第13話 二日目(5)

文字数 4,711文字

夕食を終えて、夜の捜査会議。シングル・ディンプルに結んだタイが映える橋本以下のすべてのメンバーが揃うと、月城は手始めに清水に報告を求めた。事前の雑談で、彼が確かな情報を持っていることを皆が知っている。準備万端の清水はノート・パソコンの画面をモニターに投影した。
「ホトケ(遺体)の傍で見つかった容器を洗った結果について共有します。」
清水が拡大して見せたのは容器の外観写真。
「昨日、報告したプラスチック製の容器ですが、材質識別マークがないので、一九八八年より前につくられた可能性が高いです。また、赤外分光分析の結果、芳香族環を含むポリエステル樹脂であることが分かりました。スーパー・エンジニアリング・プラスチックのポリアリレートだと思われます。用途はいろいろありますが、目薬等の医薬品の容器としても使います。開発されたのが一九七三年ですから、七三年から八八年の十五年程度の間に製造された製品です。ポリアリレートは紫外線を吸収するとフリース転移反応という現象で黄色くなりますが、特に変化がないので、製造直後からどこかにしまわれていたか、持ち歩いたとしても人目に触れない様にしていたものと考えられます。内容物を考えても、この薬剤のために用意した容器である可能性が高いです。」
月城は清水の並べた事実に人の情を重ねた。彼だけの特権である。
「闘病生活を続けていたマルガイの妻の由美子さんが安楽死を考えていた可能性は否定できない。問題は薬の入手先と考えられる。」
頷いた清水だが、それは鑑識の職域の外。回答を見送り、淡々と続けた残りの報告に大した中身はなかったが、執拗に拘る月城のせいで瞬く間に三十分が過ぎ去った。
月城の次のターゲットは剣道フリークス。今日一日、一番足を使ったという噂の彼らである。指名されたのは年長者の岡部。
「次、岡部。」「はい。それでは調査結果を岡部が報告します。今朝、マルガイの勤務先を訪問し、上長に話を聞きました。マルガイは六十歳で定年した後、再雇用されています。夫婦に子供はいません。長年、闘病生活を続けていますが、海外旅行も楽しんでいることは皆が知っていて、お土産は職場の名物でした。手術の時には職場の皆で寄せ書きや花を送ったりしていた様です。」「旅行先はどこか。」
月城が知りたいのは安楽死が認められる国への渡航歴だが、一日ですべてが調べられる筈もない。
「すいません。年に一回は海外旅行をしていたとしか聞けていません。東南アジアと欧米の様でしたが、確認します。」
岡部は軽く頭を下げ、自分の思うシナリオに戻った。
「上長は、マルガイのことを無口だが信頼でき、温厚な人柄だったと評価しています。最近、お土産がなくなったことには気付いていて、奥さんが亡くなって、やっぱりという感じだった様です。」
微妙な違和感が無視できなくなった賀喜は、首を鳴らした月城に向かって小さく手を挙げた。
「賀喜。」「はい。二人は最後には新興宗教に頼っています。本当に職場で上手くいっていたのでしょうか?」
岡部に視線で促されると、浦野はモニターに自分のパソコンの画像を投影した。現れたのは一枚の写真。机の上に、花ばかりか大量のお菓子や缶コーヒーが溢れ返っている。
「これがマルガイの職場の机です。上長の指示で花を一輪置いたら泣き出す人が出て、昨日のうちにこうなったそうです。」
浦野は、皆の表情でタイミングを窺いながら、手に入れた写真を順に投影した。但し、喋るのは岡部。
「これは会社のイベントに参加していたマルガイの写真です。この頃はまだ奥さんも一緒で、どの写真も本当に楽しそうです。」
岡部の言葉が尽きてもイベントの写真は終わらない。妻の看病に生涯を捧げた勉は、会社のレクリエーションにも熱心に顔を出していた様である。最初は首を傾げていた鶴来と賀喜も、数十秒後には小さく頷いた。小鳥遊夫婦が職場で楽しくやっていたことを疑うのは不自然。誰もがそう思った矢先、中村が別の見方を教えた。
