第45話 七日目(2)

文字数 1,697文字

今日も早々に諦めた総代と別れた鶴来と賀喜は、信者達の視線を感じながら階段へ向かった。目指すは宗祖の元。何の罪も確定していない彼をショック死させる理由はない。急ぐあまりにアウターを着たまま部屋に入っても、宗祖が上げる声はいつも通り。
「アア。」
リクライニングで身を起こしていた宗祖が時計仕掛けの様に振り返ったので、今日の彼は窓の外を眺めていたということ。霊園にはもう不穏な空気が立ち込めているのである。
「おはようございます。」
鶴来と賀喜が声を揃えると、宗祖は焦点のぼやけた目で二人を眺めた。昨日と比べると、調子はかなり悪い。
「今日も話を伺いに来ましたよ。」
喋りながら宗祖のベッドに手を掛けた賀喜がカーテンを閉めると、ダウン・ジャケットを脱いだ鶴来は中村にラインを入れ、笑顔で椅子に腰を下ろした。されるがままの宗祖が視線を向けたのは鶴来。
「本当ニ毎日ヨク話ヲ聞キニ来マスネ。」「そうですね。仕事なんです。すいません。」
「仕事デスカ。マア、ソウデスネ。」
脱いだコートを丁寧に畳み、遅れて腰を下ろした賀喜は、宗祖の態度に見え隠れした違和感に触れた。
「どうかしましたか?」「イヤ。私ハ、別ニ聞キタクモナイアナタ達ノタメニ、自分ノ思イ出ヲ話サナクテハナラナインデスネ。」
含み笑いをした鶴来は、遅れて宗祖の気持ちに寄り添った。
「本当にそうですね。でも、個人的にも関心がありますよ。話を伺っていて、正直なかなかないと思いますから。」
宗祖が何も答えずに瞼を閉じると、鶴来の微笑みは苦笑に変わった。年老いた彼が聞き取れなかっただけの可能性もなくはない。
「今までに講演会とかで喋られたことがありますか?もしもあれば、先にそっちを当たりますよ。」
鶴来と賀喜がこの場を離れることはないが、気遣う姿勢は欠かせない。宗祖は閉じたばかりの瞼を開け、斜に構える鶴来を眺めた。
「窓ノ外カラ気ヲ逸ラサナクテイインデスカ?」
鶴来と賀喜が素知らぬ顔をしたところで、宗祖は二人の目的に気付いている。やがて忘れるとしても今は今。馬鹿にしてはならない。
「私ダッテ、イイ加減ニ気付キマス。理由ハ知リマセンガ、私ニ窓ノ外ヲ見セタクナインデショウ。」
同情されているとは夢にも思わない宗祖にとって、それは謎の時間だった筈である。賀喜は宗祖のために優しい笑顔を見せた。
「今まで黙っていてくれたのなら、そのまま黙って付き合ってくれませんか?」「きっと、その方が皆幸せですよ。断言出来ます。」
鶴来も続くと、宗祖は自分よりも遥かに若い鶴来と賀喜の顔を順に眺めた。しかし、並んだ二人の笑顔は、当人達も自覚する偽善。目を静かに閉じた宗祖は、鶴来が部屋の時計を探し始める程の沈黙の後、震える瞼を開いた。
「ドコマデ話シマシタカ?」
心の中でどんな葛藤があったのか知らないが、宗祖は取敢えずこの状況に納得したのかもしれない。皺だらけの彼を慈しむ様に見つめた鶴来は、いつも通りに前日の彼を笑顔で教えた。
「総代が仲間になって、思惟の会が大きくなり始めた頃、トルコ人グループの一人が亡くなったんですよね。それでムスリムのお墓の問題を解決しようとしたら宗教法人申請をする必要があって、宗教の道に踏み込むかどうかという話でした…、よね。」
鶴来がレコーダーを取出すと、賀喜は笑顔で一言付け加えた。
「三週間も議論し続けたと伺って、少し羨ましくなりました。」
遠い目をした宗祖は唇を微かに動かし、声量を徐々に上げた。
「誰ガ仲間ニナッタ時デスカ?総代デスカ?」「総代です。ただ、その後、もう少し話を伺いました。サヒンさんという方と話しに行って、…。」「解体工事の現場で事故があったんですよね。」
鶴来の答えに賀喜が声を重ねると、宗祖は視線の先を静かに移した。
「ソウデスネ。ソンナコトモアリマシタ。」
口を半ば閉じた宗祖はか細い呼吸音を聞かせた。何を語る気配もない。賀喜の不幸は、何が心を襲ったのか、鶴来も固く瞼を閉じたこと。例の癖である。
宗祖のために浮かべていた笑顔を消した賀喜は、吸い込まれる様に天井を見上げたがすぐに俯き、やがて窓を覆うカーテンを眺めた。昔話が始まるまで、もう少しの筈である。
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