第51話 八日目(1)

文字数 3,142文字

「人は生まれ、ほんの一瞬生き、そして死ぬんだ。ずっとそうだ。」…スティーブ・ジョブズの言葉

教団の施設であるサンタ・アーモ診療所は宗教色がまったく見えない総合病院。診療所という呼称は病院開設時の名残である。洋子が勤務していたのは院内で最大の診療科で、木住野啓子と小鳥遊由美子が時を隔てて最期を迎えたホスピス科。しかし、洋子の死に関わったなら外科も循環器科も要注意。死んだ二柱が眼球を除去したなら眼科も疑わしい。捜査対象が分散する上、刑事立件も怪しい中、現在進行形の医療行為を止める訳にもいかない。朝の捜査会議は手順の再確認でいつもより僅かに長くなった。但し、手順の複雑さと必要な人員の数は必ずしも比例しない。とにかく、鶴来と賀喜のミッションは宗祖への聴取。月城の思い描くゴールへのシナリオは不変である。

教団への道すがら、パトカーの群れは鶴来と賀喜の乗る一台を弾き出す様に右折し、凍りつく冬の景色の中に消えて行った。大きく育った病院の入口は教団の門から遠く離れているのである。ハンドルを握る指を軽く躍らせた賀喜は、開けた視界を見渡すとアクセルを強めに踏んだ。賀喜にとって、月城を含めて、先輩達の誰もが父親の後輩。頼もしいばかりではないのである。
見慣れた門の前に辿り着くまでのドライブはそれから五分ほど。車から降り立った彼らの姿に月城率いる制服組の様な威圧感はない。平日の朝、それでも寛人の姿を何気なく探した鶴来と賀喜は大きなストライドでインターフォンに近付き、前を進んだ賀喜が呼び鈴を押した。
待っていたのは昨日と変わらない沈黙だが、月城達が先に病院に着いている筈なので当然である。インターフォンから女性の声が響いたのは出没自在の寛人への二人の警戒が完全に解けた頃。
「おはようございます。警察の方ですね。」「そうです。おはようございます。」
口元だけ微笑む賀喜の声に返ってきたのは、いつにない答え。
「今ちょっと立て込んでいるので出直して頂けませんか?」
宗祖の聴取に令状はないので無理は言えない。鶴来はインターフォンに顔を近付けてみた。
「出直すって、どのぐらい後ですか?少しぐらいなら待ちますよ。」
顔を見合わせた鶴来と賀喜の吐く白い息が混ざる間に、漏れ聞こえる小声の相談は終わった。
「三十分ぐらいかかりそうです。今は判断できる人間がいないので、すいません。」
判断できる人間はおそらく病院に向かった総代。月城と喋れば、すぐにその場を離れられるとも思えない。想像のつき過ぎた賀喜は、インターフォンに向かって優しい笑顔をつくり直した。
「大丈夫です。門の前に車を停めて、待たせてもらいますね。」

