第40話 覚悟

文字数 3,735文字

「それで、九家会議にて決着をつけることに成ったのですか?」
 素目羅義屋敷から戻った正臣から、会談の首尾を聞いた正長は、思わず決定を聞きなおした。
 正臣は無言で大きく頷いた。それを見た正長は大きなため息をつく。

「これから、どうなさいます?」
 決まってしまったものはしょうがない。正長はすぐに頭を切り替えた。
「やるべきことは三つある。一つは万が一交渉が決裂後、素直に素目羅義屋敷を出してもらえなかった場合への備えだ」
「あの屋敷の中で戦いが始まる想定ですね」
 それは九家会議と聞いたときに、正長も最も危惧した想定だった。
「屋敷の外で戦うならば、勝算も出てくるが、屋敷内となるとこのままでは勝てないだろう。現在の味方に加えて、北畠、武田、今川を味方に加えて、八対一でやっといい勝負というところか」
 正長が心得たとばかりに頷く。
「それではこれから残り三家を味方につけるわけですね」
「そうだ。俺は明日零士と共に奈良に向かう」
「顕恵殿に会われますか」
 正長が複雑な表情をした。
「今日もあやうく真っ二つにされそうになったがな」
 正臣は愉快そうに笑ったが、正長は笑えなかった。この兄は顕恵にならば喜んで切られかねない。
「それで、武田、今川には誰が?」
「それも、俺と正臣で向かう。その後零士は東京に向かい、俺はここに戻って来る」
 零士が代わりに答えた。

「それで残り二つはなんですか?」
 正臣は正長の後ろに待機している烈の顔を見た。
「烈に命をくれと頼まねばならぬ」
「九家会議が開かれると聞いたときから、分かっており申した。この命存分にお使いください」
「待ってください。なぜ烈なのですか?」
「烈が一番強いからだ。九家会議後の戦いは、勝つことよりも、味方を一人でもいいからあの屋敷から逃すことが目的となる。そのためには、楠木は捨て石となるが、それも生半可な武力では全滅する。少しでも高い可能性を求めて烈に我が供を頼んだ次第だ」
 その場の一同は、言葉なく項垂れたが、ただ一人零士だけは顔を上げた。
「できればコーマに助かって欲しいが、奴のことだ、そのときには自分の運命を、サキヨミで知っているんだろうな」
「俺たちの運命もな」
 言ってから正臣がふっと笑う。生まれたばかりの昂亜の顔が浮かんだ。
「それも辛いことだな」

「では三つ目にやるべきこととは」
「儀介殿を篭絡したあの女のバックと目的を知り、陰謀を潰す手立てを打つ」
「大森真由美という女ですね」
「そうだ。今回の会談はあの女によって、全ての目論見が水泡と化した。だがあの女の目的が単なる九家の分裂だけとは思えぬ。そこに乗じて何かするはずだ。あの女自身か、それともあの女を操っている誰かが」
「それを防ぐためにバックと目的が知りたいのですね」
「そうだ。だからそれを調べるために、俺は武田と会った後で、ここに戻って来る」

「今の案について大幅な修正を要求します」
 烈の後ろから声がした。
「どうした信、何か抜け漏れがあったか?」
 正臣が怪訝な顔で信の顔を見た。
 信はこの座の中で一番晴れやかな顔でいた。
「はい、大事なことが二つ抜けております」
「なんだ」
 正臣だけでなく、正長と父親の烈も不思議そうな顔で信を見た。

「正臣様と零士様は、明日すぐに東京に戻らねばなりません」
「それは無理だ。今言った三つの手立てができなくなる」
「いえ、正臣様は東京に戻り教え子たちに会い、真の九家の道を正臣様ご自身の口から教えなければなりません。そして、九家会議のときに暴発して、素目羅義屋敷に襲撃など掛けないように、言い聞かせる役目がございます」
「あっ!」
 確かにその可能性はある。こんなことで、次世代の大切な宝を死なすわけにはいかない。そしてこれは確かに正臣にしかできない仕事だった。

「そして零士様、零士様は杏里紗と十分に納得できる別れをする必要があります。そうでないと杏里紗は後を追います」
 零士は冷や汗を掻いた。確かに杏里紗はそのぐらい情の深い女だ。しかもその愛情を注ぐ相手は、今は自分しかいない。不思議なのは、なぜ杏里紗の性格まで、関西にいる信がこんなにも正確に把握しているのかということだった。
「信、杏里紗に会ったことがあるのか?」
 信は微笑を浮かべて否定した。
「とんでもない。お顔も存じません。ただ、私の友人の女性に、零士様と杏里紗の馴れ初めから今までを話したことがあります。そのとき、その女性は零士様の死は杏里紗の死につながると予言しました」
「信、その女性とはどなたのことか?」
 正臣も見当つかずに思わず尋ねた。
「鬼堂新治様の娘の美晴です」
――鬼の娘か。
 その気働き、洞察力、見事の一語に尽きる。ここにも次世代が確実に育っている。正臣は感慨に浸った。

