第37話 五日目(6)

文字数 2,603文字

「特に行く当てのない総代はそのまま思惟の会に入った様です。」
夜の捜査会議。鶴来が宗祖の昔話を伝え終わると、会議室は虚しさに包まれた。時々眠りに落ちる老人の昔話を暖かい部屋の中で一日聞いただけで、何の進展もなかったということ。寒空の下、靴底を削った剣道フリークスを思えば、ほぼさぼりである。しかし、すべてを俯瞰して部下を鞭打つ月城は昨日の成果を忘れていない。
「教団の思想の背景を知る貴重な情報と考えられる。明日も引続き宗祖に話を聞く様に。」「はい。」「はい。」
鶴来と賀喜に目で期待を伝えた月城は、物言う視線の先を岡部に向けた。
「次、岡部。」「はい。」
岡部の返事で動いた浦野は、ノート・パソコンを軽く叩いて一枚の写真をモニターに映した。影の青みが強いアナログな写真。写っているのは四人である。
「この真ん中にいるのが大城さんです。」
どう見ても白人のその女性は、見た目は二十代後半。楽し気に微笑んでいるが、本当に件の洋子なら享年は近い。
「向かって左隣りがやはり要注意のリストに入っていた木住野啓子さんで、その左隣りがご主人の勲さん。あと、大城さんの右隣りのこの女性が小鳥遊由美子さんです。この写真は大城さんのことを聞いたら勲さんが見せてくれました。」「これ、場所はどこ?」
中村の声に合わせる様に、皆の顔が写真に近付いた。病室なのは確かである。啓子の痩せ方が酷いのは分かるが、意外なのは由美子。ブランドもので身を固める薄着の彼女は健康そのもので、女性美を体現している。華やかな笑顔に病の気配は見えない。
「サンタ・アーモ診療所です。啓子さんは末期の胃がんで入院していたそうです。銀行員の勲さんが当時始まったばかりのホスピスの受けられる病院を探して、教団に辿り着いたと話していました。」「ホスピスとは何か。」
月城の質問は、橋本の手前、正確を期するためのもので、本当に知らない訳ではない。
「はい。治癒が望めない患者の精神的な痛みの緩和を目的とした医療行為で、国内では一九七三年に大阪で始まっています。緩和ケア病棟が承認されたのが一九九〇年ですから、知っていても受けづらいものだったと思われます。」「小鳥遊由美子さんの当時の立場は?」
「大城さんが友人として連れてきた様です。この日が初対面で、大城さんと一緒に楽しく喋ったと勲さんは言っていましたが、会ったのはその日だけです。ホスピスの病室で写真を撮っているので、常識的には病院関係者か患者だったと思われます。」「大城さんと木住野家の関係は?」
「大城さんは教団でホスピス科に勤務していて、入院した啓子さんの担当でした。大城さんは啓子さんに明るく接してくれたらしくて、勲さんは感謝していました。但し、一点。先日、教団関係者に聴取した内容と一致しますが、勲さんが啓子さんの墓参りで元気な姿を見かけた数か月後に、大城さんが亡くなっています。勲さんも、教団の関係者と一緒に人生は分からないものだと話した様です。」
顎を少しだけ上げた月城は、宙を睨んで黙り込んだ。
不意に生まれた静寂。賀喜が優しい笑顔で剣道フリークスの努力を称えると、口元を緩めた岡部は小さく頷き、浦野は満面の笑みを浮かべた。月城は、皆に笑顔が広がるほんの僅かな時間で何かを心に決めた。
「開けてみるか。」
それは呟きの様な問いかけ。敢えて聞くなら、開けるのは墓である。皆がただ月城の顔を眺めて言葉を待つと、中村はやはり月城と同じ側に立った。
「想像の範囲だけど、マルガイは大城さんが持っていたのと同じ薬物で自殺した可能性が高いよね。大城さんの繋がりで安楽死用の薬剤がホスピス科に流れて来て、大城さんは何かのトラブルに巻き込まれて亡くなって教団が隠蔽したとか。ホスピス科だし、そのぐらいはありえるかな。」
いつもの慣れ合いを見つけた鶴来は、半ば諦めながらも手を挙げた。
「課長。」「鶴来。」
「はい。あの、流石に骨だけですよね。何を見るんですか?」
続いて手を挙げた賀喜の考え方は鶴来とはまた違う。
「課長。」「賀喜。」
「はい。小鳥遊由美子さんの時もあった議論ですが、何もないことを確認するには何基か開ける必要があると思います。難しいと思いますが、その点で大城さんには薬の証言があるので令状を取り易いかもしれません。」「正しい。」
賀喜は何かを期待して話を前に進めようとしているのだろうが、全権を握る月城の評も短く、ディテールは見えない。鶴来は漠然とした不安のひとつを声にした。
「宗祖は痴呆症だと総代が訴えています。宗祖の言葉を証言として認めると、後々面倒なことにならないでしょうか。」
中村は月城が眉を潜めているのを見つけた。上長の指示以外で月城が方針を変えたことは過去にない。自身の発言の重みを常に意識しているのである。
「それはその時に考えればいいんじゃない?何かが分かるんなら、やってあげられることはやっていいと思うけど。」
期待通りのコメントを口にする中村を眺めた月城は、軽く頷くと黙って指示を待つ岡部を見据えた。
「残りの話を聞いた上で墓を開ける対象を決める。大城さんは第一候補。話を進める様に。」
少なくとも誰かの墓を開けることは決定事項。鶴来と賀喜が目で議論する中、岡部は説明に戻り、皆は徐々に話に聞き入った。誰もがこの世の終わりの苦しみを経て、一本の木になった。数人分のエピソードを聞くとそれが自然と思えるのは、社会性に囚われる人間という生き物の不思議である。
月城が永遠に続きそうな質問に区切りをつけたのは一時間後のことだった。議論の末に導かれた明日の犠牲者はやはり洋子。全員が納得せざるを得ない人選である。半ば強引に押し切った月城は、無言のまま皆の様子を見守っていた橋本を振返った。
「本日は以上となります。署長、一言頂けますでしょうか。」
今日の橋本は、中曽根の視線も受け入れず、一瞬口元を曲げた。
「皆さん、ご苦労様です。月城課長から話がありましたが、明日、大城さんのお墓を開けます。小鳥遊勉が使用した安楽死用薬剤と何らかの関係があると思われる大城さんの埋葬の記録が市役所になく、死に際に不審な点があった。これは誰がどう考えてもおかしい。大城さんの遺体に何もないことを確認するのは、絶対に欠かせないプロセスです。摩頂放踵。警察官の務めに徹してください。」
月城にすべてを委ねる橋本は、聞き慣れない四字熟語を使うと挨拶を短く切り上げた。
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