第70話 試合 その6

文字数 3,112文字

 奉行は(にら)む翼を逆に睨み付け口を開いた。

 「翼、やり過ぎではないか?」
 「やり過ぎ?・・・。
お奉行に聞きたい、奉行所は人間を狩るのも仕事か?」

 「どういう意味じゃ?」
 「奉行所の猫又が、物の怪に何もしない人間を狩りをするかのように殺し回るという意味だ」

 「何じゃと! 奉行所を侮辱(ぶじょく)するか!」
 「侮辱? ではそのような事は無いとでも?」
 「当たり前じゃ!」
 「それなら奉行の目は節穴以外の何物でもない」
 「何だと!」
 
 「よく聞け、市之助は楽しんで人間を殺している」
 「バカを言うな! 証拠でもあるのか!」
 「俺は退治屋だ、この意味がわかるか?」
 「!」

 怒りに顔を真っ赤にしたお奉行が、翼のその一言で黙り込んだ。
それに対して道場に居た猫又達が騒ぎ出す。

 「市之助を侮辱するだけでなくお奉行様に何て口を!」
 「我ら奉行所を侮辱するとは言語道断!」
 「市之助はそのような事などするものか!」
 「人間ごときが因縁(いんねん)をつけおって!」

 それらを聞いて翼は怒鳴り返した。

 「うせぇ猫又! 人間を襲っておいて何をほざきやがる!
人間を襲う凶悪な猫又を庇う(かばう)というなら相手になってやる!
かかってきやがれ!」

 翼からすざましい殺気が放たれた。
今までのノホホンとしていた翼からは想像ができない。
恐怖が猫又達を襲う。
騒いでいた猫又達は、息を飲み込み黙り込んだ。
それでも翼を睨み返せたのは、奉行所としての意地であった。

 だが・・・
誰も翼に挑もうとはしない。
暫くは翼と睨み合いが続いた。
やがて一人立ち上がるモノがいた。

 (つるぎ)ノ助だ。

 「相手をしてやろう人間。思い上がりも大概にせい」
 「そうか、手加減はしない。死ぬ覚悟で来い」

 「よかろう、お前も死を覚悟せよ。」

 剣ノ助の挑発に翼は無反応であった。
まるで能面のようだ。
あのホンワカとしていた翼はどこに行ったというのだろうか・・。

 そんな翼に剣ノ助は低い声でさらに話しを進める。

 「分かっていると思うが儂とやるのは試合ではなく果たし合いだ」
 「果たし合い?」
 「そうだ」
 「そうか、受けてたとう」

 剣ノ助は道場の真ん中に移動をした。
翼もそれを見て、剣ノ助と対峙する位置に移動した。

 剣ノ助は翼と道場で向き合う形となり、背筋に冷や汗が流れる。
剣ノ助は悟ったのだ。
翼の実力を・・・。

 実力者の市之助は試合の前半を有利にしていたように見えた。
だがそれは間違いだったと痛感する。
市之助は翼に相手にされていなかったのだ。
それもさも市之助が翼と互角かそれ以上に見せるというオマケ付きで。
市之助を消そうと思えば簡単にできた事だろう。
だがそうはしなかった。

 対峙して初めてわかる翼の実力・・。
おそらくノホホンとしていた翼でいたならば、実力など分からなかっただろう。
怖ろしい奴だと思う。

 実力を悟らせないよう手を抜いて試合をし、あの二人に勝ったのだ。
奉行所でも実力者のあの二人にだ。
それが退治屋と言われる者の実力だ・・・。
正直、剣ノ助は翼に勝てるというビジョンが見えない。

 だが・・剣ノ助には道場主としての矜恃(きょうじ)がある。
後には引けなかった。
そして剣ノ助が行うのは試合ではなく、果たし合いだ。

 果たし合いは試合とは違う。
命と命のやりとりだ。
試合で強いからと言って果たし合いでも勝つなど有り得ない。
武術と武道の違いがあらわれるのだ。

 そして剣ノ助が試合ではなく果たし合いにするのは理由があった。
奉行所に対して敵対行動を翼が取ったからだ。
奉行所は舐められたとあっては立ちゆかなくなる。
自分達をあなどったり、舐めきった者を奉行所は徹底的に潰さねばならない。
そうでなくては犯罪者が奉行所など恐るるに足らずと好き勝手にしでかす可能性があるからだ。

