第27話 四日目(6)

文字数 1,638文字

「うきれー!(起きろ!)」
目を閉じて、今の行動の意味を自問していたマカラは、達也の何度目かの罵声で上原の顔を覗き込んだ。その瞬間、いくら頭を揺さぶっても反応のなかった上原が目を開けたのは偶然の不思議。暗闇で目から得られる情報は少ないが、彼の極彩色の肌はそれより優先するべきことを当人に教えた。温い砂に四肢の抵抗。加えて耳が拾うのは波の音。全裸にされ、何かで手足を撒き上げられ、砂浜に転がされている。詰みの状態である。
「達也!パンツ返せい!(パンツを返せ!)」
横たわる上原は何故か達也の名を口にすると、適当に影のひとつを睨んだ。
「言ちゃるはじ。にんじゅしぇーぃやーやん。(言ったろ。眠るのはお前だ。)」
抑揚のない声の主は弘。上原が声を頼りに視線の先を変えると、弘は動じない修羅道の住人のためにこの場のルールを教えた。
「わんねー言ちゃる通りなすん。分かたんが。(俺は言った通りにする。分かったか。)」
どんな口上を聞こうが、上原に必要なのは人間の尊厳である。
「パンツ返せい!」「漏らすくとぅやん。(漏らすからだ。)」
理不尽の理由は弘のせめてもの親心だが、それは長期戦を意味する。尊厳を取戻すには弘に服従するしかないとしても、上原の知る語彙は悲劇的なまでに少ない。
「たっくるす!(叩き殺す!)」
蠢く上原の影を見下ろしていた弘はその場にしゃがみこんだ。恐怖の欠片も感じていないと教えるために、表情のない顔を見せるのである。
「洋子ーまーやん。(洋子はどこだ。)」
上原の思考回路は極限まで単純。
「たっくるす!」「洋子ーまーやん。」
「たっくるす!」
頭を激しく揺らした上原から顔に唾を吐きかけられると、弘は無言のまま手で唾を拭い取り、ゆったりと立ち上がった。向かった先は微かな光が揺れる濃紺の海。マカラと進はうねる上原の体を持ち上げ、弘の待つ海へ運ぶと大きく振って手を離した。投げたのである。
脅しもないので息が吸えない。手足の自由を奪われた上原の選択肢は溺れることだけ。四人は無言のまま波の音を聞き続けた。それは流行りの歌をイントロから聴き、サビを迎える程の時間。
「ゆたさんどー。(いいよ。)」
弘の一声で、マカラと進は上原を海中から拾い上げた。水を飲んだ上原の咳はけたたましいが、弘は構わない。
「酔っ払いが海っしんぶっくぃたるくとぅないん。ふぇーく降参しぇー。(酔っ払いが海で溺れたことになる。早く降参しろ。)」
上原は激しく咳き込みながら、海水と一緒に同じ言葉を吐き出した。
「たっくるす。」
無駄な暴言に曝されると、マカラと進は機械的に動いた。結果、同じ暴力を七度繰返し、必要に駆られたマカラが生まれて初めて心臓マッサージをすると、蘇生した上原の態度は少しだけ変わった。
「ぃやーら、ぬーなんやん。(お前ら、何なんだ。)」「洋子ーまーやん。」
弘が同じ調子で同じ言葉を口にすると、上原は声のする方を睨んだ。
「のーじぇー!まーぬ!(苗字は!どこの!)」
洋子の行方に関わっていなければ、絶対に上原が正しい。弘の心にも小さな罪悪感らしきものが芽生えたが、謝るのは早い。
「わったーがちりぬ大城洋子やん。(俺達の仲間の大城洋子。)」
上原は荒い息で下品な笑顔を見せた。
「あぬふらーやるいなぐが?(あの馬鹿女か?)」
せめてもの抵抗で神経を逆なでに来たのだろうが、別に誰が馬鹿でも構わない四人は沈黙を守った。表情を変えたのは波の音を聞き続けた上原だけ。彼に訪れたのは心境の変化。獣道の様な人生で執拗に繰返される一幕だとしても、確かに不要な時間である。
「照屋とぅまじゅんいーん。(照屋と一緒にいる。)」
その答えが前提の弘は目を細めた。焦れったいのである。
「あんしぇー、照屋ーまーんかいうぅるどー。(それなら、照屋はどこにいるんだ。)」
今からの弘達の行動を頭に思い描いた上原はおそらく同情で言葉を失くしたが、夜の砂浜では表情も気持ちも伝わらない。マカラと進はもう一度上原を抱え上げ、暗く深い海に向かって綺麗に放り投げた。
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