第56話 八日目(6)

文字数 2,356文字

宗祖が打ち明けた教団の罪は、網代警察署の見立て通り臓器移植だった。日本で臓器提供が認められるとは思えない時代に、一人の米国人の文字通りの献身が教団の自由過ぎる基準を動かしたのである。
その大柄の中年男は稲荷信仰の研究のために日本に移住したジェームズ・ハンスバーガー。紅葉が奥多摩を彩る暮秋のある日、教団の敷地を覆い隠す林の傍で倒れ、意識不明の状態で病院に運ばれてきた彼は、駆け付けた妻悦子の説明でエテヌーロでの樹木葬を望んでいたことが分かった。詳しい相談に乗ったのは霊園を運営する死者に近いマカラと、ホスピスで働く死に近い洋子。勿論、洋子が同席できたのはマカラと距離が近いからである。
病院の応接室にはマカラと洋子の二人だけ。目を瞑り、酔っ払いの様な洋子の話を聞き流していたマカラは、扉の音とともに目を開き、加賀友禅で身を飾る眩しい悦子を見つけた。人種の呪縛を無視して洋子よりも白く瑞々しい肌は、人生を通じ、手間と暇をかけて守られてきたもの。生命力溢れる若者のそれとはまた別の力、贅の力が凄みを放っている。夫の生死の境に着ているなら、日頃見ない和服も彼女にとっては普段着に違いない。見える様な香水が不快でないのは、それが本物だから。これまで行き場のないマイノリティばかり受け入れてきた教団にとって、もっとも縁遠い人種である。洋子は金を思って込み上げた笑いを隠さず、短く自分を教えた。
「ホスピス科の大城です。」「エテヌーロの管理人のマカラです。」
マカラが続くと、名前で日本人でないと初めて気付いた悦子は長い睫毛を動かした。軽く頷いて腰を下ろした彼女が目に浮かべたのは好奇の色。マカラと並んで座った洋子の見て呉れの影響も大きい。
「ハンスバーガーよ。埋葬の相談なんだけど、あなた達でいいのかしら。」
ジェームズと同年代の彼女には、異国情緒あふれる年下の二人が頼もしく見えてはいない。自覚のあるマカラは機械的に話を進めた。
「霊園のことは私ですが、御主人はまだ亡くなっていないので、病院の大城さんにも一緒に話を聞いてもらいます。」
当たり前に高飛車な悦子は通り一遍の説明を聞いていない。
「エテヌーロはヴィーヴォが運営しているわね。夫はヴィーヴォが気に入ってて、よく調べてたのよ。」
悦子は自らの振りまく華への関心を隠さない洋子に微笑んだ。
「夫はヴィーヴォなら出来ると言ってたんだけど、相談に乗ってもらえないかと思って。」
マカラが洋子と悦子の双方に向かって軽く手を挙げたのは、洋子がフライングしそうだったから。そして話し掛けた相手は悦子。
「樹木葬を希望されているんですよね。」「そんな話じゃないのよ。もう少し大変なの。でも、きっと皆のためになることよ。」
悦子は、自分と比べれば汚くさえ見えるマカラの表情が曇ると、前置きを止めた。会話を楽しむ気をなくしたのである。
「夫を樹木葬にする時、エンバーミングをするでしょう。」
死体を処理する段取りに触れた悦子は、今から口にする言葉をどう思ったのか、マカラの隣りで大きく頷く洋子に微笑んだ。
「それでね。生きてる内臓を残さず誰かのために役立ててほしいのよ。」
内臓を役立てるというフレーズは、当時の常識的な発想では臓器移植と繋がらない。エンバーミングさえ手探りに重ねてきたマカラには雲を掴む様な話。いよいよ何も考えていない洋子に至っては、先入観のせいで言われたことさえ違って聞こえる。
「内臓を全部取って、どこかの偉い人みたいなエンバーミングがしたいんじゃないんですか?」
何も聞いていなかったのと同じ答えを聞き、首を横に振った悦子は、手順を追って姿勢を正した。もう誰も開くことの出来ない重く固い殻に閉じ込められたジェームズの気持ちを代弁するのである。
「夫も頭の中ではそんなことを考えたかもしれないけど、私に言ってたことは違うの。あの人は誰かの一部になっても生き続けたいって。そう言ってたわ。言われてみたら、それも嘘には聞こえないでしょう?」
臓器移植に関するいつかの森田のお喋りを思い出したマカラは、悦子の相談の意味を理解すると最大のリスクを口にした。
「日本には法がありません。」「そうね。」
マカラの顔をゆったりと眺めた悦子は、身を引いて加賀五彩の表情だけを変えた。視線を移した先にいるのは異を唱えていない洋子。
「アメリカだと問題ないけど、今からだと飛行機のチケットもとれないわ。あの、無理を承知で聞いてるのよ。内臓を移植する相手が見つかったら誰かの一部として生き続けられるし、見つからなくても内臓を取出せば、あなたが言ったみたいに遺体は長く持つし、私達にはいいことだけなの。あなた達の教団も何かの壁を越えられるんじゃない?元々、そういう繋がりの仲間でしょ?」
声を発したのは悦子が見つめる洋子ではなくマカラ、洋子が思い付きで答えるのを恐れた彼。
「私達は法に反することはしません。」
しかし、洋子の気持ちはマカラの意思など関係なく自由に揺れ動く。瞳の輝きは興奮した時のそれ。
「亡くなった後、どのぐらいで移植しないと…。」「関係ないです。」
洋子の言葉に被せたマカラの声は厳しい。嫌いではない反応を眺めた悦子は、微かに紅潮する洋子に真っ白な顔を近付けた。
「内臓によって違うの。本当に何時間とかから丸一日まで。でも、とにかくすぐよ。」
洋子が笑顔を見せたのは移植自体に現実味を感じたから。彼女にはその類の道に通じるグレーな知り合いがいる。あとは不自然な臓器摘出の隠蔽工作。霊園を管理するマカラ次第である。
「取出した内臓は普通に燃やしたことにすれば…。」「出来ないです。」
露骨に嫌がるマカラに洋子が腕を絡めて笑うと、長い睫毛を動かした悦子は結論を求めた。
「出来ないなんて、この子は言ってないわ。ね、出来るんでしょう?」
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