寒さから逃げる様に車に乗り込み、賀喜がエンジンをかけると、鶴来は冷気に近い風を吐く空調の吹出し口に掌を近付けた。
「さっむい。」「ね。」
「音楽かける?」「何それ、勤務中だよね。」
軽く受け流した賀喜が門の方を眺めると、含み笑いをした鶴来は腕を組み、目を閉じた。相棒が暇潰しに仮眠をとるつもりだと知らない賀喜は一人で目を凝らし、言葉を続けた。
「なんか納得いかないよね。」
鶴来は薄目で賀喜を一瞥し、無言で瞼を閉じた。すべては賀喜の死角の出来事。
「総代が沖縄に流れ着いて、大城さんと知合いになって、マルジー(暴力団)と揉めて東京に逃げて、活動家時代の宗祖と知合って、宗教団体を開いて。そうでしょ?」「嘘みたいに聞こえるけどね。」
鶴来は目を閉じたまま相槌を打った。勿論、そこに心はない。
「教団が有名になって、大城さんが転がり込んでくるよね。」「慣れてる人はそんなもんだと思うけど、あれ、なかなか凄いよね。」
「大城さんが安楽死用の薬を小鳥遊さんに流したんだとしたら、照屋さんのルートだよね。」「今のところ他は聞かないね。」
「大城さんが死んだ今もその線が続いてるとしたら、教団の窓口は大城さんと深い仲の総代なんでしょ?」「みたいだね。」
「照屋さんは自分の女の浮気相手の総代にずっと薬を流し続けてるの?」
賀喜の疑問は普通の人間関係に限ったもの。犯罪を生む倒錯した世界には必ずしも当てはまらない。今まで二人が見てきたものは同じなので、所詮、新しい展開は待っていない。
「想像しちゃう?まあ、昨日の課長の指示はちょっと荒かったけど、どうせいつかは病院にガサ入れしたでしょ。」
見解の不一致を見て、賀喜の反応が鈍ると、鶴来は言葉を補った。
「取敢えず、怪しいのは怪しいんじゃない?」「いや、今日のガサ入れはいいけど、その先。」
「ノストラダムスって、なんかあったよね。」「大城さんと総代に関係があると三十年間犯罪が繋がるって言うのが、なんか引っ掛かる。」
賀喜は鶴来の無駄口を完全に無視して、自分の気持ちを最後まで声にした。物証もなく地元の問題を語る気は微塵もない鶴来だが、賀喜の拘りを理解する頭は持っている。
「じゃあ、安楽死は常習じゃないって?」「かな。課長も照屋さんを探さないんだから、本当はそう思ってるよ。薬の容器も古いし。小鳥遊さん夫婦は、大城さんが持ってた薬をなにかの理由で譲ってもらっただけなんじゃないかな。」
賀喜の想像は鶴来の関心を僅かに引いた。
「でも、臓器移植がメインだとしたら、法律ができたの二十年以上前だし、俺達が医事法違反をどこまで追うかって話でさ。死体損壊だって三年で時効だよね。」「じゃあ、大城さんの頭蓋骨骨折を洗いたいの?あれも古い話だし、相当難しいよ。」
「やっぱり署長が言ってたまんまだよ。臓器移植が違法な時の人の繋がりを追うって。ひとつずつだと弱くても繋がっていくとさ。ほら、何か見えてきたりするんじゃない?」「言い出したの課長だけど。照屋さんと総代が繋がってると思う様な人が人の繋がりを追うって、なんか無理っぽいよね。」
「課長は鬼畜だから、そこ繋がっちゃうんじゃない?」
それは、月城の見立てが余りに残酷なせいで、二人だけの時に何度か口にしたことである。賀喜が外の景色を見ながら笑いを噛み殺すと、鶴来は不意に畏まった。
「賀喜君。」「なに、なんか偉そう。」
「その場で言わなきゃ。」「会議で?」
「それはそうでしょ。」「あの場は無理。あれ絶対無駄だよ。あの人数で署長のためにもう一回会議の振りするって、ないよね。」
「上層部批判。あとで課長に言っとくよ。」「嘘、嫌な奴。」
鶴来が軽く驚く賀喜を二度見して含み笑いをすると、眉を潜めた賀喜は冗談の香りに遅れて気付き、微かに照れた。
「まあ、課長の言ってることは正しそうだけど。」「信じる者だけが救われるんだよ。」
「じゃなくて、気になるのは総代よ。大城さんの話だって、臓器移植の話だって、霊園を管理してる総代に話を通さないのは無理よね。」「ああ、そうなる?」
「なるって。自分が絡んでて、あの態度はないでしょ。感情死んでるよ。被害者かって。」「何か不満?」
「そうじゃなくて、話がどこか捻じれてるんだって。」
別に答えを持っていない鶴来は、間近に見つけた賀喜の瞳から逃げ、窓の外の冷たい景色を眺めた。
「じゃあ、どこかのマルジーに好きにされてんじゃない?それなら被害者だよ。」「脅されてるんだったら、もう少し助けてほしそうなサインとか出すんじゃない?」
「民主カンプチア出身だよ?筋金入ってるし、面倒避けてるだけでしょ。」「鶴来君。」
「なに、偉そうに。」「それ差別発言だよ。公務員の。」
「え?」「うん、差別。」
「ああ、そう。」「クビだね。」
賀喜の子供じみた仕返しに、鶴来は遠い目のまま付き合った。
「クビ?今ので?」「クビ。公務員失格。」
「クビかぁ。」「新婚なのにね。クビ。社会問題。」
「厳しいね。」「ねぇ、本当に。」
小さく笑った二人は、動きのない門に視線の先を戻すと徐々に笑顔を消した。
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