で見ていた零士が、その声を聞き逃さなかった。
「息子って、これは昂亜がやったのか!」
 零士の声は部屋を揺らすほど大きかった。
 周囲の当主は、盟主素目羅義を軽く一蹴したけた違いの力に、驚きと共に恐れを感じた。
「グリムスターがお腹の中にいるうちに殺そうとしたはずだ。まさに神の力だ。これは育て方を余程気を付けないと、たいへんな脅威に変わる。責任重大だな」
 正臣が心配そうにコーマを見る。
 一方、コーマは笑顔で答える。
「心配いらない。綾香がいる。彼女がきっと立派な大人に育ててくれる」
 自身に満ちたコーマの顔を見て、他の当主の動揺も治まる。
 その様子を見て、正臣がウィンクした。
 それは、無用な警戒心が生じるのを心配した正臣の機転だった。

「儀介様」
 新治が倒れている儀介にいち早く駆け寄り脈をとる。
 後から来た儀翔たちに、その生が尽きたと知らせるために首を振る。
「儀翔殿、儀介殿がこうなったのは、その身体を乗っ取り操った者だと分かっていただきたい」
 正臣が気の毒そうにその死の原因を釈明する。
「分かっています。そうやってつけ込む隙を見せた、祖父自身にも責任があることも」
「しかし一体誰が儀介殿を操っていたのだ」
 信治が悔しそうに疑問を口にする。
 零士が円卓に突っ伏している真由美の背後に回った。
「答えを聞いてみましょう」
 零士が活を入れると、真由美の意識が戻る。
 目覚めた真由美からは、男を惑わす怪しさはすっかり消え去って、ごく普通のどこにでもいる女の顔に変わっていた。

「お前をここに送り込んだ者の正体を明かせ」
 零士が詰問すると、真由美は震え始めた。
「私がそれを話したら、即座に私の命は無くなる」
 真由美は恐怖を抑えきれず、震える声で訴えた。

 更に問い詰めようとする零士を、正臣が手で制する。
 正臣は真由美の頭の上に右手を置いて、目を瞑って意識を集中する。
「真由美の記憶を夢として食らった。もうこの女は今回の悪計を何も覚えていない」
 楠木の守護獣、獏の特殊能力『ユメガエ』を使って記憶を吸い取られた真由美は、先ほどとは打って変わって、きょとんとした顔で周囲を見渡していた。

「真由美を操り、儀介殿を死に至らしめた相手の正体が分かった。グリムスター日本支部長のジョージ・ゴンドウだ」
「ジョージ・ゴンドウ……あいつが儀介殿を」
 新治が悔しそうにその名を呼んだ。腰が低くて柔和な顔の裏側に、こんな陰謀を進める裏の顔があったとは、見抜けなかった自分を責めた。

「ゴンドウは薬を使って憑依対象の精神を侵し、弱ったところで憑依を実施するようだ。真由美は儀介殿が入院中、ずっとMDMAを薬と称して投与して、まず自分が篭絡した。次にゴンドウと儀介殿の意識を繋ぎ、いつでも憑依できる体制を引いたようだ」
「真由美はしゃべれば殺されると言っていたが」
 零士が一応真由美を心配して訊いてきた。
「真由美の意識の中にゴンドウが仕掛けたトラップがあった。ゴンドウのことをしゃべれば、心を焼き尽くして痴呆にする仕掛けがしてあったが、これも夢にして食ってしまったから大丈夫だ」

「では、そのゴンドウとやらのところに出向いて、この落とし前をつけねばならぬな」
 剱山が厳しい表情で、皆に向けて復讐戦を提示した。
「待たれよ、剱山殿。ゴンドウのような小物の始末より先にやるべきことがある」
 コーマが今にも飛び出しそうな剱山を制した。
 他の当主は怪訝な面持ちでコーマに注目する。
「儀介殿が亡くなってしまって、九家の盟主が不在に成っている。これらから混迷の時代が続く、盟主なしでは各家の細かい利害が紛糾したとき、再び統制が乱れる」
 当主たちは、コーマの言葉に困惑した。
 理屈は分かる。だが誰がこの九家の頭に成れるのか、まさか北条が自ら名乗り出るのかと、疑惑が募って心に深い影を差した。

 コーマは一人の男を指さした。その先には儀翔が立っていた。
 おおっと当主たちがどよめく中で、正臣と零士は全てを察して、笑みを浮かべた。
「儀翔殿、やれるな。あなたが素目羅義を立て直し、九家の盟主と成り、我らを新しい時代に導くのだ」
 コーマがその胸の内を明かすと、当主たちの動揺は更に増した。

「コーマ殿、それは無理だ。九家を束ねるためには、時には力による統制も必要になる。将来はともかく、今の儀翔殿にその力はない」
 コーマに心情的に近い智明でさえ、儀翔の盟主就任には難色を示す。
 儀翔もそれに反論できずに力なく項垂れる。
「智明殿、心配はご無用。儀翔殿が素目羅義当主として真の力を付けるまで、素目羅義の刃として武の面に限った後見人を立てればよい」
 コーマの言葉に智明の顔色が変わる。
「コーマ殿、まさかあなたが後見人に成るつもりか? それはいかんぞ。それこそ九家が割れて戦争になる」
「智明殿、何を先走っておられる。後見人なら、そこにいるではないか」
 見かねて零士が指さした先には、鬼堂新治が立っていた。

