第4話 一日目(4)

文字数 3,237文字

総代は、渡会の言葉通りの強面の男だった。顔に刻まれた皺は深く、目付きが鋭い。灰色の髪を短く刈り込み、スポーツ・メーカーの防寒着に身を包んでいるせいで、宗教を感じさせる要素は見えない。白目の色合いや毛穴の質感、首筋のダイナミックな凹凸に照らすと七十過ぎ。背は年齢の割に高く、頬がこける程度に細身。明らかな違和感が漂うのは左手だけに嵌めた淡いベージュのゴム手袋だが、その気になれば無視出来る範囲である。総代は、新しい客を視界に捉えると、彼なりの愛想笑いを浮かべた。
「警察の方ですか?」
鶴来と賀喜は揃って立ち上がり、悩める寛人をそのままに、話せそうな総代に歩み寄った。
「網代警察署刑事生活安全組織犯罪対策課の賀喜です。」
賀喜が名刺を差し出すと、総代は細い目に微かな好奇の色を浮かべた。警察が名刺を渡すと知らない一般人は多い。寛人の時と違って鶴来が出遅れたのは、口に残る飴のせいである。
「森田です。霊園の管理人をやっています。」
音を立てて飴を噛む鶴来を横目に、賀喜は細やかな偶然を指摘した。
「森田さんですか?こちらの宗祖様も森田さんと聞きましたけど。」「この辺りは森田だらけですよ。」
おかしくはない答えに賀喜が納得すると、鶴来も口から甘い香りを広げて名刺を差し出した。
「どうも。同じ課の鶴来です。宜しくお願いします。」「ああ、宜しくお願いします。今回はすいません。」
総代が詫びたのは小鳥遊を身内と考えている証である。人の情を見つけた鶴来は、強面の総代への警戒を少しだけ緩めた。
「仕事になるぐらいよくあることですから、気にしないでください。まあ座りましょう。」
この施設を管理しているのは総代だが、鶴来は寛人から遠いテーブルを勝手に選び、腰を下ろした。今からの質問を思えば、大して失礼でもない。鶴来は、二人が腰を下ろすのを笑顔で眺めた。
「亡くなったのはここの信者さんなんですか?」
鶴来の問い掛けは世間話程度の筈だが、総代は離れて三人を見守る渡会を探した。一度、話し終えたことなのである。口元を緩めた賀喜は総代の目を大袈裟に覗き込み、老人の気を引いた。お決まりの台詞を言わなければならない。
「場合によっては、この後も繰返し同じことをお聞きします。無駄だと思われるかもしれませんけど、大事なことなので協力してください。」
同じ質問の繰返しは、嘘をあぶり出すために必要なものである。総代は眼前の賀喜に遠い目を見せた。相手は国なので従うにしても、老人が気にかけることは余りに多い。すべては彼の胸のうちである。
「分かりました。小鳥遊さんはね。あの、彼は小鳥遊勉というんですが、信者です。仰る通りですよ。」
それは渡会から聞いていた通りの答え。鶴来は総代の穏やかな物腰に微笑み、質問を続けた。
「どんな方だったんですか?」「いい人でしたよ。夫婦仲がよくて。いつも夫婦そろってみえてました。」
「御先祖のお墓でもあるんですか?」「いえ。教団の他の施設を利用されてました。」
「御祈祷とか?」「まあ、いろいろです。」
「信心深い方だったんですか?」
総代は冷めた笑みを浮かべた。僅かな質問で、鶴来の類型が見えたのかもしれない。
「それ、新興宗教と言うとね。皆さん、そんな感じになるんです。でも、うちは違いますよ。何か変だと思っても言葉が違うぐらいに思ってください。」
聞き慣れない忠告に逆に惹かれた賀喜は、保っていた上目遣いの瞳の輝きを増した。
「それ、簡単には無理ですよ。」
総代は、宗教的な言葉に理解が得られないことには慣れている。この手の問答に人生の大半を費やしてきたせいで、返す言葉は短く当たり障りがない。
「まあ、でもゴールは愛です。それだけですよ。信じてもらえないと思いますが。」
鶴来と賀喜の反応も、同じく当たり障りのない含み笑い。人懐っこい態度は彼らの好むテクニックのひとつだが、寧ろ馬鹿にされることに慣れている総代にはまた別の印象を与えた。端的には媚び諂い、心を覆い隠す壁。
