第69話 試合 その6

文字数 3,227文字

 静まり返った道場に、外にいる小鳥の鳴き声が響き渡る。
倒れ込んだ翼と巻き込まれて動かない猫又を、誰もが無言で見つめた。

 「ふん、たわいもない」

 そう市之助は言うと審判のとん平を見た。

 「審判、判定はどうした?」
 「え? あ、あぁ、そうであった・・・」

 審判が判定を下そうとした時である。

 「痛てててててて、もう少し手加減はできないのかなぁ?」

 その言葉に市之助、審判は目を見開いた。
翼はゆっくりと立ち上がる。
だが、巻き込まれた猫又は白目をむいており、起き上がる気配(けはい)はない。

 「あ~あぁ、巻き込んじゃって悪いことしちゃったなぁ~。
でも道場で試合見物しているんだから、巻き込まれても仕方ないよね?
俺のせいにならないよね?
むしろ重傷にならないように(かば)った俺を誰か()めて欲しなぁ。
とはいえ、巻き込んじゃってメンゴ!」

 翼はそう言って白目をむいている猫又に手を合わせた。
死んではいないのだが・・・。

 市之助はたいしてダメージを受けていない翼の様子に呟く。

 「そうか・・、そいつがクッションとなり助かったか、運がいいやつだ」

 「クッション?
それ本気で言っているの? 目が悪いんじゃない?
見て分かるでしょ、倒れているのは猫又の男だよ、それも骨太の。
クッションみたいに柔らかく見える?
可笑(おか)しいんじゃね?
クッションのように柔らかいのは、ユリだよ?
あ、ユリは俺のカミサンの名前ね。
性格もプロポーションも、最高の女性なんだよね」

 お奉行がそれを聞いて咳をする。

 「ゴホン! 此処(ここ)は神聖な道場じゃ、げせんな話しなどしないように」
 「え? げせんな話しじゃないよ? 惚気(のろけ)だけど?」
 「ええい! それは家に帰って二人のときにせぃ!」
 
 「え~?! 聞いて欲しいのに~」
 「だぁれが聞くか、バカもんが!」
 「じゃぁさ、今度ゆっくり聞いてよ?」
 「だから聞かんと言っておろうが!」
 「つれないなぁ、お奉行~」
 「お奉行様と言え!」
 「あっ、そうか、じゃぁ、お奉行さま」

 とん平はその会話を(あき)れながら聞いていたが、審判としての役割に気がついた。

 「ゴホン! 試合を再開しますぞ」

 その言葉に奉行、翼、市之助はそうだったと気がつき(うなず)く。

 「両者再び中央に・・」

 翼と市之助が位置につくと、とん平はお奉行の方を向いた。
そしてとん平はお奉行にダメ元といわん態度で聞く。

 「シッポ、痛いんだけど・・試合開始の合図しないとダメ?」
 「ダメに決まっておろうが」
 「ですよね~・・・はぁ~・・」

 とん平はため息を吐くとシッポをゆっくりと持ち上げた。
そして

 ペシン と、弱い音で床を叩き合図をした。
それと同時にとん平はシッポを前足で掴んで道場を飛び回る。
余程痛かったようだ・・・。
シッポが狸のようにモワリと(ふく)らんでいる。
翼と市之助はそれを意にかえさず、しばらく互いに出方を探り合っていた。

 やがて翼がゆっくりと床に足をすりつけるスリ足で進み始めた。
それに対して市之助は自然体で待ち構える。

 翼は間合いに入った瞬間に回し蹴りをした。
それを市之助は半身になり軽く上体を反らして(かわ)す。
さすがネコの物の怪、体の柔らかさが違う。

 翼の回し蹴りが空を切って横を通り過ぎると同時に、市之助は飛び上がり空中で回転をし後ろ足で猫キックをする。

 翼はそれを両手の肘を曲げ交差させて防ぐ。
しかしキックの威力はすざましく、翼は弾き飛ばされ宙に浮く。
翼は空中でバク転をし、足から着地をした。
これが新体操ならば10点満点といいたいところである。

 距離が開いた両者は睨み合い対峙する形となった。
翼は市之助に話しかけた。

 「気を放つとはな」

 その一言にシンと静まり返っていた道場が騒然とする。
そんな中で市之助は翼を睨みならが平然と答えた。

 「人間だけが気が使えると誰が決めた?」

 市之助の言葉でさらに道場が騒然とした。
その騒然とした中から(つるぎ)ノ助が声を上げる。

 「お、お前、いつから気を使えるようになったのだ!」
 「それに答えてなんになるんです?」
 「流派から逸脱した技じゃ、身につける前になぜそれを儂に報告せぬ!」
 「剣ノ助様、あなたは道場主という地位にあり、自分の流派に(こだわ)りすぎですよ。
私はそれを良しとせずに習得したまで」

