第47話 七日目(4)

文字数 2,767文字

大城洋子が教団事務所を訪れたのは、教団の成長と共に土葬を拒む隣り町の声が大きくなり、遂にはメディアを騒がせ始めた年の夏の日のことだった。
思い付きが次々とかたちになり、腰を据える暇のない森田は留守。昼寝に水を差されて煩わしそうに目を開いたマカラは、早足で辿り着いた応接室の扉を開け、年季の入ったソファに一人で座る洋子を見つけた。化粧は記憶にある彼女のそれとは別物。長袖のブラウスで汗ばむ肌を隠しているのは品を纏ったつもりかもしれない。先に声を上げたのは、昔のままに笑顔で揺れた洋子。
「久しぶりですね。」
言葉遣いも相変わらず丁寧。マカラの気持ちは沖縄の平和な日々に戻ったが、郷愁もどきがその後の荒んだ生活の記憶に一瞬で飲み込まれたのは、冷静に考えれば道理。それでもマカラが汚い言葉を使わなかったのは、彼にとって人生がそういうものだから。
「久しぶりです。」
一言発して戸口で足を止めたマカラの表情で、洋子は長らく親交の途絶えていた仲間の気持ちを凡そ感じ取った。
「怒ってますね。」「そうです。当然でしょう。」
「そう言わずに私の話も聞いてください。私だっていろいろあったんです。」
マカラが眉を潜めると、洋子は自分の家の様にソファを手で差した。
「言葉は通じますよね。私が教えたんですから。」
暇潰しだったかもしれないし、間違えるマカラを笑っていただけかもしれないが、洋子は本当に笑顔でずっと付き合ってくれた。言葉という強い味方をくれた彼女への感謝の気持ちは、確かに彼の心の一角を占めている。気持ちが振り切れないマカラは取敢えずソファに居場所を移した。喋ってみなければ、真理など見えはしないのである。楽し気な洋子はそれでも少しだけ不安だったのか、マカラがソファにもたれると笑顔を大きくした。
「ありがとう。嬉しいです。」
姿を見ない間に内面まで化粧の様に変わったとは思えない。洋子が使い続ける綺麗な言葉はきっと上辺だけである。彼女のせいで坂の石の様に転がり続けたマカラは、許される範囲の意地悪で彼女の煉獄を覗くことにした。
「沖縄を出た後、どうしたんですか?」
洋子は姿勢を崩し、人懐っこい目でマカラの表情を窺った。彼女の中では言葉が苦手で不器用なマカラ。自分に対し、怒りを越えて敵意を抱いているとは夢にも思っていない。
「聞いてくれるんですね。」「喜ばないでください。どうして私を訪ねてきたのか、分かる様に説明してください。」
マカラはソファに手を突いて笑う洋子を眺めた
「全然分からないんです。私が上手くやっているとは思わなかった筈です。わざわざ会いに来るなんて、何があったのかと思います。」「別に成功した知合いに何かを恵んでもらおうと思った訳ではないだけです。怖かったですか?」
マカラが沈黙で話の先を促すと洋子は視線を散らし、やがて自分に求められていそうな答えに辿り着いた。
「そうですね。じゃあまず、どうして今のあなたを知ったか話します。週刊誌です。写真週刊誌にこの教団の記事が載っていました。あなたの顔も写っていたんですよ。」
両親の不幸を経てゴシップが殺人行為に思える森田のせいで、教団にその類の雑誌はない。但し、記者の訪問を繰返し受けたせいで、何がどう書かれているかは大方の予想が付いている。
「私は何も見ていませんが褒めてなかったと思います。怪しい新興宗教と書いていたのではないですか?」「そうですね。私が見た記事の見出しは『土葬で地域を騒がす霊園の正体は謎の新興宗教団体』でした。何枚も大きくあなたの顔写真が載っていましたよ。あなたは仏教徒だと聞いていたので最初は違うと思ったんですが、近くに寄ったので試しにあなたの名前を言ったら通してくれました。」
教団を訪れるのは宗教上のマイノリティか社会のマイノリティ。いずれにしろマイノリティだが、今の話なら洋子は後者。
「あなたが私のことを知った理由は分かりました。でも、もう少しあなたのことを話してくれませんか?私はあなたのことを何も知らないから不安なんです。」「どうしてそんなことを言うんですか?あんなに皆で一緒にいたじゃないですか。」
明るい目を見せる洋子に、マカラは逆に驚いた。二人の認識する過去は完全に食い違っている。
「沖縄で最後に話した夜を覚えていますか?あなたが照屋と付き合っているのを弘君に隠していたせいで皆の生活が壊れたんです。それだけではありません。あなたは身寄りのない仲間に酷いことをさせていました。全部済んだことかもしれませんが、皆の人生を狂わせたとは思いませんか?」
あの夜、洋子のピンクの部屋から這い出し、弘の元に向かって暗闇を走りながら思ったことをマカラは一息で教えた。不都合な事実を並べられた洋子は口元を緩め、マカラのつくる沈黙の終わりを求めて、二度鼻で笑った。彼女の神経はタフに仕上がっている。
「覚えてたんですね。自分のしたことでも、人から言われると少し驚きますよ。」
大きく揺れた洋子はマカラの厳しい表情を隅々まで観察した。
「今、あなたは私のことを酷い人間だと言ったんですよね。でも、私がどうしてそんなことをしたか、あなたは考えましたか?」
洋子はマカラの返事を待つ姿勢を見せたが、それは彼女の勝手。エゴの自覚があるか怪しい洋子は当たり前に科をつくった。
「別に辛いことに耐えたり、悪いことをしようと思っていたりした訳じゃないです。仕方ないし普通だと思ったんです。小さい頃から私の周りにいる人が皆そうでしたし、実際そうなるとこういう仕組みだったんだと思いました。ドナドナ。知ってますか?売られていく子牛の気持ちです。」
ドナドナを知らないマカラが感じたのはなし崩しの不誠実。嫌いなものである。
「私は今まで本当に酷い目に何度も遭ってきたと思いますが、あなたの様なことはしませんでした。」
笑顔から動きが消えた洋子の印象は別人のそれ。
「宗教そーんやし。ゆくしんかい決まとーしが。(宗教をやってるでしょ。嘘に決まってるのに。)」
久しぶりの沖縄の方言をマカラは聞き逃したが、言葉の意味を探る様は洋子と初めて会った頃と同じ。嘗て感じた愛嬌を今のマカラに重ねた洋子は衝動を飲み込み、いつもの自分を取り戻した。
「そうですね。じゃあ、私はそういう人間なんです。別にいいです。あなたと別れた後も似た様なことをしていました。全部話しましょうか?」
洋子がそうと意識したかは別にして、マカラを訪ねて来た理由として十分過ぎる答え。誰が見ても艶やかに輝く洋子だが、相も変わらず不幸である。何処からともなく湧き出した同情に自分で驚いたマカラが首を横に振ると、洋子は声を上げて笑った。
「冗談です。聞きたいと言われても言いません。ただ、あなたの写真を見た時に懐かしいと思いました。あの頃に戻りたいと思ったんです。本当ですよ。」
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