 おおっと、当主たちの間からどよめきが聞こえる。
「待て、零士。確かに信治殿の武力は執事と言えども、他の当主に遅れは取らぬ。だが、ことに当たって、執事が九家の頭に立つことは無理があるぞ」
 剱山の指摘は尤もであった。信治の人格や強さを認めているだけに、他の当主たちもその点を惜しんで残念そうだった。

「ならば、執事を辞めればよい。鬼堂家には辰馬殿という立派な後継者がおられる」
 コーマの提案に、当主たちの困惑は更に増した。
「コーマ殿焦らすのもそのぐらいにしてもらおう。執事を降りて信二殿は、何の名目で素目羅義の後見人と成られるのだ?」
 綜馬が痺れを切らしてコーマに問った。

「綜馬殿、コーマはこの手の話をするのは苦手なのだ。だから代わりに私が答えよう。美晴殿、お主は儀翔殿が好きであろう?」
 正臣の問いかけに、美晴は顔を赤く染め恥じらいながらも、さすが鬼の娘、はっきりとした声で「はい」と答えた。
「儀翔殿、この手の話が苦手なのは分かるが、美晴殿がこうもはっきりと答えられたのだ。男としてちゃんと応えるべきであろう」
 正臣に言われ、儀翔ははっとして美晴の顔を見る。一緒にいることが当たり前で、離れることなど考えてもいなかったが、この場の答えによっては美晴を失ってしまう。意を決して大声で告白をした。
「美晴、儂の嫁に成ってくれ」
 美晴がこくんと頷く。

 鳳凰の間はどっと沸いた。不思議なことに悪思念達まで、細かく揺れて二人を祝福している。綜馬が羨ましそうな顔で、美しい美晴の顔を見ている。

「これで何の問題もあるまい。信二殿は儀翔殿の義父(ちち)と成られるのだ」
 正臣の大音声に、当主一同、オーと賛意の声を上げる。
 コーマは正臣に感謝していた。二人の様子から愛し合ってることは見て取れたが、この手の斡旋が苦手なだけに、どうやって二人を結び付ければいいか、そこが分からなかった。下手を打って、二人の愛が壊れたらどうしようと、そこまで考え言い出せなかったのだ。

 コーマは改めて儀翔の方を振り返った。
「この屋敷の裏の主である悪思念どもも、あなたの新当主就任を認めている。ここで改めて素目羅義の当主として、日本国民に掛けられた呪いを解くと約束してもらえないか」
 コーマの願いに、他の当主も固唾を飲んで儀翔の返事を待った。

「もちろんです。コーマ殿。我が手でちゃんと呪いは解きます」
 零士がガッツポーズをした。他の当主も儀翔の答えに満足そうに頷いた。

 儀翔の当主として頼もしい姿を見て、ついに信治の鬼の目にも涙が滲んだ。
 思えば儀燕に惚れ込み、儀燕のために命を捨てる覚悟があった。だが儀燕は儀介によって命を奪われ、素目羅義は暗黒の時代に突入した。そんな中で儀翔だけが希望だった。
 儀翔が新当主と成る日まで、再び儀介の手に掛からぬよう、命をかけて同じ思いの遼真と共に今日まで働いた。
 かっては惚れ込んだ男の忘れ形見はたった今九家の盟主と成り、その地位に相応しい器量を見せた。素目羅義に夜明けが訪れたのだ。これからは遼真と共に、儀翔のために力を尽くすだけでいい。
 重い荷物を下ろすような安堵感が拡がってゆく。

「各々方、祝いついでに儂も話してよいか?」
 顔半分と髪の毛が焼けたままの姿で、雅の傍らに立つ遼真が進み出た。
 二つ鬼のもう一方の申し出に、皆が注目する。
「信二の引退に伴い、儂も素目羅義の執事を辞める」
 周囲に動揺が走る。とりわけ儀翔と新治の驚きは大きかった。
「どうしたのだ、遼真。これからお前の力が一番必要なときだろう。傷が重いのか?」
 信治が遼真の真意を測りかねて慌てて訊くと、遼真は静かに首を振った。
「これからは若い儀翔殿と拓馬が、素目羅義の家を回せば良い」
「お主はこれからどうするのだ?」
 なおも信治が納得できずに重ねて問う。

 遼真は傍らの雅を見つめた。
 雅の手の火傷は、美晴の手当でほとんど治っていたが、もう消えることのないケロイド状の火傷の跡はまばらに残っていた。
 遼真はその手をすくうように自分の手の上に置いた。
「儂はこれから雅殿に尽くす。儂の命は人体発火で一度死んだ。それを雅殿が美しい手に傷を残してまで救ってくれた」
 雅が潤んだ目で遼真を見つめる。
「私と一緒に成ってくれるのか?」
「こんな醜い顔でも良ければ」
 ついに雅の両の(まなこ)から涙が零れ落ちた。
 雅は涙を見られまいと、遼真の胸に顔を沈めた。

「これはめでたい。儀翔殿、慎治殿、これで今川は素目羅義が、最も信頼できる盟友に成ったも同然ではありませぬか」
 常に帰趨が定まらぬ今川に、遼真という信頼できる芯ができることを、正臣は素直に喜んだ。
 他の当主も喜びを露わにする中で、綜馬だけは美しい雅まで他人のものに成ると、その羨ましさに複雑な表情を示していた。そんな綜馬を見て、コーマが楽しそうにクスリと笑った。
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