第68話 九日目(10)

文字数 1,753文字

「勉さんは自殺でいいんじゃないですかね。薬の入手経路も分かりましたし、再発の恐れもないんですから。警察として、誠意は尽くしたと思いますよ。」
中村の言葉に月城が頷く間に、総代は不意に頭の位置を移した。モニターに現れた宗祖のメッセージを読むためである。
「何がどうなっているのかと宗祖は言ってます。」
宗祖の頭には総代が枕元で語った内容が何も入っていない。すべてを疑えば、宗祖の思う事実と内容が違い過ぎるのかもしれないが、認知症というレッテルはすべてを凌駕する。宗祖の顔を覗き込んだのは、彼との縁を少なからず感じている賀喜。
「総代に警察に来てもらうことになります。ちゃんとお別れをされた方がいいかもしれません。」
賀喜の言葉に先達ての中村のそれと大した違いはなく、名前を出された総代の反応も小さい。老人の過酷な世界を理解したつもりの賀喜の一言は、しかしモニターの文字を一気に増やした。身動きの取れない宗祖の心に、何かのかたちで響いたのである。
「これでお別れならあなたの未来を伝えますと言ってます。信じないでくださいよ。」
総代は釘を差したが、宗祖の表情を観察した賀喜は姿勢を正し、プライベートの賀喜彩花の含み笑いを見せた。事件のゴールが見え、気が緩んだのかもしれない。恋愛に健康、金運に昇進。まだ若い彼女には占いに人生を任せてみたい気持ちが残っているということ。皆が一応眺めてみたモニターに文字が現れると、総代は今まで以上に顔の皺を増やし、宗祖が告げた賀喜の未来を声にした。
「あなたはこの後死にます。」「はい?」
賀喜の笑顔が強張ると、総代は短い言葉を繰返した。
「賀喜さんはこの後死ぬと言ってますね。」「同じものを見てますけど何ですかね。」
笑顔に苛立ちを混ぜる賀喜をたしなめたのは中村。
「古いですけど、きっと命短し恋せよとかですよ。」
鶴来が苦笑する前で、賀喜は総代と宗祖の間に無理に割り込んだ。嘘に決まっているが、見事なまでの暴言である。宗祖の肩に触れる力は流石に弱いが、気持ちのせいで声量は下げられない。
「宗祖様、取り消してください。酷過ぎます。」
気を揉んだ総代は何度か手を伸ばしたが、賀喜の背中には老人が触れられないオーラがある。モニターにも変化はない。声のない時間が皆の視線を宗祖の顔へと引き付けたが、肝心の宗祖は口を開いたまま、人形の様に固まっている。時間が過ぎれば過ぎる程、皆の不安は呼応する様に高まっていく。
「宗祖様、大丈夫ですか?」
賀喜の苛立ちの言葉が体調への気遣いにすり替わり、空気が張り詰めると、ひとりで平静を保っていた総代が口を開いた。
「聞こえてますと言ってます。」
モニターに文字が現れたのである。その数はゆっくりと増えていく。
「あなたが言ったことを言ったんです。」
宗祖の言葉を代弁した総代は頬を緩ませ、皆の顔を振返った。
「出鱈目も言いますけどね。さっきの賀喜さんの言ったことが気に入らなかったんですよ。お別れという響きが、自分が死ぬみたいに聞こえたんです。だからただの悪口です。こんなになってもまだ喧嘩をしようとするんですから、人の心は不思議です。」
頷いたのは頭頂部の毛の薄い中村。
「私も二十歳から変わってる気がしないんですけど、やっぱりそのままなんですね。」
ひとまず安心した賀喜は総代の視線の先を追い、モニターの文字が増えていくのを見つけた。
『ちがいます』
宗祖にとって黙っていられない何かが起きている。気付いた総代は目を凝らし、終わらない呟きを読み上げた。
「部屋の隅の男が言いました。彼はきっと神です。」
神と言う時点で話にならないが、皆は義務として部屋の四隅を見渡し、誰もいないことを確かめた。
ある種の認知症が見せる幻覚。死ぬと言ったのは、賀喜の発言を解釈するプロセスで生じた脳の混乱かもしれない。
ただ、皆が知ったのはそれではない。きっと、人類が二十世紀まで神の存在を信じてこられた理由、それは長老の罪。目に見えない科学が魔術の怪しさを纏っていた時代、理知的に語る年老いたハイ・エンドの中に、見えないものが鮮明に見える者が混ざっていたのである。妄想が組織の力で教義として伝われば、日々、未熟な社会に翻弄されるロー・エンドは受け入れる他ない。幸か不幸かは別にして、人間の脳はかくも脆く儚いのである。
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