第59話 奉行所 その5

文字数 2,946文字

 ある日の午後の事である。

 猫又(ねこまた)の里にある奉行所(ぶぎょうしょ)執務(しつむ)室で、奉行(ぶぎょう)が書類に目を通していた。
執務室には奉行一人しか居らず、静寂が部屋を支配している。
書類をめくるカサリという音が部屋に響いた。

 やがて奉行は机に置いてあった湯飲み茶碗(ちゃわん)を取り一口飲む。
そして独り言のように(つぶや)いた。

 「報告か?」

 その言葉に(ましら)ネコと呼ばれる密偵(みってい)が、忽然(こつぜん)と姿を現した。

 「烏妖(うよう)のその後がわかりました」
 
 「なんじゃと! さすがじゃ、猿ネコよ!
 で、烏妖は今はどうしておる?」

 「はっ! 人間界にて妖狼(ようろう)により消されました」
 「消された?」
 「はい、もうこちら側、物の怪の里に来ることはございませぬ」

 「そうか、烏妖の脅威(きょうい)は去ったか・・。
それにしても妖狼に消されるとはのう・・・。
で、烏妖がこちらに(あらわ)れた理由は分かったのか?」


 「それなのですが、要因は妖狼のようです」
 「何! 妖狼が要因じゃと!」

 「ええ・・。
妖狼は人間の退治屋(たいじや)に何らかの恨みがあり、退治屋を(さが)しています。
烏妖は手足となり、その捜索(そうさく)に協力をしていたようです。
そして捜している退治屋の番い(つがい)が、ユリです」

 「ユリ! ここにいるユリか!」
 「おそらく・・・」

 報告を聞いた奉行は一瞬考えて、言葉を()らした。

 「なるほどな、妖狼はユリを捕らえて退治屋が抵抗できないようにし始末をとでも考えておったか・・」

 昼行灯(ひるあんどん)の振りをしている奉行であるが、知る人ぞ知る切れ者と(うわさ)される奉行である。
猿ネコの短い報告だけで、ユリがなぜ狙われたか推察した。

 「それにしても烏妖が現れた大本(おおもと)の原因が妖狼とはのう・・・」

 「ええ、よりによって一番相手にしたくない物の怪(もののけ)です。
ただ妖狼は退治屋の素性(すじょう)は知らぬようです」

 「なんじゃと?! どういう事だ?
退治屋の素性を知らぬだと?」

 驚きを(かく)せない奉行であったが、直ぐに何かに気がついたようだ。
そして合点がいったのか、ポツリと(つぶや)く。

 「ああ・・、なるほどな・・・。
妖狼は人間に恨みのある物の怪だ。
おそらく同胞(どうほう)である物の怪が、よりによって退治屋、いや人間に退治される事が許せなんだか・・。
それで退治屋を始末をすることを決意したか。
じゃが、始末しようにも退治屋が何処(どこ)に住んでいるのかも名前も分からぬ。
そんな時に退治屋の番い(つがい)の情報を(つか)んだとしたならば・・・。
それで烏妖に番いを(つか)まえてこいと命じたのだな。
で、烏妖がその番いであるユリを(さが)し出したが、河童(かっぱ)が異次元空間に逃がした・・・。
なるほどな、これで全てが(つな)がったな」

 奉行の推察(すいさつ)に猿ネコは何か言いたげであった。
それというのも、今、奉行が(つぶや)いたことを報告しようとしたのに、奉行がそれを導き出してしまったからだ。

 妖狼から命がけで(つか)んだ情報だというのに。
自分が報告をしたかったと(くちびる)()む。

 「ん? 猿ネコ、どうした? なんぞ不機嫌(ふきげん)のようじゃが?」
 「いえ、なんでもござらん!」
 「?」

 猿ネコはソッポを向く。
すると庭から(うぐいす)の鳴き声がした。

 ほ~・・・、ほけきょ!

