第49話 立ち上がるプリンス

文字数 3,523文字

 儀翔は迷っていた。
 儀介は見るからに狂っている。最早日本と帝の行く末を思い、人々の平穏な暮らしを見守っていた尊敬すべき祖父ではない。
 素目羅義を盛り立て、力を合わせてきた九家の当主たちが、九家の盟主の手によって、いや九家の盟主を操っている誰かの手によって、窮地に陥っている。
 それが分かっているからこそ、二つ鬼は七幽星に武器を渡さないのだ。

 コーマの左腕が発火した。火は一瞬で消し止められたが、左袖は焼け腕に火傷を負っている。このままでは他の当主にも同じ運命が待っている。
「逃げませんな」
 信治が呟いた。
「逃げるとはどういうことだ」
 儀翔が問う。
「強力な攻撃が来ない今なら、八家が結束してあの扉を開くことができます」
「なぜ、しない」
 儀翔は可能であれば逃げて欲しかった。

「我々のことを心配してるのでしょう」
 遼真がこちらを向いて答えた。
「我々を?」
「八家の当主がこのまま脱出したら、儀介殿を操っている者の怒りは我らに向くでしょう。我ら二人と美晴を焼き殺すだけでは足らず、その矛先は儀翔殿、あなたにも向くことは必定」
「だから逃げぬのか?」

 儀翔は唇を噛んだ。
 迷っていた。あれは既に祖父ではない。誰かに操られた魔人であることは疑う余地はない。頭ではそれが分かっていても、心が痛むのだ。父を殺した男であっても、育ててもらったことは間違いない。頭の片隅に残る儀介と共に過ごした幸せな時間を、振り払えないでいた。

「あっ」
 儀翔が唇を噛み破ったのを見て、美晴がハンカチを出して血を拭う。
 拭う手を押しやって、儀翔は歯を食いしばる。
 美晴が切なそうな目でこっちを見ているのに気づく。
 見つめられるのが苦しかった。九家のプリンスは、こんなにも愛する者を悲しませながら、なお決断できない自分を責めた。

「死んでやらなければなりませぬな」
 遼真はそう呟くと、ついに主家に弓を引く決断を下し、コーマの下に駆け寄った。
「ふっ、遼真は自分に正直でいたいと思ったのですな」
 信治は慈愛に満ちた目で、儀翔を見た。
「自分に正直でいたい?」
 儀翔は忠義に厚い二つの鬼の気持ちを測りかねていた。
「遼真は九家の当主を誰一人として失いたくないのですよ。彼らこそ日本を強い国に導てくれる者たちだと信じているのです」

 儀翔には衝撃的な言葉だった。主命とあれば、自分の心を捨てることも厭わない者だと思っていた。事実少し前まで、儀介の命で楠木への侵攻を繰り返していた。
「主家に背いてでもか?」
「遼真は主家に背いたとは思っていません。この会議が始まる前から、神輿として担ぐべき当主は儀翔様だと決めていたようです。あなたからの指令を待っておりましたが、ついに我慢しきれずに飛び出して行きました」
 信治の顔に寂し気な微笑が浮かんだ。

 心情的には信治も当主たちを救いに行きたいのだろう。だが、自分が迷って決断を下せないので、ここにいるのだ。
 遼真は行ってしまったが、決して素目羅義を、いや自分を見限ったわけではない。
 最終的に儀翔が立ち上がることを信じて、命を捨てに行ったのだ。
 そして信治はまだここに残っている。
 信じているのだ、自分が立ち上がることを。

「儀翔殿!」
 戦っている当主たちの方向から自分の名を叫ぶ声が聞こえた。
 声の主はコーマだった。
 遼真の助太刀で声を出す余裕が生まれたのだ。
「迷う気持ちは分かる。しかし目に見える姿を信じるな。空蝉は見えることばかりではない。あなたの祖父の心は消え、ここにあるのは他の者の心だ。残っているのは姿かたちのみと思え」

「コーマ殿」
 儀介は小さな声でコーマの名を呼び、その言葉を理解し、悲しみから涙を零した。
 祖父の心は消えたのだ。消したのは今祖父の身体を操っている者。
 自分は祖父のために、危険な思念を放つ祖父の脳を、この世から消し去らねばならない。
「ホウ」
 信治は儀翔の顔つきが変わったことに気づき、戦っているコーマに視線を向け、感心したように頷いた。

「素目羅義のしもべたる七幽星よ、そこでお前たちに命を下す者は素目羅義の当主ではない。我こそ素目羅義の新当主、素目羅義儀翔だ。直ちに攻撃を止め、元の思念に戻れ」
 儀翔の声は凛として部屋中に響き渡った。
 素目羅義の新たな主の言葉に、部屋の四隅に置かれた鳳凰像が共振したからだ。
 七幽星はゆらゆらと揺れ始め、やがて形を留めることができなくなり、その姿を消した。

