第71話 エピローグ(1)

文字数 1,781文字

総代が無罪の判決を勝ち取ったのは、それから半年後のことだった。あの日、署に連行した総代を聴取した月城は、その時点で有罪に出来ない可能性を口にしていたが、敢えて裁判に挑んだ。嘗ての教団が法の壁に執拗に挑んでいたこと、違法行為で得た収入を暴力団に流していたこと、薬剤を信者間で違法に譲渡し、三十年の時を越えて自殺者を出したこと、一部の信者達が殺人を犯した総代を時効まで庇い、今現在も強く団結していること。すべてが時効だとしても、確かな犯罪に正義を重ねた彼らは今後も不幸な罪人の受け皿になりかねない。月城は、公の場で彼らの罪を問うことが地域に必要不可欠と判断したのである。
但し、表向きの理屈とは別に、月城は洋子の死因を謀殺と考えていた。実際は、痴情のもつれに苦しんだ総代が洋子に襲い掛かり、死に至らしめたのではないか。根拠は防御創がなかったことである。自室に一人でいた総代は夜半に凶器を手に取り、照屋の部屋に押し入って、最初の一撃で洋子を仕留めている。当然、彼女が部屋にいると知っていた筈である。仮に総代の言う様に照屋を庇ったのだとしても、防御創がない以上、洋子は照屋に覆いかぶさり、総代が翻意するのを待っている。とにかく総代の一方的な殺意がなければ、ああはならない。計画的犯行であり、死刑相当で間違いない。
事実を隠蔽したことになる信者の数は余りに多いが、人は悩み、苦しみ、救いを求めるもの。そして、連なる人の輪は悩みを聞き、苦しみに寄り添い、救いの手を差し伸べるもの。当時の照屋の残酷さと洋子の悲惨さのインパクトは規格外で、エンバーミングのために彼女の体の秘密まで知ったなら、総代を庇っても不思議はない。信者達は議論の末に総代の罪に目を瞑り、娑婆の情で包み続けると決めたということ。時効だが、皆が共犯である。
月城から声高らかにそうと聞かされた時、鶴来に賀喜、捜査本部の面々は誰一人として疑問を持たなかった。月城は人の情に限れば敢えて無神経な発言もするが、これまで最終的な判断で間違ったことはない。彼が断言した時点で、それが事実なのである。
しかし、刑事裁判というシステムで勝利を収めるには余りに証拠が少ない。岡部と浦野は、月城の指示を守り、他の事件の捜査の合間に照屋を探し続けた。ある日、それらしい浮浪者が都内のドヤ街にいるとの情報を掴んで現地に急行した二人は、路上に座り込む歯のない老人を見つけた。市の福祉局保護課の情報が確かなら、それが照屋。遂に捜し出した彼は、誰に傷つけられた訳でもなく、本能の赴くまま生きた末に病を重ね、目の光を失っていた。呼びかけに反応しないので聴力も怪しい。これまで面倒を見ていた誰かが彼を放り出した理由は、きっと情けないほど出鱈目に違いない。虚無の世界でただ一人、痛みと時の流れを感じながら老いゆく彼の心中は知れない。署に戻った剣道フリークスは天罰を語り、網代警察署に俄かの健康ブームを呼んだ。
月城は、もう一人のキーマンであるキャベンディッシュ弘を探すために剣道フリークスを沖縄に送ったが、頼みの彼は二十年以上前にこの世を去っていた。なぜか横浜のゴミ捨て場に亡骸を捨てられていた彼の死因は、記録上は外傷による失血死。前夜、いつも物静かな彼が飲食店で不意に激高してグラスを割ったという話はあるがそこまで。物的証拠は一切なく、ヤクザ同士の抗争によるものとの見方が大勢で、捜査も長くは続けられなかった。母親を傷つけられた照屋が思い切ったのかもしれないが、あくまでも想像。弘の生き方ならその最期は寧ろ自然で、ライオンとしては驚異的な長寿。当時の捜査関係者の言葉である。
かくして、大城洋子殺害の刑事裁判に負けるべくして負けた月城は、しかし署長の橋本と並んで記者会見を開き、教団の負の側面を詳らかに説明した。すべては想定の範囲なのである。彼らの思うゴールは宗教法人審議会によるヴィーヴォの解散。人の世の勝敗を決するのは刑事裁判だけではない。月城曰く、橋本はかなり早い段階から根回しを進めていたらしいが、それがいつかは分からない。
橋本は、記者会見の会場に紛れていた中曽根と視線が合うと小さく頷き、自信に満ちた目を見せて微笑んだ。どんなかたちであれ、目的に向けて邁進するトップの姿勢は皆の気持ちを強くする。一致団結する網代警察署が真の勝利を掴む日は近い。
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