第78話 信頼が力に

文字数 3,387文字


 ペンダントライトがほのかな光を灯す部屋の中で、八雲は雷と二人の時間を過ごしていた。この時間だけ、八雲は上杉家の次期当主から十六才の普通の娘に戻る。

「この戦いはどこまで続くのかしら」
 八雲は決戦を前にして、胸の中に生まれた疑問をポツンと口にした。
 雷は月明かりに照らされた庭に目をやった。ついこの間、この屋敷を守るために鬼と戦った亜久良と令子が、春日山祭では敵として現れた。いったい何と闘っているのか、そしていつまで戦い続けなければならないのか、迷いを感じているのは雷も同じだ。
「本当の敵は、目に見えている相手ではないのかもしれないね」
「じゃあ、私たちはどうやって闘うの?」
 雷の胸を貫くように八雲の声は鋭く尖っていた。
 小刻みに身を震わす八雲に視線を移して、雷が優しい声で答え始めた。
「演武場で戦ったときに、攻撃の強さ自体はファカルシュ家のラウルほどではないと思った。だから負けるとは思わなかった。だけど、自分たちの攻撃がヒットしても、手応えを感じなかった」
「そう言われてみると、私も同じように感じた。どういうことかしら」
 八雲が不思議そうに小首を傾げた。
 最近、二人でいるとき、八雲はよく女性らしい可愛いしぐさを見せることが多い。
 その度に雷の胸には、この可憐な女性(ひと)を戦いに巻き込みたくない、という強い思いが芽生えてしまう。

「肉体を持った相手と戦う感じではなく、強い意志を相手にしているように思った。そうだなぁ、例えるとすれば九家の思念干渉が、目に見える形に成って攻撃してくるようだという表現が近いかな」
「思念干渉……」
 八雲の顔が曇る。上杉家は肉体による攻撃では無類の強さを誇るが、精神攻撃においては素目羅義や北条ほど得意としていない。

「素目羅義の強さとは質が違うと思う」
 雷は八雲の顔が曇ったのを見て、その憂鬱の原因を力強く否定した。
「質が違う?」
「うまく言えないけど、今度の敵の強さは土地神の強さに似ているように感じるんだ。もし土地神と同質の強さとすれば、人間に対する不信が強さの核だと思う。だとすると明良が樹希を救ったときのやり方が、戦う上での鍵と成るんじゃないかな」
「明良の戦い方?」
「そう、八雲と一緒ならできる戦い方だ」
 話しているうちに、雷は我慢できなくなった。
 両手を伸ばして八雲を抱きしめる。
「雷……」
 八雲は愛する人の名を呟いて、目を閉じて厚い胸に顔を埋めた。

「愛を信じることで不信を打ち砕く、単純だけどそういう戦いなんだと思う」
 八雲は答える代わりに、顔を上げて雷を見つめた。
 雷の唇が八雲の唇に静かに重なる。


「北の国の本拠が分かりました」
 報告書を持つ多恵の手が震えている。
「どこだ」
 剱山は目を閉じたまま、報告の続きを促す。
 八雲と雷の表情が緊張する。
 智成は顔色一つ変えず、多恵の次の言葉を待つ。
「余康子が住んでいた地区の、空き家に成っていたおよそ百戸が全てそうでした」
 多恵が広げた地図には北の国の手に落ちた家がマーカーで記してあった。
「ほぼ、黄色だな」
「はい、これだけの規模となると、どんな罠を仕掛けることも可能です。八雲様と雷様が行く前に、公安によって周囲の確認と可能な限りの掃討を行うべきかと思います」
「そうなると、公安に相当数の犠牲が出る」
 剱山は多恵を包むように温かい目で見つめながら諭した。
 その目に反発するように多恵は声を荒げた。
「警察に入った以上、国民のために犠牲に成ることは覚悟しています」
 多恵の目には決意が籠っていた。

「犠牲に成った者は、少なからず恨みが残る。それは鬼に新たな力を与えることに成る。だから公安の介入はやめた方がいい」
 智成の言葉は使命感に高揚していた多恵の気持ちを一気に静めた。
「私たちは無力ということですね」
 今回の事件では多くの同門の友が傷つき命を落としている。その尊い犠牲が全て相手の力に変わった事実に、多恵は力なく肩を落とした。
「無力ではない」
 剱山の力強い声が部屋中に響き渡り、多恵がすがるような目で剱山を仰ぐ。