「まあ、本音はまた別でね。職場で笑顔だから本当に楽しかったかと言うと、それは分からないし。僕なんかが見ると、二人の表情は明るいけど、他の御家族はお子さんもいて、それなりに寂しい時間があったかもしれないと思うよ。」「仰る通り。」
何かが心に響いた月城は短い言葉で中村の声に力を添え、確認を続けた。
「職場にマルガイが相談できる様な関係の人間はいないか。」「いません。年齢もありますが、逆に皆の相談にのる方で、誰かに相談することは一切なかった様です。」
「特に仲のいい友人はいないか。」「一緒に分譲住宅を購入した、同期のやはり嘱託の方がいます。海外旅行も一緒に行っていたぐらいですが、その夫婦が子供を授かる前の年が最後の旅行で二十年以上前です。上長は生活のパターンが変わったせいじゃないかと言っていましたが、係長が仰る通り、子供のいない小鳥遊夫婦が避けた可能性もあります。」
モニターを眺める賀喜の顔が曇って見えたのは、多分に独身という彼女のステレオタイプの仕業。一瞥した中村は何に触れることもなく、中途半端に話を止めた岡部のネジを巻いた。
「その後、病院を回ったんだよね。」「はい。由美子さんは闘病生活が長く、病院関係者と縁が深かった様です。薬の入手先は病院関係者と考え、由美子さんのかかっていた病院を調べました。手術のために転院を繰返して、最期は教団の運営するサンタ・アーモ診療所で迎えています。」
自信に満ちた眼差しの岡部がつくった沈黙は長いので、病院の報告はこれだけ。由美子のかかった病院の数が多過ぎるのである。思いの他の情報の薄さに月城が渋い顔を見せ、浦野の表情が曇ると、岡部は急いで説明を加えた。
「あと、由美子さんの死亡届の診断書の部分を確認しました。直接死因は心不全です。」
十分に足を使った岡部の報告だが、彼らのすべてを親の目で見る月城には、やはり何かが物足りない。
「原死因は?」
原死因とは直接死因の原因である。
「空欄でした。ただ、由美子さんも同じ薬剤で死んだ様に思えます。」「根拠を説明する様に。」
「現状、特に…。」「勘弁してくれるか。」
不用意な発言に月城は思わず感情を露わにしたが、背を伸ばした岡部は言い訳を続けた。剣友の絆が甘えを生んでいるのは確か。
「すいません。ただ、昨日の捜査会議で疑わしい教団の信者と聞きました。自分も子供の頃から教団の悪い噂を聞いています。なくはないと思います。」
中村は、思わぬ流れ弾に顔を逸らした鶴来と賀喜に目をやった。強行犯係の全滅を避けるには助け舟が必要である。
「でも、安楽死なら確かにヴィーヴォの信者はやりそうでさ。土葬もそうだけど、結局、どこか他所の国のルールを真似てるんでしょ。」
評価の訂正を待つ剣道フリークスが月城の表情を窺うと、腕組みしたまま、すべてを眺めていた橋本が顎を上げた。
「由美子さんの死因って、調べようと思ったら出来る?」
中村に釣られて強行犯係を庇っただけだろうが、基本的に喋らないことが前提の橋本の発言は重い。瞳が揺れる間に心中の答えを見出した月城は、改めて岡部を見据えた。
「由美子さんが亡くなったのはいつか。」「二か月前、十二月十八日です。」
「清水、遺体から薬剤は抽出できるか。」
その場の皆が月城の言葉に潜む不気味な響きに気付いたが、清水はプロとして聞かれたことだけに答える。
「遺体を燃やしていない様なので、可能性はなくはないです。死後二か月ですから土の中でも内臓は腐敗していると思いますが、ものが棺の中に残っていれば検出できるかもしれません。」
腕組みする橋本の表情を確かめた月城は一人で何度か頷き、皆が朧げに脳裏に思い描いた答えを声にした。
「明日、小鳥遊由美子さんの墓を開ける。それではっきりする。」
