第55話 八日目(5)

文字数 2,399文字

「由美子さんは偶然病院を訪れたんですね。」
いつかの写真が念頭にある賀喜の問い掛けに、宗祖は目を伏せた。
「ソウ言ッタツモリデス。」
持病を抱える宗祖の言葉は、自信を持っている様にも、まったく持っていない様にも聞こえる。気の毒になった鶴来は、賀喜の問い掛けの理由を教えた。
「大城さんのことを皆に聞いていたら、木住野啓子さんの御主人の勲さんが当時の写真を見せてくれたんです。由美子さんが写っていて、皆、驚いたんですよ。」
微かに眉を潜めた宗祖は、しかし思い出の力で饒舌になった。
「由美子サンハマダ結婚シタバカリデ、アノ後、アンナ生活ヲ送ルナンテ誰モ思ッテイマセンデシタ。大城サント似テ自由ナ人デ、初メテ会ッタ頃ノ勉サンハ本当ニオマケミタイニ振リ回サレテイマシタ。」「やっぱり、病気が原因で夫婦の関係性が変わったんですか?」
「ソウデス。死ニ至ル病ハ偉大デス。勉サンガトニカク誠実デ、皆泣キマシタ。由美子サンモスベテニ丁寧ニナッテ、ドンドン素敵ニナッテイキマシタ。大人ガ大金ヲ使ッテマデ歌ヤ映画ニシテ残ソウト思ウ愛トイウノハ、出会ッタ時ダケジャナクテ、ソウシテ時間ヲカケテ彩ラレタモノナンダト思イマス。」「木住野さん夫婦とは、その後どうなったんですか?」
賀喜の質問のピッチは微睡む様ないつもの宗祖には早過ぎるが、今日の彼は器用に全てを拾う。
「啓子サンハスグニ亡クナッテ。勲サンモ霊園ニ御参リニ来ルダケニナリマシタ。」
鶴来の姿勢が少しだけ変わったのは、人の一生が人並みに寂しくなったから。心の隙間に妙に刺さったかもしれない。
「すぐなんですか?ホスピスって、やっぱりそのぐらいの時間なんですね。」「アマリ長イト、ソレモ気ノ毒デス。皆デ死後ノ世界ノコトヲ語リ続ケルホド悲シイコトハアリマセン。」
賀喜はまだ見ぬ世界の常識に神妙な面持ちで頷いた。しかし、今頃、月城達は病院で山の様に情報を仕入れている。捜査会議の仕上げに夫婦愛や人生の終わりを語り、間抜け扱いされるのは頂けない。
「啓子さんの死因は普通に癌ですか?」
宗祖の目が細くなると、後戻りできない賀喜はもう一歩踏み込んだ。
「大城さんが安楽死用の薬剤を投与し…。」「アリマセン。」
宗祖がかすれた声を被せると、賀喜は小さく笑った。それはそれでまた別の可能性を感じたのである。
「聞かれると思ってました?」「ソウカモシレマセン。」
鶴来は賀喜と同じ質問を重ねた。大事なことである。
「でも大城さんは薬を持ってたじゃないですか。やっぱり、ずっと一緒にいて啓子さんが苦しんだ時に心が動いた可能性はあるんじゃないかって思いますよ。それが自然な気がします。」
宗祖は頬を微かに力ませ、鶴来の方へと顔を向けた。
「自然トハ何カデス。今ノアナタノ自然ガアノ日ノ大城サンニトッテ自然ダト思ウンナラ、アナタハエゴイストデス。」「エゴイストですか。そうですかね。」
「勲サンガ思ウナラ別デス。頑張ラセタ本人ハ、自分ノ言葉を信ジテ苦シム相手ノ姿ニ葛藤シ続ケルモノデス。デモ、大城サンハ違イマス。二人デ支エ合ッテ頑張ル夫婦ヲ横デ見テイタンデス。病気ダカラト言ッテ人生ガ終ワッタ訳ジャアリマセン。一緒ニ頑張ルノモ涙ヲ流スノモ、人ノ一生ニトッテ大切ナ時間デス。言エルノハ、死ンダラ終ワリデス。生マレタ理由ト同ジデ、誰カガ死ヌ理由モアリマセン。勲サンガイルノニ、健康ジャナイノハ可哀ソウダカラト言ッテ、他人ガ啓子サンヲ殺ス筈ガナイデショウ。」
死者を想う宗祖はいよいよ声を枯らしたが、途中で口を閉じることはない。鶴来は身を引いたが、このまま終われる賀喜ではない。
「二人が一緒に諦めたいと思ったら話は違うんじゃないですか?気持ちの波が合って、今しかないって。もう十分とか。勿論、相手のことを想ってです。ありえませんか?」
宗祖は顔を皺だらけにしたが、彼にとっては絶対に黙る訳にいかない問いである。
「闘病生活ハ辛イモノデス。死ニタイグライ何度デモ言ウノニ、ドコデ判断スルンデスカ?」「だから心が折れたとか、雰囲気です。人間、頭だけで行動する訳じゃないですよね。」
宗祖の重い視線を受けた賀喜の瞳は、対照的に光を湛えている。今まで心掛けてきたデリカシーはそこにない。言うなら、賀喜は言葉ではなく、目で間違えた。
宗祖は大きく口を開くと、空気を割く様な音を吐いた。何を言いたかったのか。とにかくただの溜息ではない。宗祖の動きを一通り観察した鶴来は、首筋の震えで気の毒な老人の心理に気付いた。彼は怒鳴るのに失敗したのである。
「ちょっと外に出ててくれる?」
初対面以来、賀喜は重ねて宗祖の機嫌を損ねてきたが、この瞬間の彼の怒り方は違う。総代曰くいつ永遠の眠りについてもおかしくない宗祖を興奮させておくのは間違いである。理由を探して宗祖を眺め、大凡を理解した賀喜は、輝く瞳を隠して相応しい表情を選んだ。
「すいません、無神経でした。私、席を外します。」
口を閉じ切らない宗祖が安らかな表情を取戻すのに手間取る間に、賀喜は頭を下げて綺麗に部屋を後にした。鶴来は扉の閉まる音を聞くと賀喜の座っていた温い椅子に移り、宗祖に近付いた。
「俺もですけど、若いということで。」
鶴来は小刻みに震える宗祖を眺めた。
「あまり俺達を苛めないで、気に入らなくても質問には端的に答えてもらえませんか?」
鶴来が賀喜への小さな勝利を伝えたつもりでも、気の毒な老人の震えは止まらない。
「大城サンノコトデスカ?」「そこに拘りません。普通に教団の話を聞かせてください。」
「イヤ、モウ無理ヲシナクテイイデス。ハッキリサセマショウ。私達ガ何カ悪イコトヲシタト思ッテルンジャナイデスカ?」
鶴来がただ眉を上げて続きを待つと、複雑に震えた宗祖は瞬きを止め、鶴来を見つめた。
「アル時期ニ限レバナクハナインデス。全部、今ノ法デハ何ノ問題モナイコトデス。私ハ自分達ガ勝ッタンダト思ッテイマス。」
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