第2話 一日目(2)

文字数 2,973文字

五十分後、所轄の網代警察署地域課が蠢く冷たい墓地に刑事生活安全組織犯罪対策課が合流した。喉まで寒さが染み込む朝のせいか、野次馬は少ない。制服姿の鑑識係の後を追う二人は、強行犯係の鶴来翔太と賀喜彩花である。
癖のない顔立ちにセンター・パートの鶴来は決してモテないタイプではない。それなりに頭の回る彼だが日頃の鍛錬のせいで体脂肪が少なく、寒さには弱い。黒のダウン・ジャケットの中で震える鶴来の隣りを歩く賀喜は、艶やかな黒のロング・ヘアに黒のカシミアのロング・コート。意志の強そうな目元が魅力的な彼女は長身でやはりスマート。揃って三十過ぎの二人は警察学校の同期である。
彼らが相棒になったのは、決して恋愛体質ではない鶴来が結婚してすぐ。傍目に謎の人事だったが、想像にない幸せを見つけて日々感動する彼に付き合うのが、強行犯係に異動して間もない賀喜だけだったことは大きい。上には独身の賀喜を焦らせる目的もあったかもしれないが、価値観が古すぎるせいで効果は微妙である。
どこか似た雰囲気を醸し出す二人を見つけて慌てて近寄ってきたのは渡会巡査長。見るからに真面目で警察官にしては小柄な彼は鶴来の対極。賀喜のお気に入りである。
ブルー・シートはまだ遠いが、三人の挨拶に反応して、御苦労様の声が其処かしこから返ってくると、気持ちが乗ってきた賀喜は、足を止めることなく、質問を待つ渡会に視線を投げた。
「どう?」「外傷はないです。」
「心臓じゃないんだよね。」「空の容器が落ちてたんで、毒を飲んだんだと思います。」
「自殺?」「二か月前に亡くなった奥さんの墓の前で死んだのでそう思うんですが、遺書がないんです。」
「迷惑だよね。」
遺書がなければ他殺の線が捨てられないのは証拠主義のジレンマ。眉を潜めて苦笑する賀喜を横目に、震える鶴来は先を促した。
「まあ、まず見よう。説明してよ。」
鶴来がしゃがむと賀喜も続き、二人は慣れた手付きで革靴に足カバーを着けた。
先を行く渡会の歩いたままに進んだ二人は、間もなくブルー・シートを捲り、仰向きで横たわる老人の傍らに立った。合掌して短い黙とうを終えた二人の瞼が開ききらないのは、男の顔の派手な死斑と吐しゃ物のせい。軽めの地獄絵図である。目のやり場に困った鶴来は、賀喜の表情に隠しきれない不快感を見つけると鼻で笑った。
「誰がひっくり返したの?」
仰向けの死体の顔に死斑が出るのは不自然。鼻の頭が擦れているので、俯せだったことは間違いない。分かっている渡会はブルー・シートの一角を手で差した。彼にはその先が見えている。
「今、向こうの管理棟で鈴木巡査が詳しい話を聞いてますが、第一発見者の子供がやったみたいです。ちゃんとは答えないんですが、眠ってると思って、起こそうとしたんじゃないですかね。」
別に無理を感じなかった鶴来は、悪魔の様な死顔から顔を背けたまま質問を重ねた。
「身元は?」「この霊園の管理人から聞いただけですが檀家です。苗字は小鳥が遊ぶと書いてタカナシ。名前は勉強の勉でツトムです。住所も分かってます。市内です。」
「じゃあ、この後、家行くよ。そこで遺書がなかったら係長に相談しよう。」
思ったままの流れに頷く渡会を他所に、賀喜は俯いて垂れたかもしれない髪のラインをなぞり、小鳥遊の死体を見据えた。
「ここ現場だよね?」「そうですけど、何ですか?」
賀喜が気に掛けたのは、既に渡会の中で当たり前になっている事実。鼻を指の背で押さえた賀喜は、狭い空間に隈なく目を配った。
「奥さんのお墓は?」
しゃがんだばかりの鑑識達の顔が上がったのは同じことを尋ねたばかりだから。渡会は足元の盛り土を指差した。傍らにはまだ若い一本の木が支柱に身を預ける様に立っている。