「いいです。ただ、うちは別にカルトじゃないです。小鳥遊さんのご夫婦も普通です。二人が退屈な日常が残酷だと受け入れた時、傍に私達がいた。私達は彼らが今まで習ったのとは違う言葉ですべてを語り、そこに矛盾がなかった。彼らはその世界に時々遊びに来て、心の安らぎを得た。そういうことです。」
雰囲気だけの言葉に賀喜が優しく頷いて見せると、鶴来は総代の言う『違う言葉』を自分なりに翻訳した。
「じゃあ、思想が強めの友達ぐらいの感じですか?」「まあ、それが近いと言えば近いですね。」
「近い?ああ、お金とかとりますよね。」「それもそうですね。うちはお金のことは少し癖があるかもしれません。話せば分かってもらえると思いますが、取敢えず普通の友人関係でもないです。」
「何か見返りがあるんですか?」「だから心の安らぎですかね。」
「祈ったりとか?」「またですか。まあ、祈りもしましたよ。」
総代は、座る姿勢を変えた賀喜の瞳の輝きにようやく気付いた。警察の関心は取敢えず避けるべきもので間違いない。
「あの、個人的なことなので、言わないでおこうと思ったんですけどね。あそこは奥さんの由美子さんが若い時から病気で。そこのサンタ・アーモ診療所はうちの教団の病院ですが、いろいろあって、最後の最後にうちの信者になって、そこに入ったんです。本当に治ってほしいと思って、祈りましたよ。あなただって、友達が病気になったら、神頼みぐらいするでしょう。」
それは現代に宗教が存在していい明確な理由。絶対的な無が眼前に迫れば、必要なものは医療だけではない。理屈ではないのである。尤もらしい答えに頷いた鶴来は、頭の中を埋め尽くす地味な疑問を順番に声に替えた。
「由美子さんは二か月前に亡くなったんですよね。」「はい。」
「お子さんは?」「いないです。死んでも出て行ってもいません。詳しいことは聞かないでください。」
「まあ、はい。じゃあ、親族は?」「勉さんは東京出身ですが御両親はとっくで、兄弟もいません。由美子さんの方は聞いたことがないですね。」
「詳しいですね。」「付合い自体は長いんです。」
「仲のいい夫婦で、たった一人の親族の奥さんが他界。」「そうです。勉さんは年ですがまだ農協に勤めていて。由美子さんの通院が続いても、様子を見て、よく一緒に旅行に行ってました。ただ、最近はもう専ら闘病生活でしたよ。」
「二人三脚ですね。」「そうですね。本当によく頑張りました。」
気持ちの入った言葉に鶴来が何度か頷くと、総代はひたすら自分を見つめる賀喜に目をやった。
「由美子さんが亡くなって、ここで葬式をした後に何かで見かけましたが、その時に痩せたなとは思ったんです。だから、別に不思議じゃなかったですよ。」「自殺だと思いますか?」
協力的な総代に向けられる賀喜の声色は優しいが、言葉は重い。総代は、自分でも確かめる様に答えを口にした。
「まあぁ、多分、そうですね。そんな気がします。」
総代は今日一番の仕事を終えたかもしれない。鶴来と顔を見合わせた賀喜は、デザートにとっていた総代の謎に触れた。
「失礼ですけど、その左手の手袋、どうされたんですか?」
総代が小さく笑ってから、ゴム手袋に右手を掛けるまでは一瞬。手首から順に露わになっていく肌を見つめていた鶴来と賀喜は、その先に待っていた驚きを惰性で受け入れた。総代が勿体ぶらないせいで、すべてが自然に思えたのである。
二人が眺める総代の左手には、親指以外の指がない。賀喜の口から咄嗟に漏れたのは、常識を知る大人の言葉。
「すいません。」「別に小鳥遊さんと揉み合って出来た怪我を隠してた訳じゃないです。」
先端の丸みは古傷のそれ。鶴来と賀喜に身体的特徴の理由を問いただす趣味はない。鶴来は、眉を潜めたままの賀喜に代わり、寛容に徹する総代に笑顔を返した。
「納得です。ありがとうございました。」「別にいいです。聞かれる気はしていたんです。」
総代は顔色ひとつ変えずに手袋を嵌め直した。
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