第6話 一日目(6)

文字数 2,331文字

総代が戻って来るまでの十分間、やはり寛人は何も喋らなかったが、リストを手にした鶴来は寛人と総代に笑顔で礼を言い、管理棟を後にした。寒さを忌み嫌う鶴来のストライドは大きい。
「何する気?」
置いて行かれる気のない賀喜は、白い息を吐きながら足並みを揃えた。彼女の勢いを断ちたかっただけの鶴来が適当な答えを探す間に、険しい表情の渡会、ほぼ小走りの彼が背後から口を挟んだ。
「怪しいって言ったら、サンタ・アーモ診療所です。前から皆で言ってましたけど、医者が診断書を書いて役所に届けたら、人目に触れずにここに埋葬できるんです。」
渡会は賀喜のせいでその気になっている。鶴来は念を押してみた。
「それ、本当にやると思う?」「まあ、そうですけど。この辺りをパトロールする時は、いっつもその話です。」
賀喜は鶴来の向こうに見える渡会に微笑んだ。
「渡会君達、暇だね。」「はい。それは暇が一番です。ただ、そこを調べないんなら、なんでそんなリスト借りるんですか?」
鶴来は腑に落ちていない渡会を二度見すると、近付くブルー・シートの先を指差した。
「あの奥の茂ってる辺りあるでしょ。」「はい。」
「どこまで墓か気にならない?」「はい?」
「この辺だけならいいけどさ。あの先の全部が墓だったらイメージ違わない?木が墓を隠してんじゃなくて、墓が全開って感じ。俺、この辺り結構通るから。」「ああ、じゃあ、…。」
いつの間にかニ歩先を進んでいた賀喜は、髪を揺らして振り返った。
「鶴来君は本当に暇なんだ。」「いや忙しいよ。これが済んだらマルガイの家に行って、遺書を見つけて、署に帰って、そこからデスクワーク。フル・コースだよ。」
鶴来が地域の問題から逃げるのは新妻の平穏な日常生活のため。いつかの雑談を不意に思い出した賀喜は一人で含み笑いをしたが、渡会の険しい表情は変わらなかった。これまでパトロールに掛けてきた時間の重さが、控えめな彼をして、そうさせるのである。

永遠に目を覚まさない小鳥遊の横たわる青い一角を大きく避けると、鶴来は適当にリストを開き、賀喜と渡会は両脇から紙面を覗き込んだ。まずは敷地全体の配置図。樹木葬に土葬にプレート葬。普通の火葬のエリアもあるのはヴィーヴォの深遠。鶴来が気にしているのは、当然、樹木葬の範囲である。ページを捲ろうとした鶴来が三度失敗すると賀喜は声なく笑い、簡単にページを進めて見せた。それはハンド・クリームの力。鶴来の尊敬の眼差しを他所に、賀喜は顔の距離を気にせず、現れた樹木葬の配置図に見入った。建物の名前や敷地の境界線が書かれている。樹種やプレート、購入者の名前に連絡先、契約条件が記載されているページはまだ後。
「ここだね。」
ページを捲る手を止めた賀喜が光る爪を動かした先には、確かに小鳥遊由美子の名前がある。賀喜は、ポケットから黒いスマートフォンを取出すと流れる様に写真を撮り、周囲を見渡した。
「名前が分かるとお墓って実感湧くね。」「確かに歩きづらい。」
笑顔を返した鶴来は、言った傍から歩き出した。必要に駆られただけで、別に無神経な訳ではない。
鶴来は、歩きながら、木の根元で鈍く光るプレートに目を凝らした。磨き上げられた小さな石に刻まれているのは太陽に薔薇、車に猫。モチーフは同じでも、ひとつとして同じデザインはない。周りの誰に気兼ねすることなく自己愛を貫くそれは、そうと知らされた者だけが墓に辿り着ける暗号。似た趣味の他人の墓を供養する可能性もあるが、いつか同じ苗字の別の墓を拝むよりはマシかもしれない。
プレートを覗き込む鶴来の心が見えない賀喜は、その先で妙にチラつく渡会へと視線の先を移した。真面目な彼は、鶴来が開いたままの配置図と周囲を忙しなく見比べている。
「鶴来さん、ページ捲った方がいいですよ。そのページ、ここまでです。」
言われるままに鶴来が足を止めると、優しく微笑んだ賀喜は手を伸ばし、ページを捲った。
「ごめん。プレートが結構綺麗でさ。」「そうだね。マンホールみたい。」
微妙なたとえで鶴来と渡会の時間を一瞬止めた賀喜は、表情を僅かに曇らせると何も言わずに歩き出した。美意識にバイアスを生んだ思い出を語る気はないということ。やがて、遠目に林と思っていた場所に辿り着いた鶴来は、痛みでも感じた様に唐突に顔を歪めた。
「うわ、やっぱり墓なんだ。」
嫌がる鶴来を笑った賀喜は、目に付いた木に顔を近付けた。感傷に浸るつもりはなく、樹皮に表情の違いを見つけたのである。
「この辺、木の種類が違うね。」
幹も太く、隣りの木との間隔が大きい。黎明期の教団は樹木葬の扱いに迷走した様である。鶴来は無言でリストを賀喜に差し出し、ページを捲らせた。残る墓はそれ程多くない。周囲を見渡し、取敢えず林のすべてが墓という訳ではないと知ると、鶴来は頬を緩めた。
「目標達成かな。」「本当にそれだけだったんだ。」
人の気を知らない賀喜の言葉を受け流した鶴来は、高い木々を見上げた。人一人の墓標としてのスケールの大きさに、ごく自然に惹かれたのである。釣られた賀喜も空を見上げると、残された渡会は日和った空気に改めて焦りを感じた。
「すいません。リストを貸してもらえたら、あとは俺が確認します。」
渡会が粘るのは日頃の疑念を払拭したいからだが、穏便に済ませたい鶴来にとってはその先のリスクの方が問題である。
「拘るね。」「すいません。」
頭を下げた渡会は、低姿勢だが譲る気はない。賀喜が彼を気に入っている理由のひとつである。
「謝らないでいいよ。」「すいません。」
言うだけ無駄というもの。賀喜は不器用な渡会のために笑顔をつくり直し、霞の様な吐息に包まれた。
「じゃあ、私達は鍵屋さん頼んで、自宅に行くから。あとはお願いね。」
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