「お前もわしも、八雲と雷を信じることはできる。公安の仲間たちにも敵に対する憎しみを捨てて、ただ八雲と雷をひたすら信じるように伝えてくれないか。信頼こそ二人の力に成るとわしは思う」
 静かな声だが、剱山の目には強敵と立ち会うときの厳しさが浮かんでいた。それは剱山自身も憎しみを捨て去り二人を信じようと、自分の心と闘っていることを物語っていた。
 智成はその見事な心理コントロールを、「おお」と声を上げて賞賛する。
 多恵にも剱山の意志が伝わったようで、再び目に力が生まれた。
「分かりました。信じることは難しいことなのですね。私たちも憎しみを捨て、信じることでお二人を応援します」
 多恵は力強い足取りで、颯爽と警察署に戻って行った。


「同じ新潟市内とは思えないほど、過疎化してるわね」
 多恵が届けた情報を元に、八雲は雷と一緒に余康子の住んでいた街に来ていた。
 そこでは、商店街のシャッターは閉まり、人が住む気配のしない家が多く見られた。
「人が生まれ育った場所を捨て去るとき、去る者と残された者両方に悲しみが生まれる。敵はその感情に乗じて、人間不信を生み出すエネルギーにしたんだろう」
 雷は周囲を警戒しながら、八雲と共に康子の家に歩みを進める。
 既に周囲は敵の手に落ちているはずなのに、攻撃の気配はなかった。
 一番危惧していたのは、多方向からの銃撃だったが、その気配もない。どうやら敵は単純な二人の殺害は考えてないようだ。

 康子の家の前に着く。
 雷は蓬平(よもぎだいら)での仲間を分断する結界を思い出した。
「敵は我らの間に流れる時間をずらす結界を使えます。これに備えて、お互いの意識をつないでおきましょう」
 それは剱山と共に考えた結界封じだった。
 八雲とならば、意識をつなげても戦闘力に支障が出ることはない。

 雷は玄関の扉に手をかけた。この前と同じように鍵はかかってなかった。
 家の中に入ると依然と違って、蓬平のお堂と同じように広い空間が広がっていた。
 分断こそされなかったが、既に敵の結界内に入ったようだ。
 更に前に進むとイ・スホの姿が浮かびあがって来た。
 スホは頭部に角が生え、耳が尖り口は耳まで裂けて牙が飛び出し、目の玉が消え白目に変わっていた。その姿は、春日山祭で見たジウを吸収したときの姿と同じだった。

 スホの攻撃を警戒して構えた二人の前に、死んだはずの真杉令子の姿が浮かび上がった。
「令子さん、なぜ……」
 美しかった令子の顔は夜叉のごとく醜く歪み、その目には憎悪の炎が宿っている。
「この女の憎しみは特に強い。肉体は滅びても魂は憎しみの思念となって、この世に残り続ける。今はこの家の結界内に留めているが、結界の外に解き放てば悪鬼となって人間を殺しまくるだろう。結果としてこの女は人食い鬼として歴史に名を残すことに成る」
 スホは楽しくてたまらないという顔で笑い続けた。

「ひどい」
 市民のために戦った令子が人食い鬼として、人々の記憶に刻まれる。あまりのしうちに八雲の胸はひどく傷んだ。
「八雲さま、怒ったり、憎んだりしてはダメだ」
 雷が怒りに身を任せそうになった八雲を必死で引き留める。

「直江雷、お前がこれほど強靭な精神を持っていたとは、予想もしてなかった。お前こそ、我らの計画を狂わせた張本人だ」
 スホは言葉とは裏腹に勝ち誇った顔を見せる。
「お前の要求は何だ」
 こちらが怒りに我を忘れない限り、令子の魂で自分たちを倒すことはできない。雷はスホの狙いを測りかねていた。
「この女の魂を開放してやってもいいぞ。その代わりに今すぐ、お前たちの意識のつながりを絶て」
「くっ」
 スホの狙いはやはり二人の分断だった。
――これだけ手間をかけて、分断する狙いは何か?

 雷の脳裏に自分が惨殺されて怒りに我を失う八雲の姿が見えた。
 怒りの感情に囚われた八雲は、人を信じることをやめて鬼に変貌する。
 フッ、雷は微かに笑った。
「いいだろう。八雲様、雷を信じてください」
 八雲は存外涼しい顔で二人の意識のつながりを解いた。
 あまりにもあっさりと従ったので、スホは一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに元の見下したような表情に戻り、笑い出した。
「ハハハハハ、その自信が命取りだ」
 次の瞬間、雷と八雲の間の次元がずれ、時間の流れが変わった。

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