第21話 三日目(8)

文字数 2,106文字

夕食を終え、夜の捜査会議。口火を切った清水の説明の肝は由美子に関する昼間の雑談のままだったが、橋本のために言葉を飾るだけで、瞬く間に三十分が費やされた。時の流れは早いのである。
次の話題を提供したのは月城。あれから教団に戻った一行は、市役所で許可証の確認できなかった墓の持ち主の身元を把握するため、総代を始めとする教団の面々にヒアリングを重ねた。どこのどんな人間がどういう経緯で樹木葬を選んだのか。シンプルな質問である。
霊園の開設から間もない頃なので印象深い筈だがとにかく古い話。十分に空気を読んでいる総代は警察の聴取に積極的に協力する姿勢を見せたが、月城と中村も加わる三班が並行して聴取を進めた理由を理解していたかは怪しい。すべては、他の班で得られた情報と後で照合して、矛盾をあぶり出すためである。
「一九八八年十二月二十七日に埋葬された田野倉実さん。男性。契約時の住所は東京都あきる野市。死因は心不全で享年は四十三歳。霊園と永代所有で契約。死亡したのは教団の運営するサンタ・アーモ診療所。青森に住んでいた両親に連絡して、埋葬したとのこと。教団には、…。」
月城が違和感を伝えたのは、不自然に享年が若い者や契約してすぐにこの世を去った者等、聞いた誰もが納得する者ばかり。月城は、一人一人について、皆が集めた情報を丁寧に確認していった。
ボレロの様な質疑応答が乱れたのは、夜十一時を回った頃。疲れを見せない月城が、睡魔と戦う皆のために説明を短く刻んだ時だった。
「一九九一年八月十日に埋葬された大城洋子さん。女性。契約時の住所は東京都あきる野市。死因は心不全で享年は三十一歳。死亡したのはサンタ・アーモ診療所。沖縄に住んでいた母親が上京して葬儀をしたとのこと。ここまでで情報はあるか。」
岡部は真っ直ぐ手を挙げた。鶴来達も情報を持っているが、剣友として、月城の呼びかけに一刻も早く答えなければならないのが彼。
「課長。」「岡部。」
「はい。大城さんは教団の信者で医療行為に従事していて、宗祖や総代とも近い存在だった様です。急に亡くなって、葬儀の準備も慌ただしかったと聞きました。沖縄出身とは聞きましたが、母親が上京という話はなかったです。」「そこは確認だな。」
賀喜は髪のフェイス・ラインを指でなぞり、小さく手を挙げた。
「課長。」「賀喜。」
「はい。総代はカンボジアから沖縄に流れ着いた難民という話を宗祖から聞きました。総代本人に確認したところ、宗祖は認知症で信用しない様にとの話もありましたが、気にかかります。」
現実離れした情報に失笑が広がり、橋本さえ苦笑すると、鶴来は真っ直ぐに手を挙げた。他の皆と毛色の同じ話を一刻も早く披露したくなったのである。
「鶴来。」「はい。大城さんは目の色が薄い、所謂、白人に近い外見で、宗祖や総代と行動を共にすることが多かった様です。明るい人柄で、教団を大きくした功労者と言われていました。」
その瞬間、モニターに調査対象者の住民票の一覧が映された。画面を勝手に変えたのは中曽根。住民票の調査ともども、すべては彼女の仕事である。
皆が睨んだ大城洋子の名前の隣りにリンクはないので、住民票がないということ。宙を睨んだ月城は、何度か分かり易く頷いた。
「大城さんは要注意人物。鶴来と賀喜は、彼女のことを宗祖に確認する様に。」「はい。」「はい。」
鶴来と賀喜が揃って返事をすると、月城は次の人物へと話を移した。

すべての聴取結果の確認が終わったのは深夜零時前。追加調査の対象を数人選んだ月城は背広を直し、沈黙を守っていた橋本を振返ると軽く頭を下げた。
「本日は以上となりますが、最後に署長から一言頂けますでしょうか。」
中曽根と顔を見合わせた橋本が小さく頷くのはいつも通り。見守ることが仕事の橋本は、姿勢を正した皆を労う様に微笑んだ。笑顔ひとつで空気を換えられるのは才能である。
「皆さん、今日は夜遅くまでご苦労様です。明日の捜査は、小鳥遊由美子さんの遺体に施された処置が過剰だったことに拠っています。故意に薬剤の痕跡を隠滅したのであれば、何者かが違法に安楽死用の薬剤を処方し、報酬を得ている可能性が出て来ます。誰もが知っている様に人生は厳しいですが、人の体はその厳しさに耐えられる様に、皆が思う以上に頑丈につくられています。一杯の水の施し、一輪の花で心が満たされる様に謙虚であれば、苦しみの先にも絶対に喜びが待っています。そうした人が後進に向ける無償の愛がこの世界を理想へと導いているのですが、心が未熟な人はそれに気付けず、安易に死に流されてしまいます。また、別の構図もあります。安楽死が認められるなら、残される者に負担をかけずに早く死を選んでほしいという周囲の空気。人生最大の窮地で心が折れれば何が起きるか、分かり切ったことです。いずれにしろ、安楽死を認めることで、社会は決していい方向には流れない。だからこそ、日本では禁止されている訳です。無法を許し、大切な命が軽率に失われることのない様、調査を徹底してください。」
捜査本部の面々は、現代のこの国の価値観からは外れていない橋本のスピーチが終わると、一斉に頭を下げた。
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