第10話 二日目(2)

文字数 2,190文字

正義を軽く汚された鶴来と賀喜は、その足でヴィーヴォを目指した。すべては月城の指示通り。霊園の記録を調べ、必要に応じて、教団の代表者に事情を聞くためである。
ハンドルを握る賀喜は、エテヌーロの駐車場に覆面パトカーを止めると、暫く前から無口になっていた助手席の鶴来の顔を覗き込んだ。賀喜が見つけたのは癖のない鶴来の唯一の癖。目を固く瞑るのである。鶴来は基本的に幸せな男だが、動きが止まることがある。唐突で、何の前触れもない。それ以外は本当に何の癖もないのだが、それが鶴来。賀喜の知る彼である。
ようやく薄目を開けた鶴来は、気の毒そうに見つめる賀喜に小さく手を挙げ、スマートフォンを手にとった。かける相手は総代。予め許可証を調べたいことは申し送り済みである。
総代が出るまでにスリー・コール。二度目の大きな呼吸を途中で止める程度の待ち時間は、年の割には短いかもしれない。
「総代、鶴来です。賀喜と二人で霊園の前にいます。今からいいですか?」
電話で聞く総代の声は思いの他爽やかで、何なら好感度が高い。
「いいですよ。管理棟の一番奥の扉を開けて、目の前の建物の玄関に来てもらえますか?教団の事務棟です。」
近隣で生活する鶴来にとっても初めての教団の敷地内。あってはならないことだが、下世話な好奇心が隠せない。
「了解です。すぐに伺います。」

凍てつくエテヌーロの林の中、鶴来と賀喜は大きなストライドで事務棟を目指した。雲の流れる空を目指し真っ直ぐ伸びる木々の殆どが墓標と知った今、潤いのある森林の香りに爽快感はない。気を抜くと体が地面に吸い込まれそう。地中の獄から決して抜け出せない死体の群れが、二人も例外ではないと語り掛けて来るのである。
幼い日に感じた淡い不安を思い出した賀喜は、前を歩く鶴来の背から目を逸らした先に奇妙な光景を見つけた。捜査には絶対に関係ないが、無視は出来ないシュール。しかも繰返されている。無限ループに陥っているのは五人の子供達。たった一人の半袖半ズボンは寛人である。大きく張り出した木の枝に二本の縄を掛け、先端に板を結び付けている。見る限り、それはブランコ。理解に苦しむのは、子供が乗ると板が縄からすり抜けること。地面に尻もちをつくと、皆で揃って甲高い笑い声を上げる。待ちきれないのか、転んだ子供が立ち上がるより先に、何人もの手が板に向かって伸びている。
気配の変化を感じて賀喜を振返った鶴来も、足を止めた彼女の見据える先に熱狂する子供達を見つけた。きっと昨日の寛人は余所行きで、今日の姿が彼の正体。どこの誰とも違わない子供である。
「寛人君!」
賀喜が声を張ると、地面に転がって笑っていた寛人は視線を散らし、鶴来と賀喜を見つけた。二人の大人を眺めていた寛人は何を思ったのか勢いよく立上り、そのまま走り出した。目指す先は鶴来と賀喜の元。手足を忙しく動かすおもちゃの様な寛人が徐々に近付いて来ると、二人の笑顔は釣られて大きくなった。
髪を軽く払い、優しい笑顔をつくり直した賀喜が両膝に手を突くと、鶴来も倣った。寛人を迎える準備は万全である。
全力で走ってきた寛人は、靴で地を蹴る音を次第に大きくしながらペースを落とし、賀喜の正面で綺麗に止まった。小さな右手は間髪入れずにポケットの中へ。
「おはよう、寛人君。」「おはようございます。」
挨拶は絶対に忘れない寛人だが、何が入りそうにもないポケットの中を探り続けている。
「何、どうしたの?」
目を輝かせる賀喜の言葉に答えることなく、寛人は勢いよくポケットから手を抜いた。開いたミニチュアの様な掌にのっていたのはお菓子の小袋か何か。寛人は賀喜の方にその手を力強く差し出した。
「くれるの?」
寛人が小さく頷くと、胸を抑えて俯いた賀喜は、満面に笑みを浮かべて鶴来を振返った。寛人のカワイイの圧勝である。
「うらやましいな。おじさんのは?」
寛人は大きな瞳で鶴来を見つめた。何かを考えているのだろうが、子供の思考回路に絶対はない。鶴来の期待値だけが上がる間に小さな沈黙が生まれると、寛人は持っていた小袋を賀喜の手に押し付けた。取敢えず、自分の頭に浮かんだ用件だけは済ませたいのである。
「俺のないんだ。」
苦笑した鶴来の呟きに寛人は視線を奪われたが、何も言わずに後ずさりすると回れ右をした。そしてダッシュ。向かう先は心配そうにこちらを眺めるホット・パルスの元である。遠のいていく寛人の小さな背中を目で追う鶴来の隣りで、賀喜は託されたお菓子を眺めた。
「昨日のお礼だね。」「何?飴?」
袋を睨んでみた賀喜は声を出さずに笑った。
「見たことない。これ、何語?」「どんなの?見せて。」
鶴来は賀喜から袋を受け取り、プリントされた文字を眺めた。
「発音記号みたいだ。」「アジアかアラブ。ん?一緒か。」
考えなくても食べる時に味が分かる賀喜は深く追究せず、首を傾げる鶴来から袋を取戻すと、ポケットにしまった。歩き出した賀喜が口を開いたのは、また別の謎に決着をつけたかったから。
「あれ、きっと最初はブランコだよね。紐の結び方が甘くて解けてるんだけど、滑る感じが面白いんじゃないかな。」
考えてもいなかった鶴来は、賀喜を追いながら寛人の向かった先を改めて眺めた。見つけたのは、寛人を迎えた傍から板を巡って争うホット・パルス。彼らにとって、次が誰の番かは友情を賭ける価値があるほど重要なことなのである。
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