第7話 一日目(7)

文字数 1,240文字

覆面パトカーに乗り込んだ鶴来と賀喜は、しかし署に戻った。鍵屋との待合せまでの空き時間に、強行犯係長の中村に現状を報告するためである。
警察官だらけの五階建てのビル。自動ドアを通り過ぎて廊下を進めば、オープン・スペースの片隅の自席で談笑する中村の姿が目に入る。逆もまた然り。ノン・キャリアだがベテランの中村は、二人が近寄ると体よく世間話を切り上げ、椅子の背に深くもたれた。
「心臓?」
二人が連絡もなく早々に戻って来たので、緊急性はない。この早さで一件落着したなら、常識的には心不全である。鶴来はデスクの前で足を止め、中村の髪の薄い頭頂部を眺めた。
「服毒の線が濃いですけど、遺書がないですね。」「家を見てから決めようと思います。」
賀喜が会釈に言葉を添えると、中村は鶴来の表情を確かめた。
「ありそう?なさそう?」
中村の判断に委ねるつもりの鶴来に答えられるのは一般論。
「どうでしょう。後追いっぽいですけど、まあ、ないんじゃないですかね。」
確率論なら遺書を残さない方が大勢である。まずは事件扱い。網代警察署では、それは刑事生活安全組織犯罪対策課長の月城の登場を意味する。中村が年下の月城に苦手意識があるのは公然の秘密だが、それは月城も同じ。中村が下手に出れば、署長の目を気にする月城は先輩をたてる。二人が拘る無駄な様式美は大抵のことに付き合う賀喜も地味に敬遠するレベルの茶番だが、月城はそれを完遂できる優秀な組織人間である。
「まあ鑑識の世界だし、うちからは君達を入れて三~四人だね。サポートも一人いるかいらないか。橋本署長に本部長になってもらって、月城課長に仕切ってもらうぐらいかな。」
鶴来と賀喜が苦笑したのは、中村が自分の名を口にしないから。二人一組が基本なので、強行犯係の人数の奇数と偶数の持つ意味合いは大きい。自分の扱いは月城次第と言っているのだが、月城が中村を無下に扱う筈もなく、多分に牽制。とにかく、繊細な領域である。

一時間後、馴染みの鍵屋を連れて鶴来と賀喜が訪れた小鳥遊家は、霊園から西に向かって、車で十分ほどの場所にあった。
住宅街の一角にある小さな庭付きの二階建ての戸建て住宅は、周囲と同じ質感のビンテージ物件。当たり前の老人の家である。外観に不潔感は微塵もなく、錠を破って目にした室内は丁寧に片付けられていた。部屋の中の至るものに何かしらの思い出があるのだろうが、他人に分かるのは二人の生活レベルが中流ということだけ。贅はないが目立った不幸も見えない。あるいは、妻の由美子がこの世を去り、派手な断捨離が終わったところ。
居間にダイニング、書斎に寝室に仏壇。それらしい場所を一通り撫でても遺書らしきものはない。かかりつけ医や勤務先、親しい友人に話を聞くか、遺品を署に持ち帰り、片っ端から目を通す。仮に契約していれば、弁護士や貸金庫もあたる。霊園までの監視カメラも一台ではない。とにかく人の力が必要。組織的な対応を要するということは、つまり捜査本部が必要ということ。月城の出番である。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み