「これです。樹木葬ですよ。」
頂きに花束もあるので雰囲気はあるが、およそ世間一般の墓の姿からは遠い。流れで俯いた鶴来は、視界に入った小鳥遊から目を逸らした。
「樹木葬って何だっけ。俺、ちゃんと分かってないかも。」
鶴来の気持ちを察した渡会は、小さく頷くとブルー・シートの囲いからすり抜けた。二人が続くと、待っていた渡会は規律正しく並ぶ木々を手で差した。
「俺もさっき聞きましたけど、基本的には名前のままで、墓石の代わりに木を植えます。ただ、この辺りの墓はもう少し変わってて、遺体を燃やさずに、そのまま埋葬するみたいです。土葬の一種です。」
渡会の言葉のレアな響きに、鶴来と賀喜は自ずと敷地を見渡した。庭園を思わせる木々がすべて墓。地下で腐りゆく死体を思えば、いい気はしない。
慣れるには時間が必要だが、違和感の理由はそれだけではない。賀喜はボルドー系のマニキュアが光る細く長い人差し指を立て、遠くを差した。渡会の『この辺り』という言葉が気になったのである。
「あの辺りは遺跡みたいだけど。」
並んでいるのは異国情緒あふれる墓石。テーマ・パーク級に癖の強い光景が今更面白かったのか、渡会は笑顔を見せた。
「あれはムスリムの墓です。土葬OKなんで、遠くからも集まってきます。」
樹木葬に土葬。脳裏に瞬時に押し寄せた疑問の嵐に目を輝かせた賀喜は、迷わず根幹に立ち返った。
「ヴィーヴォって時々聞くけど、結局何?ヨガ的な奴じゃないよね?」「なんでもみたいですね。」
ヴィーヴォはこの民営霊園エテヌーロを営む新興宗教団体である。林に隠れているが、三十年以上かけて買い占めた土地は広大。改宗なしの土葬に釣られた外国人が多く訪れ、住み込みの信者も受け入れるので、未だに地域に馴染んでいるとは言えない。近隣住民の噂の的が地域課のパトロール・コースから外れる筈もなく、結果、若い渡会の頭にも予備知識が入っているのである。
「こう、宗教の垣根を外して、世界平和を目指すみたいな感じだった筈です。」「おー。」「素晴らしいね。」
鶴来と賀喜が冷めたトーンで感想を漏らすと、誤解を恐れた渡会は説明を急いだ。
「ただ、聞いた話だと、利益は信者で均等に分けるとか、かなり変わってます。別に信者から財産を奪う訳じゃないですけど、この一帯買えるぐらいですから、それなりに儲けてます。」「儲かるの?」
賀喜は質素な眺めの中に贅の香りを探した。
「永代所有で墓を売るんですけど、どうでしょう。信仰を変えなくていいのも胡散臭くて、寂しい人に付け入ってるとしか思えません。」「本人が救われてるといいけどね。」
賀喜は渡会の熱弁に報いるために優しい笑顔を見せた。強い目元とのギャップは彼女の武器である。隣りで凍える鶴来は、捜査の枠組みを無駄に広げるつもりはない。
「霊園の管理人はどんな人?」「宗教団体の総代です。強面ですけど、いい人ですよ。」
「総代って何だっけ。教祖とは違うの?」「はい。信者の代表です。あと、皆、教祖じゃなくて宗祖と呼んでますね。」
「どっちでもいいなぁ。」
苦笑した鶴来は、白い息を吐く賀喜を振返った。
「どっちと話す?総代?子供?」「どっちもだよね。」
「だね。でも、何だろ。どっちも話になる気がしない。」
鶴来らしい正直な物言いに賀喜は頬を緩めた。渡会が視線を向けたのは、今し方、ブルー・シートの中で差した方向。シンプルなガラス張りの平屋が建っている。
「両方とも管理棟に揃ってますよ。」
軽く頷いた鶴来は、可哀そうな小鳥遊をそのままに、渡会の言う管理棟に向かって歩き出した。
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