 つまり奉行所として、果たし合いにするのは常識的な反応なのである。
舐められた相手は始末する。
それが鉄則であった。

 試合から果たし合いに移行するには仕来り(しきたり)がある。
ここ道場で、お奉行(みず)から翼に試合を所望し開いたものだ。
そのため試合から果たし合いへと変わったことをお奉行が宣言する必要がある。
それが奉行所としての礼節であった。

 だから剣ノ助はお奉行からの果たし合いの許可と、その宣言を待った。
だが、お奉行は何も言わず目を(つむ)り腕を組んで考え込んでいた。

 そんなお奉行であったが、目を開くと翼に声をかけた。

 「翼よ、先程言った市之助の件、間違いないか?」
 「無い」

 翼は迷うこと無く即座に答える。
周りの猫又達が翼に向ける非難の目が(けわ)しくなる。

 「翼、市之助をまだ殺してはおらぬな?」

 「ああ、まだな。
やる気があったならとっくにやっている。
市之助が人間を襲っている事をお奉行が知っているか確認がしたかったからな。
だが試合で市之助を叩きのめさないと俺の気がすまなかったのでそうしたまで」

 「そうか・・」

 「だが、お奉行、どう市之助とやらを裁く?
奉行所がグルになり市之助を裁かぬなら、俺は奉行所を敵とみなす。
罪も無い人間が、それも人間界で殺されるなど黙っていられるか!」

 その言葉にお奉行は何も反応はしなかった。
翼もそんな様子のお奉行に対して、何も反応はしない。

 お奉行は剣ノ助に問いかけた。

 「剣ノ助、お前は市之助が人間界に行っていた事を知らんようだったな?」
 「御意」
 「道場のモノ達は、どうじゃ?」
 「いいえ、無いかと・・・」

 「そうか・・・。
市之助が人間界に行ったなどと報告は儂には上がっていない。
儂が知る限り、市之助は奉行所の仕事をするか、休日は道場通いしかしていないはずだ。
また奉行所は休日以外には休んではおらず、人間界になど行った素振り(そぶり)はない。
確認しておきたいのだが、休日の道場通いは欠かさずにしておったか?」

 「・・・・・」
 「どうした?」
 「暫く前から来たり来なかったりしておりました。
来ぬ時は地方回りの仕事があり、休みが取れずに来られぬと届けがあり申した」

 「地方回り?」
 「御意」

 それを聞いてお奉行は周りを見回し、一人の猫又に目を止めた。

 「彦座(ひこざ)、お前は市之助に地方回りを命令、または許可したか?」
 「いいえ・・・、市之助にそのような事は・・・。
ただ・・・」

 「ただ? ただ何じゃ?」

 「業務が忙しくない事を理由に、すこし道場で腕を磨きたいので休むと届け出があり申した。
腕を磨くのも仕事のうちですので休んでも業務中とみなし休暇をお奉行に報告しておりませぬ。
申し訳ありません」

 「そうか・・、まぁ、それは問題にはせぬ。
仕事に支障がないなら、腕を磨くのも仕事じゃ。
となるとだ、剣ノ助へ報告した地方回りとは矛盾しておるな・・」

 お奉行はため息を吐いた。
そして道場に居る皆に告げる。

 「翼との試合はこれにて終了とする。
翼の件は(わし)の預かりとする。
なお市之助について調査を行い、後日、その結果を公表するものとする。
市之助は牢屋に入れよ」

 市之助は試合見学をしていたモノが取り押さえて連れていった。
市之助はお奉行に何か訴えていたが、何を言っているのかわからない。
おそらく(あご)をやられており、うまく話せないのだろう。

 試合見学していた猫又達はすこしざわついていたが、やがて静まった。

 「彦座、徳兵衛、捨吉、そして剣ノ助、お前らは儂と会議じゃ。
翼、お前もじゃ」

 「・・・」
 「翼、お前が何か言いたいことは分かる。
じゃが、今は儂に従え、よいな」

 「分かった。
だが、有耶無耶(うやむや)にする気はない。
市之助とやらを野放しにすると人間界で人が殺される。
奉行所が何もしないというなら、俺にも考えがある」

 それにお奉行は何も答えず、(あご)で付いて来いと合図をした。
奉行と呼ばれた3人の猫又が道場を出る。
翼は少し遅れてその後を追った。
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