第20話 三日目(7)

文字数 2,319文字

ここまで宗祖が話すのに一時間半。かすれた声を吐息に変えた宗祖は、二人が見守る前で徐々に動きを失くし、遂には寝息を立てた。
「眠っちゃったね。」
賀喜が自分の声で宗祖が目覚めることを期待したのは明らか。鶴来は彼女らしさに口元を緩め、何も言わずに立ち上がった。外から音が聞こえなくなって随分になるので、由美子の墓の復旧は済んでいると考えていい。
目下の任務を終えた二人が目指したのは総代の元。宗祖曰く、波乱万丈の道を歩んできた彼のところである。万が一、宗祖の話すすべてが事実なら、総代はこの地の混乱の渦の中心かもしれない。彼が普通に振舞うだけで、すれ違う皆には事件に思えた筈である。
二人は一階の事務室に足を踏み入れ、目の合った中年女性に声をかけた。朝、月城達が押し切った信者の一人だが、それでも笑顔は爽やか。無敵のメンタルの理由はきっと切ない。
丁寧に案内された先は事務室の一角のソファ。置き去りにされた二人の前に総代が姿を現すまでに、大した時間は要らなかった。初見で感じた強面の理由を知ったかもしれない鶴来と賀喜は、朝よりも疲れて見える総代が近付いてくると、それでも笑顔で迎えた。月城達の所業に触れたなら、まずは労いの言葉しか浮かばないのである。しかし、先に口を開いたのはソファに腰を沈めたばかりの総代だった。彼にとって、気になるのは由美子の墓のことだけではない。
「宗祖が何か言いましたか?」
総代は二人の表情を観察すると、きまり悪そうに苦笑した。
「昔は頭のいい人だったんですが、今は少しね。話してみて、おかしかったでしょう。」
総代の笑顔は取敢えずの安心材料である。視線の合った鶴来は笑顔をつくり直した。
「いや。あの状態にしては記憶がしっかりしていて、驚きましたよ。」「本当にそう思います。元の頭が良過ぎたんじゃないですか?」
賀喜も笑顔で続くと、総代は怪訝な顔を見せた。彼の知る宗祖の中で期待していない部分が出たのかもしれない。
「どんな話をしました?」「教団のことを伺いたかったんですけど、あなたの話ばかりでした。カンボジアから見えたんですよね。」
「信じるんですか?」
鶴来がつくった短い沈黙から、総代は意味を感じ取った。
「まあ、つまりそういうことです。それは事実じゃありませんから、何も信じないでください。」
総代は今日のすべてを無駄と言っている。第一目標は宗祖の気を逸らすことだったとはいえ、完全な出鱈目だとすれば虚しさは禁じ得ない。
「それ気になりますね。あなたの口からちゃんと説明してほしくなりますよ。」
鶴来は笑顔を保ったが、総代の表情は変わらず渋い。
「私は捜査の対象なんですか?」「いえ。だから任意ですよ。嫌なら喋らなくて結構です。ただ、それはそれで覚えておきますよ。」
総代は鶴来の顔を見つめ、一瞬、皺の動きを止めた。
「じゃあ、申し訳ないですが。プライベートなことです。今の私の気持ちは悲しい。ただそれだけです。」
宗祖と仰ぐ同志の精神の混迷は確かな悲劇なので、言葉自体に嘘は見えない。立場上、受け入れがたい鶴来と賀喜は、しかし何度か小さく頷き、切る訳にはいかない縁を繋いだ。

指示された職務を終えた鶴来と賀喜が署に戻ると、談笑していた月城と中村が順に二人の方を振返った。先に気付いたのは自席で椅子の背もたれに身を預けていた中村だが、声を発したのは月城。上長の橋本や応援の地域課がいなければ、月城の語調は心なしか遠慮がなくなる。
「間が悪いな。すぐ戻るぞ。」
状況を飲み込めない二人に、笑顔の中村が理由を教えた。
「由美子さんね。レーニン並みに薬漬けだよ。睡眠薬の検査なんか出来たもんじゃないって。」
薬と聞いて想像が膨らむ賀喜を見ると、自席で聞き耳を立てていた岡部が腰を上げた。
「由美子さん、死体が全然傷んでなかったんです。清水係長の話だとエンバーミングっていう防腐処理です。」
続いたのは浦野。会議でなければ、彼もただ黙っている訳ではない。
「検体がとれないから持ち帰ったんですけど、何でしたっけ。グリセリンって保湿剤でしたっけ。とにかく薬だらけみたいですよ。」
鶴来は浦野の適当な説明に苦笑する岡部を一瞥した。しかし、素通り出来ない話である。
「それって遺体の損壊にならないんだ。」「死体を洗ってるだけだから。でも、安くはない薬だし、やっぱり普通じゃないね。」
中村がものの見方を教えると、賀喜は目を輝かせた。
「何かを隠すためですか?それなら、…。」
月城は常に議論を重視するが、自由な想像を許す気はない。
「安楽死の常習の可能性は否定できないな。」
教団が隠したとすれば、安楽死用の薬剤の痕跡。確かに否定できない線である。言葉を遮られた賀喜だが、見立てが同じだったせいで、目の輝きは消えるどころか増す一方。
「病院に入りますか?」
職業柄、功を焦る空気を好きになれない月城は視線を逸らした。
「医者はまだ早いな。燃やさないぐらいだから、証拠は残してない。今疑えるのは墓だけだ。数が合わないからな。」
鶴来の頭に浮かんだのは狂った提案を口にする月城のダイナミックなビジョン。高い確率で訪れる惨劇を止めるなら今である。
「合わないのは古い墓だけですよ。」「十分だ。一人ずつ、身元を洗う。」
思いのほかの大人しい答えに安心した鶴来は、逆に煮え切らない賀喜を見つけた。口を開く様子はないので、まずは小康状態である。
「了解です。俺、片っ端から墓を開けるのかと思いました。」
微笑む鶴来に自分の気持ちとのギャップを感じたのか、月城は真剣な眼差しを見せた。
「いや。怪しいのがいたら全部開ける。」
中村はどのツボに嵌まったのか小さく笑ったが、ほかの皆は、正しい感情を探して、互いの表情を探り合った。
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