「お坊ちゃまもやるのう。以前の儀翔とは別人じゃ」
 雅は自分のところに交渉に来た儀翔の姿と見比べて、急激な成長を感じて思わず賞賛の言葉を口にした。

「ぎっしょー」
 儀介は自分の術が儀翔によって破られたと悟り、怒りで顔を真っ赤に染めながら、その名を呼んだ。
「祖父に逆らい、新党首などと、戯れもいい加減にせい。今すぐその身体灰にしてくれる」
 怒りに燃えた儀介の思念が儀翔に向けられた。
 これに対し儀翔も思念を返すが、じりじりと押される。
 このままでは儀翔が焼き殺されてしまう。

 ボウ!
 ついに人体が発火したが、発火したのは儀翔ではなく、思念を遮るように儀介の前に飛び出した遼真であった。
 燃え上がる遼真に近寄り両手をかざす者がいた。
 雅であった。
 雅は両手が焼けるのも構わず、遼真の身体に思念を送り続け、火を消し止めた。
 遼真は顔の右半分が焼けて髪の毛を全て失ったが、痛みなどものともせず、両手に火傷を負い思念を放出しすぎて倒れ掛かる雅を抱きとめる。

「なぜ、こんな無茶なことを。美しい手が……」
 遼真は火傷によってケロイド状になった雅の手を見て、言葉に詰まった。
「遼真殿の身体に触れることができなくなったら、この手などあっても無用。ずっと見てきたのじゃ。私の想いは分かっておったろう」
 雅の声は弱弱しい。
 遼真は雅を抱き上げ、美晴の下に駆け寄る。
「美晴、手当てはできるな」
「遼真殿の方が先では」
 遼真の右顔面は皮膚が溶けて、ぽろぽろと落ち始めている。
「いいから雅様の手を治せ」
 遼真の激しい声に押されて、美晴は雅の焼けた手に自分の手を当て、手当てを始めた。

「遼真、お主大丈夫か?」
 見ると遼真は右の眼球も焼けて潰れている。心配そうな信治に対し、遼真はにやりと笑う。凄絶な笑顔だった。
「信二殿なら、この程度で引っ込むか?」
「それはないな」
 恐るべき二つ鬼の会話に、儀翔は歴戦の強者(つわもの)の凄まじさを感じ、武者震いした。

 一方儀介は七人の当主に取り囲まれて、思うようにいかない怒りに身体を震わせた。
「儀介殿の身体に宿る者よ。お前はもう何もできないし、どこにも逃げられない。観念してその正体を現せ」
 正臣が降伏を勧告する。
 進退窮まったと思われた儀介だが、意外にもその顔には笑いが浮かんだ。
「素目羅義の能力は凄まじい。これで終わったとでも思っているのか」

 儀介は大きく息を吐きだし、次いで息を吸い込み始めた。その動作に合わせて部屋中に散った悪思念が、再び渦を巻いて儀介の身体に取り込まれ始めた。
 悪思念を取り込んだ儀介の身体は、一回り大きく成り、顔はどす黒く色を変えた。
「お前たちは皆殺しだ」
 儀介が両手を振り下ろすと、恐るべき思念の大波が当主たちを襲い、一メートル後方に吹き飛ばされた。
 すかさず、儀介は発火の思念を当主たちに向けて、放出する。
 コーマが天眼を開いて、この思念を辛くも跳ね返す。

「お主の天眼もいつまで持つかのう。儂はこの屋敷にいる限りエネルギーとなる思念に限りはない」
 再び儀介は大きく深呼吸して、悪思念を体いっぱいに取り込む。儀介の身体は更に大きさを増した。
 集まった思念の総量の大きさに、当主たちの顔にも諦めの色が浮かんだ。
 次の攻撃で焼き尽くされると、覚悟を決めた顔だった。
「次で最後か」
 コーマは天眼を使えるのは、もう一度だけと分かっていた。
 脳は焼き切れるように痛む。

「では、食らえ」
 儀介の思念が再び当主に向けて放出された。
 当主たちは思念を集中させこれを受け止めたが、圧力に押されて、再び叩きのめされる。
「とどめだ」
 儀介が人体発火の思念を放つ。

 コーマが最後の力を振り絞って天眼を開こうとしたとき、大きな力が自分たちを包んでいることに気づいた。
 その力は、強大な儀介の思念をはね返した。

「何奴じゃ」
 儀介は勝利を確信した攻撃を、見事にはね返した相手に向かって叫んだ。
「もう、その攻撃は効かないよ」
 どこかで聞き覚えのある声がした。いや音としてではなく、思念が伝わって言葉として捉えたのだ。
「まさか」
 コーマはもう一人の天眼が、自分たちに大きな思念を送ってくれているのをはっきりと感じた。
 それは今迄感じたことのない強力な思念だった。
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