「信の言うことは分かった。確かに最優先すべきことだ。だがそうなると、先の二つの手配が疎かに成ってしまうな」
 正臣は少し困った顔をした。ここでも万全の手配を引くつもりが、初手から破綻しようとしている。
「我らに全てお任せください」
「我らとは?」
「私と美晴、そして素目羅義儀翔です」
 まだいたのだ、頼もしい新星が。

「三家の説得、我ら三人が当たります。お味方になってもらえるよう、誠意を尽くすつもりです」
 必ずとは言えぬことは、正臣は分かっていた。
 北畠は素目羅義に逆らうことはできない。家の宿命なのだ。そして、武田と今川は独自に九家の利権を独り占めにする野望がある。特に北条と里見のテリトリーは首都圏だけに魅力に溢れている。ここで当主の命を奪い、その後で共同して攻め込む密談を交わしている可能性が高い。
 それでも次期素目羅義当主の儀翔が行けば、話は変わるかもしれない。少なくとも北畠の立場は守られやすくなる。

「それで大森真由美はどうする」
 正臣は残る一つの憂いを口にした。
「それならば既に大方調べがついております」
 正臣は唖然とした。何という早業であろうか。
「大森真由美は儀介殿が入院したその日に、京都中央病院で働き始めました。そして緊急救命の入院患者担当となっています。この偶然の陰には、全て事務長の黒田が関わっていました。なおも調べると、黒田には三千万円を超える借金がありました」
 一流の探偵事務所並みの調査能力だ。おそらく儀翔が思念干渉を使ったのだろう。
「黒田が借金のことで相談する法律事務所があります。そこを調査した結果、その事務所は四つの会社を経て、グリムスターに関係する会社だと分かりました」
 黒幕はやはりグリムスターだった。
 これで、ファカルシュ家の襲撃から入院、真由美の登場と偶然とは考えにくい、一連の流れの説明がつく。
「また、病院関係者への聞き込みから大森真由美は、入りたての頃は黒田の愛人ではないかという噂があったことが分かりました。ということは黒田の借金も大森絡みで、彼女はグリムスターのハニートラップ要員ではないかという推測が立ちます」
「なるほど、相手がグリムスターなら目的は、仮想通貨による日本の金融支配と北条ファンドの乗っ取りか」
「これだけの手を尽くしても十分な見返りかと思います」
「すぐに明良に知らせて対抗策を打たせよう」
 同時に明良は手が塞がり、九家会議に首を突っ込むことはできなくなる。

「正臣様、もう一つだけ気に成ることがあります」
「今言った全ての手配がうまくいった上で、大森の話を儀翔がすれば、素目羅義の二つ鬼もこちらの味方になるか、手出しはしなくなると思いますが、それでも懸念すべき点が残ります」
「なんだ?」
「儀翔の話では、素目羅義には『七幽星』と呼ばれる、素目羅義屋敷の護衛に特化した殺人集団があるそうです。その戦力は二つ鬼をはるかに凌ぐということです」
「七幽星? 知らぬな。儀翔殿はどんな相手だと言っていた?」
「儀翔も詳しくは知らないようです。当主だけが使える部隊だと言ってました」
「それはやっかいな敵だな。もしこれに今川、武田が加われば、やはり我らの全滅は必定か。さすがは素目羅義といったところか」
 明るく灯りかけた希望の光が、またもや暗闇の中に消え落ちてゆく。

「俺は平気だよ」
 零士が明るく声をあげた。
「これだけ次世代に優秀な人材が残るんだ。何を心配する必要がある。俺は杏里紗に里見の種子を残してもらうことだけを考える。それを遺言とすれば、杏里紗の生きる希望も残るはずだ。それならば俺も何の悔いなく戦って死んで行ける」
「いざとなるとお前の覚悟は凄まじいな」
 正臣と零士がハイタッチして、笑いあった。

「これも明良のおかげだ。あいつが母の命を助けられるということが、俺に大きな希望を与えてくれる。九家が残酷な宿命から逃れることができたんだ。もう、何も恐れることはない。あいつらのためにより良い未来を残してやろう。さあ、明日は出立だ。今宵は皆で酒を酌み交わそう」

 烈が用意していた酒を、零士が自ら封を開けて杯を回す。
 楽し気に語らう零士の姿を見て、正臣は惜しいと思った。
 この男にこそ生きて残って欲しい。
 これからの九家には、この男の明るさこそ必要だ。

 九家の当主を全員死地に送る以上、それは叶えられる望みでないことも承知していた。
 せめて、死ぬときは笑って一緒に死んでやろうと決意した。
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