 「何じゃと!」
 「流派に新しい風を吹き込む。それがいけませんか?」
 「お前、まさかとは思うが人間界で気を習得したのではあるまいな!」
 「当たり前でしょ?」
 「本当だろうな、まさか人間とは事を構えてなどおるまいな!」
 「何を疑っているのです? 私は奉行所の人間ですよ?」

 そう言って市之助は笑った。
だがこの一連のやりとりで翼は市之助の裏の顔を見た。
笑い顔を作るほんの一瞬の前の顔だ。
そしてその刹那(せつな)に立ちのぼる霊気・・・。

 翼はそれを人間界で何度も見た。
そう・・、人間を誰彼(だれかれ)無く襲う物の怪(もののけ)のそれだ。
退治対象となる物の怪そのものの気配(けはい)である。
退治屋として、本能が市之助を抹殺せよと訴える。
翼の顔が険しくなった。

 市之助はそんな翼の顔を見て勘違いをした。

 「どうした人間、自分より実力が上の物の怪に驚いたか?
怖ければ負けを認めて土下座してもいいぞ?」

 翼は無言であった。
奉行は突然変わった翼の様子に、何か危機感を感じたようだ。
翼に大声で叫ぶ。

 「どうした、翼!」

 翼は直ぐに答えなかった。
そして間を置いて、物静かに答えた。

 「いえ、なんでもありませんよ。試合の続行を」
 「試合の続行だと?・・・」

 市之助が奉行の話しが終わらぬうちに、翼へと突進した。
そして翼との間合いに入る前に突然にシッポを股の間から前に突きだした。
そしてシッポを床に突き立て、棒高跳びをするかのようにを跳ね上がる。

 翼はその突然の行動に、対応が一瞬遅れた。
今まで猫又の手や足の動き、さらにはヒゲ、頭の傾きを見ていれば、次ぎに何をしかけるか予想がついた。
だがノーリアクションで、シッポを突然に股の間から出して自分の軌道を変えるなど予想外の何物でもない。

 市之助はシッポを床に突き立てることで、前進するエネルギーを上に上がるエネルギーと回転をするエネルギーに変えたのだ。
それにより、弧を描き翼の頭を後ろ足で狙ったのである。

 だが、翼も退治屋だ。
考えるより先に体が動いた。
体を素早く半身にし、その体の回転に重心を後ろにかけることで瞬時に後ろに飛びすさる。
それと同時に横を通過していく市之助の顔面に、その進行方向とは逆向きの右フックを叩き込んだ。

 放ったフックはすざましく、市之助の顔にめり込む。
市之助の体は翼の拳を起点に回転し、床へとすごい勢いでたたき付けられた。

 ドンッ!!

 すざましい音と同時に道場の床が振動した。
悲鳴を上げる間もなく倒れ込んだ市之助を、試合を見守っていた猫又達は一斉に目を見開いて、ヒゲを前に出した。

 翼は倒れ込んでいる市之助に声をかける。

 「立てよ」
 「う、うぐぅ、あぅ・・ぐ」
 「寝てんじゃねえ! 俺を殺すと言ったのは誰だ?」

 市之助はその言葉を聞いて、ビクリとした。
気絶しかけ閉じられていこうとしていた(まぶた)が、再びゆっくりと開く。
そして、うつろだった目がゆっくりと焦点を結んでいく。
やがてそれは殺気を孕んだ目となった。

 市之助は立とうとした。
だが生まれたての仔牛のように足が震え、なかなか立てない。
それでもよろけて倒れそうになりながらも、なんとか市之助は立ち上がった。
膝がガクガクと震えている。

 市之助の顔面は陥没して顔付きが変わっていた。
顔面骨折だ。
鼻血がダラダラと床に落ちる。

 そんな市之助に翼は強烈な回し蹴りを腹に入れた。
市之助は吹っ飛び、空中に舞い上がる。
そして床にたたき付けられて、一度バウンドし転がって壁にぶつかった。

 道場は再びシンとなる。
あまりの光景に、猫又達は唾を飲み込む。

 とん平はハッとして声を上げた。

 「そ、それまでだ!! 翼!」

 翼はその声に反応せず、奉行を(にら)んだ。
奉行はその眼差しに不快な顔をした。
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