第7話 異界へ・・2

文字数 2,574文字

 飲み会を終え、居酒屋の前でユリと真弓は別れた。

 ほろ酔い気分のユリは、酔い覚まし(よいざまし)をかねて少し散歩をする事にした。
行く先は長野県美術館だ。
前は信濃美術館と言っていたが、立て替えと同時に名前を変えた美術館である。
この美術館は公園と一体化しておりユリのお気に入りであった。

 余談であるが長野県人は、長野というより信濃と呼ぶ事を好む人が多い。
ちなみに県庁所在地の長野市民は、長野という呼び名を好む傾向にある。

 久しぶりの駅周辺を歩くと、いつの間にか通りにある店が変わっていて驚く。
街はそうそう変わらないような気がしていたので不思議な感覚だった。

 ふと目を向けると車道を(はさ)んだ歩道を、ユリと逆方向に歩くモノが目に入った。
河童(かっぱ)のユンである。

 ユリは違和感を覚えた。
なぜならユンは霊気を放ちながら歩いているからだ。
普通そのような事はしない。
まるで私を見つけなさいと言わんばかりである。
ユンは意図的に霊力がある者に見えるようにしているかのようであった。
何故ユンがこのようにしているのか、ユリには理由がわからなかった。

 道を歩いている霊力がない人に、物の怪であるユンは見えない。
もし河童であるユンが見れたなら大騒ぎになった事であろう。

 ごった返している歩道だが、歩道の真ん中を堂々と歩いているユンにぶつかる者はいない。
人が自然と見えていないユンを()けているからだ。
何もないのに避けて通る人の行動は不自然であり違和感を感じるはずだがそのような様子はない。
ユンがそのようにしているからで、物の怪の能力である。

 最近あまりユリはユンを見かけていなかった。
そんなユンを、このような町中の人混みで見つけるとは思わなかったユリである。
ユリはユンと話したいことがあったので、ユンを追って行き話す事にした。

 だが、この道路は2車線で交通量も多く横断歩道が近くにない。
近い横断歩道はユンが歩いている方向と逆方向にある。
50m程先だ。
ユリは走った。
そして横断歩道をなかば強引に、車を止めながら渡る。
運転手が顔を(しか)め、中には馬鹿野郎!と怒鳴る者もいた。
だか、今はそれどころではない。
頭を軽く下げその場を後にする。

 反対の歩道に辿(たど)りつきユンの姿を探す。
だが人混みに(まぎ)れてしまいユンの姿が見えない。
人をかき分け急いでユリは歩いた。

 「居た!」

 だが見つけたと思ったら脇の細い道路へとユンは消えた。
慌ててその細い道路へと走った。
その道は人通りが少なく、ユンは50mほど先を歩いている。
人通りが少ないとはいえ、このままではまた見失う可能性があった。
ユリは走りながら、ユンに気がついてもらうため軽く霊力を放つ。
これでユンは自分に気がつくはずだ。

 ユンが振いた。

 自分を見てユンが笑って手を振ってくれるとユリは思った。
だが振り向いたユンは、目を見開き焦った顔をしたのである。

 その様子に違和感を感じながらも、ユリは気がついてくれて良かったと思った。
ユリは軽く手を振る。
ユンはそんなユリを無視し、顔色を変えて視線をあちこちに向け周りを警戒した。
その様子にユリは困惑する。
今までこのような行動をするユンをユリは見たことがない。

 いったい何を警戒しているの?

 そう思いユリも周りを見回す。
すると・・・

 突然に目の前に黒い(もや)が現れた。
ユリは本能的に後ろに飛びすさった。

 「見つけたぞ!!」

 黒い(もや)からおぞましい声が聞こえた。
ユリの背中に冷や汗が流れる。

 これは危険だ!!

 ユリの本能がそう告げる。
考えるより先に体が臨戦体制に動く。
ハンドバックから戦うための武器・独鈷(とっこ)を取り出そうとした。
その瞬間、靄が形を変える。

 現れたのは烏妖(うよう)であった。
(からす)の物の怪である。

 なんでこんな場所に烏妖が!!

 ユリは悲鳴を上げそうになった。
長野の中心街、それも駅の近くにこんな危険な物の怪が現れるはずがない。
そう思い目を見開く。

 烏妖は狡猾(こうかつ)、且つ残忍で危険な物の怪だ。
ユリは今まで会ったことも、退治したこともない。
そんな物の怪が突然に目の前に、それも街中に現れたのである。

 どうして、こんな繁華街に?!

 ユリは何故だと思いながら後退る(あとずさる)
烏妖を退治する自信は無い。
翼が居てくれたら・・。
そう思うがここには翼はいない。
自分一人でやるしかないだ。

 そう思ったときだ。
烏妖の後ろからユンが走って現れ、ユリの手を掴む(つかむ)とその場から逃げ始めた。
ユリは転びそうになりながらも、ユンに引きずられるように走る事となった。
いや、走るというのではない・・。
ユンは河童であるため人とは比べようもない怪力だ。
引きずられというより、まさに急加速された車に乗せられたように足が宙に浮く。
それでいて腕が引きちぎられる感覚はない。
おそらく物の怪の能力なのであろう。

 ユリはこの状況に困惑した。
まるでユンは烏妖が現れる事を知っていたのではないかと、ふと疑問に思った。
だがそれも一瞬の事だ。
視界に映る(うつる)周りの景色にユリは悲鳴を上げた。

 「え?! 此処(ここ)・・何処(どこ)!!」
 「五月蠅い(うるさい)、黙って!」

 ユリはユンにすごい形相で(にら)み付けられ押し黙った。
だが、それも長くは続かなかった。
突然にユンと自分をつなぐ手が離され、ユリは空中に放り出されたのである。

 空中を回転しながらユリはユンから遠ざかる。
この感覚を分かりやすく言うなら、柔道で巴投げ(ともえなげ)により空中に投げ出された感覚であろうか・・。
ただそれと異なるのは、床に落ちる気配がないことである。
ユリは回転しながら遠ざかるユンを見た・・

 するとユンと自分の間に烏妖(うよう)がいた。

 おそらくユンに掴まれていた手を烏妖が払いのけたのだろう。
ユリは二人からどんどんと離れていき、暗闇の中に吸い込まれていく。
ユンはユリに手を伸ばそうとするがそれを烏妖が邪魔をしながら、烏妖がユリを捕まえようと走り出す。

 だが、ユリが二人の物の怪から離れていく速度が速く烏妖もユンも捕まえるのは不可能だ。
加速度的に遠ざかる速度が早くなっている。

 ユリが今いるのは真っ暗な空間だ。
まるで星のない宇宙に放り出されたような空間で光がいっさいない。
だがなぜか自分やユリ、烏妖の姿はくっきりと見える。

 ユリは、ユンから回転しながら宙を異常な速度で離れていく・・。
この感覚は、まるでビルの屋上から飛び降りたかのようだ・・。
加速される感覚と、回転している気持ちの悪さにユリは気を失った。
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