鶴来は咄嗟に手を挙げた。組織の忖度が公務にすり替わり、何も知らない一般人に迷惑が及ぶいつもの悪い流れ。今日は無視できないレベルである。
「すいません、課…。」「今しか出来ない。」
月城は教団への疑念をこの機に払拭するつもりに違いない。すべてを自分に任せる橋本が声を発したことに、単なる不審死の枠組みを超えた深い意味を求めたのである。食い気味の即答に口を閉じかけた鶴来は、しかしもう一度手を挙げた。
「課長、違います。」「何か。」
「はい。あの霊園ですが、宗祖の部屋から丸見えです。寝たきりですし、目も余り見えてないかもしれませんが、今日、マルガイのことを伝えたら泣いてしまって、話になりませんでした。墓を掘り返すのを見られると少し怖いです。それこそ余程の根拠がないと。」
月城の言葉を使って、暗に方針の転換を求めたのだが、無敵の月城は宙を睨んでから一同の顔を見渡した。
「当然、目隠しはする。夫婦には親族がいない。遺体が残っているなら、真実のための糧になってもらう。警察が気に病む相手は当の由美子さん一人。他人の宗祖が想像で傷つくかは関係ない。」
中村は月城を放っておかない。
「掘り返してる間、二人で宗祖の所に行ったら?部屋を移ってもらうとかさ。出来ない?」
鶴来が探った賀喜の表情に確たる抵抗は見えない。
「まあ、総代にお願いしたらいい様な気がしますけど、俺達でも出来なくはないと思います。」
今の網代警察署はとにかく月城の指示通りに動く。大きく頷いた月城は、その後四十分に渡って、霊園の捜査手順の確認を進めた。
鶴来と賀喜の出番が回ってきたのは、座り疲れた皆が二人の報告を半ば忘れかけた頃。事前の雑談の段階で優先順位が低いと判断されたのである。土葬への地域住民の反発に配慮した市役所の超法規的指導のせいで、市の埋葬許可証が偽装されていた可能性があること。保管年限を理由に、霊園が古い埋葬許可証をすべて廃棄していたこと。あとは総代から聞いた教団の成り立ちと宗祖の現在ぐらい。清水達の報告と比べると捜査に繋がる情報はないに等しい。何度か失笑も起きた説明が終わると、それでも月城は野太い声を響かせた。
「許可証の写真を。」
予め用意していた賀喜は、鶴来と撮った写真をモニターに手際よく投影した。発行日を皆で眺め、疎らな指摘を重ねること十分。殆どの声の主は月城である。
脈絡のない発言と長引く沈黙。今日の会議の終わりを感じた橋本が咳払いをすると、月城は軽く頭を下げた。規定演技は終了。鶴来と賀喜の今日一日の釣果はゼロである。
「本日は以上となります。最後に署長から一言頂けますでしょうか。」
橋本は中曽根と顔を見合わせると小さく頷き、続けざまに会議室を見渡した。
「皆さん、ご苦労様です。お分かりだと思いますが、明日の捜査は大変なものになります。棺を開けてガスで泣くとか、死体が弾けるとか。いろいろありますが、まあそれはご愛敬です。私が気にするのは墓を開けても成果がないことです。責任論ではありません。人として、人の墓を開けるのは大変なことです。職業柄、自分が特権を持っていると勘違いすることなく、気持ちを強く持って、常識を見失わないでください。捜査自体については、仮に夫婦が同じ薬剤で死んでいた場合、大きな展開があるかもしれません。但し、それは長年この地域で活動してきた教団の否定にすぐに繋がるものではありません。現時点で地域の一員である教団との関係に一切の禍根を残さない様に、細心の注意を払ってください。」
明日の捜査方針を決定づけたのは橋本の適当な一言だが、どこか月城に釘を差す様な説教にも、捜査本部の面々は迷わず頭を下げた。理由を問わず、すべては月城の責任。小鳥遊由美子を永遠の眠りから覚ませと彼が言えば、覚めるまで揺さぶる。それだけである。
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