第39話 六日目(2)

文字数 766文字

この瞬間にも老けていきそうな総代は、霊園を目指してその場を後にした。行動で面会を許された鶴来と賀喜は、二人だけで階段を登り、アウターを脱ぐと宗祖の横たわる部屋を覗いた。
今日の宗祖はリクライニングで身を起こし、扉の方に顔を向けていた。何かが起きる気配を感じていたとすれば、気の毒な話である。
「アア。」
呻き声もいつもより大きいが、回復していく予感も所詮は錯覚。体調の波が大きいだけである。
「おはようございます。」
二人は揃って挨拶をすると、ベッドの傍らに真っ直ぐ足を進めた。ローズマリーの香りを吸った賀喜は宗祖の身を避け、カーテンを勢いよく閉めた。平然と腰を下ろすのは有無を言わせないため。
「昨日の話の続きを伺いに来ました。」
口火を切ったのはレコーダーを取出した鶴来だが、宗祖は距離の近い賀喜を冷めた目で眺めた。
「昨日、何ヲ喋ッテモコノ人ニ叱ラレタ様ナ気ガシマス。」
明らかな記憶の混乱に、賀喜は優しい笑顔を返した。
「違います、宗祖様。叱られたのは私です。同じ話を繰返されていることをお伝えしたら睨まれました。」
自問の渦に陥ったのか、動くことを忘れた宗祖は適当な沈黙を通り過ぎると、すべてを忘れた様に天井を見上げた。
「昔、リチャード・バーベッジガシャイロックヲ演ジテ、…。」
宗祖の頭の中で何が起きたかは知る由もない。シェークスピアとは縁のない賀喜が首を傾げると、宗祖はまた新しい自分を見つけた。
「私ハ何ヲ話シマシタカ?」
どこまで本気かは分からないが、取敢えず賀喜への謝罪はない。
「沖縄から上京した総代が大学生の頃の宗祖様と出会ったところまでです。思惟の会のメンバーと初めて会った日です。」
宗祖は天井を見たまま微笑んだが、瞼を微かに下げた。無言のまま、動くのは瞼だけ。それが微睡みだとすれば、昔話が始まるまでもう少し時間がかかるかもしれない。
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