第55話 奉行所

文字数 2,935文字

 突然翼に抱きつかれたケルは理解に苦しみ、アタフタとした。
だがやがて冷静になり翼に怒鳴る。

 「おぃ! 翼! は、離れやがれ!」

 怒鳴られた翼は、ケルの耳元でささやく。

 「ありがとう・・ケル・・・」

 ケルは、一瞬ポカンとした。
やがてケルは翼を優しく抱きしめた。

 男同士の抱擁である。
男同士・・気持ちが悪いなどと思う者は、残念ながらここにはいない。
平助もしかりである。
平助は二人を優しく見守る。

 ケルはやがて翼の背を軽くポンポンと叩いた。
それを合図に翼はケルから離れる。
離れた二人は互いに顔を背けて、無言でいた。

 「ゴホン!」

 平助が見かねて咳をする。
二人はビクリとして、同時に平助を見た。
平助は翼を見ながら言う。

 「翼、お前は儂と一緒に奉行所に参れ、悪いようにはせぬ」
 「はい、平助さん、よろしくお願いします」
 「うむ、で、ケル、お前も来い」
 「え? なんで私まで?」

 「お前・・、もうこれで自分の仕事は終わりとでも思って居るのか?
この人間を奉行所におる人間と会わせ、儂が報告すればその人間は放免となるぞ?」

 「はぁ、そうでしょうね? で?」
 「奉行所は解き放って終わりだ、後のことは知らん」

 「え! そんな!
ユリを捕らえた奉行所は、放免後の面倒も考える義務があるでしょう!
無罪の人間を奉行所が拘束をしていたんですから!
その無罪の人間を追いかけて来たのも、また奉行所の責任でもありましょう?!
二人の面倒を奉行所が見るのが筋ではございませぬか!」

 「言ったであろう? 奉行所にいる人間は客人扱いだと。
冤罪で捕らえていたわけでなく、三食昼寝付きで扱った人間だ。
奉行所がそのように扱ったのは、お前ら河童とその人間の関係性が不明だったからだ。
よいか、ケル・・、お奉行は温厚だからその人間とお前らの関係を調べさせた。
前のお奉行なら有無を言わさず、奉行所に居る人間なぞ始末をしておった。
そして関連するお前らもだ」

 「・・・・」

 「さて庄屋であるお前に聞こう。
お奉行にこう報告してよいのか?
河童は、奉行所にいる人間なんぞ知ったことではないと申しておりますと。
そして自分らとは関係がないので、ご自由に対処して下さいと伝えてよいのか?
お奉行はおそらくであるが、あの人間とユンは友人なのだろうと思って居る。
それなのにこのような報告をしたらどうなるであろうのう?
おそらく奉行所はお前ら河童に対し不信感を持ち、今後何かと便宜(べんぎ)をはからう事はなくなるだろうな。
よいのだな、それで?」

 ケルはその説明を聞くと、愕然(がくぜん)とした。
自分の思い至らなさに事に気がついたのだ。

 ケルは姿勢を正したあと、平助に頭を下げた。

 「申し訳御座いませんでした・・、私も奉行所に参ります。
お奉行へ御礼を申し上げ、奉行所におる人間を引き取ります」

 「うむ、そうしてくれ。
そうでないと儂はお前らとのつき合いを変えねばならぬとこであった」

 「短慮な私を(いさ)めていただきありがとうございます、平助様」

 「分かってくれればそれでよい。
ああ、それからな、引き取った後、人間をどうしようと奉行所は関与せぬ。
異次元空間にホッポリ投げようが、河童の村に住ませようが、はたまた人間界に戻そうがな。
好きにすればよい」

 平助の言う言葉に、翼は何も言わず聞いていた。
その様子を見て、平助は翼に聞いた。

 「翼とか言ったな、其方はそれでよいのか?
ケル達はお前らを人間界に返さぬ可能性もあるがのう」

 「ええ、それでいいですよ。
こちらの世界に来た事でユリは命拾いをしたわけですし、私はユリを捜すために此処(ここ)に来たんですから。
どちらも私達人間の都合です。
人間界に返してくれなんて言えた立場ではないので」