長閑(のどか)である。

 奉行は猿ネコが何をすねて(へそ)()げたのか見当がつかない。
重要な情報を掴んできた猿ネコだ、()めようとした矢先に臍を曲げられ、奉行は困惑した。
そしてこういうときは褒美(ほうび)をやるのが一番だと奉行は考えた。

 「あ~・・・、なんだ、猿ネコ、よく調べてくれた。
褒美はなにがよい? お前の望むものをやるぞ?」

 その言葉に、猿ネコの瞳が輝いた。

 「で、では、奉行の秘蔵のマタタビ酒を所望(しょもう)いたします!」
 「にゃ、にゃにぃ!! ま、待て!」
 「待ちません!」
 「あ、あれは50年物だぞ!」
 「知っております」

 「にゃ、にゃんだとぉ! な、何故に知っておるにょだ!」
 「奉行・・・、私は密偵ですぞ」
 「ば、バカ者! (わし)の周りを探るのが密偵の仕事ではあるまい!」
 「いや、だって奉行の周りには面白い(おもしろい)ものが沢山(たくさん)ありますから」
 「う、うぬぬぬぬ・・、ま、まぁ、確かに・・、し、仕方(しかた)ないか・・・」

 仕方がないでいいのか奉行!と、言いたくなるが・・
何分にも猫又の行動原理は面白いかどうかだ。
こればかりはどうしようもない。
よって奉行は怒るに怒れないというジレンマを(かか)えたのであった。

 「ご納得(なっとく)いただけたようでよかったです、奉行」
 「じゃ、じゃがのう、儂のことを探るのはやめい」
 「どうしてですか?」

 「よいか、儂の回りには奉行所の機密事項に関するものもある」
 「はぁ、それはそうでしょうけど、それが何か?」
 「分からぬか?」
 「?」

 「機密事項は決して関係者以外が見てはいけぬものだ。
たとえお前でさえもな」

 「ああ、それは心配いりません、私はそのようなモノを見たことがありません」

 「そりゃぁそうだろうよ、書類にわかりやく機密事項などと書いてあったら曲者(くせものの)にこれをお持ち帰り下さいと伝えるようなものじゃ」

 「なるほど、確かに・・」
 「もしお前がそれとはしらずに見てしまったらどうなると思う?」
 「どうなります?」

 お奉行は扇子(せんす)を懐から取り出して、それで自分の首を切る動作をした。
つまり斬首(ざんしゅ)である。
それを見て猿ネコは真っ青になる。

 「お、お奉行! わ、私は機密事項など見ておりませぬぞ!」
 「それを誰が証明してくれるのだ?
お前が忍び込んだとき、その場に誰か居てそれを証明してくれるのか?」
 「!」

 「できぬであろう?
まぁよいわ、儂はお前を信頼しておる。
じゃから今までの事は不問にするが、これ以降は儂の近辺を(さぐ)るのは止めよ、よいな?」

 「ははっ!」

 猿ネコは奉行に平伏(へいふく)した。
そしてこれ以上居ては、お奉行の気持ちが変わるかもしれぬと思った。

 「で、ではお奉行、手前(てまえ)、仕事が御座(ござ)いますれば!」

 そう言うと同時に猿ネコは奉行の前から消えた。

 「ふむ、逃げよったか・・」

奉行は猿ネコが居た場所を見て、ニンマリと笑った。

 「機密事項を書いたものなど、自分の回りなどに置かんわ。
猿ネコでさえ知らぬ秘密部屋に置いて厳重に管理する物じゃよ。
まぁこれで猿ネコへの警戒はせずにすんで万々歳(ばんばんざい)よ。
それに・・・」

 そう言って奉行は腹を(かか)えて笑った。

 一方、奉行所を辞した猿ネコは自分の家へと歩いていた。
今日の仕事はお奉行への報告で終わりだったのである。
奉行には仕事があるからと辞したが、あれは奉行の御前(ごぜん)から逃げる口実(こうじつ)だった。

 歩いていた猿ネコが突然足を止め、それと同時に叫んだ。

 「や、やられた! あ、あのお奉行に!
お奉行のマタタビ酒、拝領(はいりょう)するという言質(げんち)をもらってないじゃないか!
くっそぉ、機密事項の件で泡を食(あわをく)って忘れていた!
わざと機密事項について話したんじゃねぇのか、あの(たぬき)!」

 そういって猿ネコは地団駄(じたんだ)()んだ。
奉行所では褒美(ほうび)についてお奉行が言及した時に、その場で拝領という言葉を(もら)わずに帰れば褒美を辞退したことになるのだ。
つまり猿ネコはお奉行の秘蔵のマタタビ酒を貰い(そこ)ねたのである。

 しかし猿ネコの怒りは()ぐに鎮火(ちんか)した。

 「ま、まぁマタタビ酒は()しかったが、命あってのものだねだ。
お奉行が機密事項の件に目を(つむ)ってもらえなければ、今頃は・・・・」

 そう言って猿ネコはため息を吐く。

 「安いマタタビ酒でも買って帰ろう・・・」

 猿ネコは(うつむ)きがちにトボトボと歩き始めた。
その背中には哀愁(あいしゅう)(ただよ)っていた。
 
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