 「うむ、よく物の怪のことを分かっておるではないか」

 翼は、まぁね、という顔をしてそれに答えた。
ケルは二人の会話が一段落ついたと感じ、平助に口上を述べる。

 「平助様、今回の件ではお手を(わずら)わせてしまい申し訳ありませんでした。
次回、こちらに来られた時の接待は、今回の感謝も込めて豪華に致しますよ」

 「おお、それはよいな」

 平助のその言葉を聞いて翼が口を挟んだ。

 「あのさぁ、平助さん、それって(そで)の下を受け取るという事じゃないの?」
 「そうじゃが? 人間、何を言いたい?」
 「いやぁ、不正を(ただ)す奉行所がそれでいいのかと」
 「奉行所は不正なぞ糾さんぞ?」
 「へ?」

 「奉行所は諍い(あらそい)を収める公共機関だ。
強い者に味方しながら、むやみに弱者が抹殺されないようにたち動く。
物の怪の正義は力だからな。
それに猫又が奉行所を運営しているのは、他人のもめ事が面白いからじゃ。
何か文句があるのか、人間?」

 「あ~・・・、そうか、物の怪(もののけ)だもんな。ゴメン」
 「うむ、人間と物の怪は違うということを忘れるでない」
 「ああ、気をつけるよ。さすが伊達(だて)(じい)さんになったわけじゃないな、平助さん」

 「バカ者! 何度いったらわかる! (わし)(じじい)ではないと言っておろうが!
いい加減にせい!」

 「うん、わかった、爺さん」
 「・・・・」

 平助は米神(こめかみ)を右手で押さえた。
この人間、人の言うことをまるで聞いておらん。
はぁ~、もう、どうでもいいわ、と平助は思った。
爺と呼ばれるのは(しゃく)だが、人間から見たらそうなのだろうと。
納得はできないが納得することにした。
だが腹は立つ。

 そんな平助にケルが問いかけた。

 「捕らえた此奴(やつ)らは、いかがなさいますか?」

 「後で奉行所から人をよこして連行させる。
それまでの間、この屋敷の牢屋か倉にでも放り込んでおいてくれ。
縄で縛ってあって身動きはできまい、脱走や家の者にも問題はあるまい」

 ケルは頷いた。
そして軽く手を叩く。
すると返事があり、女中がケルの前に現れた。
ケルはその女中に先程の平助の言葉を伝えた。

 「それでは平助様、奉行所にお供します」
 「うむ」

 ケルは先頭に立って平助を秘密の通路へと(いざな)った。
平助は無言でケルの後に続く。
一歩遅れて翼も後を追った。

 廊下からある部屋へ、そして部屋から部屋へ・・
やがて仏壇(ぶつだん)のある部屋に来た。

 仏壇の脇に真っ黒な秘密の通路の入り口が見える。
入り口は湖面に広がる波紋のようなものが絶えず現れては消えていた。
まるで墨汁が波打っているかのようだ。

 「ケルよ、入り口を仏壇で防ぐのをやはり忘れておるな」
 「申し訳ございません、本来なら自動で閉まるはずだったのですが・・」
 「うむ、まぁよい、整備を怠るのではないぞ?」
 「はい、では先に入って安全を確かめてまいります。
あの不逞の輩がまだいるかもしれませぬので・・」

 そう言うと、その入り口に躊躇うこともなくケルは飛び込んだ。
入り口の波打つ真っ黒な暗闇で、通り抜けて行ったケルの姿は見えない。
暫くするとケルが入り口から顔だけ出した。

 「平助様、特に異常はありません。大丈夫です」

 それだけ言うとケルは再び入り口の中へと消えた。
平助が入り口へゆっくりと足を踏み入れていく。
その様子はまるで真っ暗な口を開けた何かに喰われて消えるかのようだ。

 翼は少し躊躇ったが、意を決して入り口に飛び込んだ。
飛び込んだ先に待ち構えていたのは洞窟であった。
かなり長い洞窟で、灯りもないのに先々まで見通せる。
平助とケルは50m程先を歩いていた。
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