第22話 漂うユリ・・ その2

文字数 2,885文字

 あれからどの位時間が経過したのだろう・・。

 止まってしまった腕時計をユリは見つめる。
腕時計はこの異次元空間に入るまでは正常に動いていたので(こわ)れたとは思えない。
ユリは腕時計をそっとなでた。

 腕時計が止まった今、この異次元に来てからの経過時間がわからない。
ユンと離れてから30分も経っていないようにも感じるし、半日以上過ぎているような気もする。

 異次元空間でなければ、おおよその時間を知る方法はあった。
太陽があれば太陽の位置から、夜ならば月の位置で、夜明けなら東雲(しののめ)によりおおよその時間はわかる。

 だがこの異次元は真っ暗で何もない。
気を失わなければ、おおよその時刻や経過時間ははわかっただろう・・。

 ではまったく時間をつかむ方法が無いのかといえばそうではない。
空腹の具合だ。
俗に言う腹時計である。
そして今は空腹ではない。

 しかし・・、そもそもそれがおかしい。
異次元空間に連れ込まれる前まで、友人と()んでいた。
お酒はそれなりに呑み、色々とツマミも摘まんだが思ったほど食べてはいない。
だから自分の家に戻ってから軽く食べる気でいた。
アルコールで胃が刺激されていることもあり、空腹感が無ければおかしい。
だが空腹感がないのだ。

 もしかしたらユンと別れて30分も経っていないのかもしれない。
異次元空間に突然放り込まれ精神的な緊張から、空腹を覚えないのではとも思う。
もしそうだとしてもおかしな点がある。
ユリはお酒を飲むと水が欲しくなる。
それに烏妖から逃れた直後だ。
普通なら水が欲しくならなければおかしい。

 それなのに水を欲しいとは思わない。
(のど)が・・、いや体が水を欲し(ほっし)ていないのだ。
異常な状態だと言える。

 感覚がおかしくなっているのか、それとも空腹を感じさせない場所なのかのいずれかであろう。
まぁ、それは考えてもはじまらない。
それよりも、人間は水や食べ物も無しに生きてはいけない事だ。

 見渡す限り何も無い・・、闇しかないのだ。
とても食べ物や水などあるようには見えない。
あまり考えたくはないが、もしこの空間から抜け出せなければ・・と思い始めた。

 しかしユリはその考えを()ぐに振り払い、悪態を()く。

 「この空間にレストランくらいあっても(ばち)は当たらないんじゃない?・・。」

 ユリは悪態を口に出すことにより、ネガティブな考えを頭から(ほお)り出した。
飢餓(きが)が先か、孤独に耐えられなくなり可笑(おか)しくなるのが先かなど考えたくもない。

 何が何でもここを抜け出して、翼の胸に飛び込むんだ!

 それだけを考えるよう自分に言い聞かせた。

 そしてユリはこの何も見えない異空間を見渡す。
なんでもいい・・、何かない?
ユリはこの闇の中、少しでも変化のあるものがないか見逃さないように(あた)りに目を配る。

 どの位経った時であろうか、遠くにボンヤリと何かが見えた。
突然現れたのか、あるいは初めからそこに有り明かりが目で見えるほどに変化したのかは分からない。
だが、確かにそれは有った。

 それは自分の顔が向いている方向の斜め右側に有る。

 そしてそれはゆっくりと自分から斜め右方向へと遠ざかっていく。
いや、それが遠ざかっているかは分からない。
もしかしたら自分が遠ざかっているのかもしれないからだ。
あるいは互いが遠ざかっているのかもしれない。
地面も何も無い空間である。
静止しているとみなされる基準がないのだ。
この状態では相対的に距離が広がっているとしか言い様がないのである。
もしかしたらユリもそれも静止しておらず動いており、移動方向が少し異なるだけかもしれないのだ。

 しかしどちらが遠ざかっているかはユリにとってはどうでも良いことである。
大事なのはこの何もない異空間でユンと離れてから初めて見つけた何かが有ったという事だ。

 初めての何かにユリは興奮した。

 「何あれ?! いや、なんだっていい、何もないよりかはまし!」

 この空間ではユンも自分も光が当たってもいないのにハッキリと見えた。
だからもし物の怪ならばその姿が見えるはずだ。
しかしあれは物の怪のシルエットには見えない。

 それはボンヤリと光り少し揺れている。
祭りなどで暗い道を提灯(ちょうちん)を下げて歩いている人を遠くから見た時の光景に似ていた。
つまり明かりは見えるが、それを持っている人は見えない様子に・・。

 ユリは、それに向かって行こうとした。
だが、手を振り回そうが、足をバタバタさせようが進路も離れていく速さも変わらない。

 ボンヤリとしたモノに何とか近づこうとユリは足掻(あが)いた。
だが何をしようが、そのものはゆっくりと遠ざかっていく。
やがてボンヤリとしたモノは忽然(こつぜん)と消えた。

 「待って!! 消えないで! お願い!!」

 ユリはそれに向かって叫んだ。
だがボンヤリとしたものは、ユリの声に応えることはなかった。
ユリは(あきら)めずに何度か(さけ)ぶ。
しかしボンヤリとしたものは再び現れることはなかった。

 「何で・・・、どうして消えてしまうの・・・。」

 ユリの体から力が抜けた。
この異空間から抜ける切っ掛けになるかもしれないモノを見つけたのだ。
希望を持ったのも束の間(つかのま)、希望が消えてしまった。
その反動がいかにきついかは言うまでもない。

 ユリの目から涙が(あふ)れた。
涙でぼやける空間をユリは(あきら)めきれずに見続ける。
その時・・奇跡がおこった。

 ボンヤリとしたものがまた現れたのだ。

 しかもそのボンヤリとしたものが、ユリの方にゆっくりと向かい始めた。
あたかもユリの声に気がついて戻ってきたかのようだ。
ユリは慌ててそのモノに向けて大声で(さけ)ぶ。

 「お願い!! こっちに来て!!
こっちよ!!」

 ボンヤリとした明かりは、ユリの叫びに止まった。
それを見てユリは(あせ)った。

 まさか私に気がついておらず、何らかの別の理由で此処(ここ)に戻ってきたのでは?!
そして、今の私の声に驚いてしまった?!
それならば私から逃げて行ってしまうのでは!
ユリの背中がゾクリとした。

 「どうすれば・・いい?・・。」

 思わず小さな声が()れた。

 ボンヤリとした明かりは、しばらく動かなかった。
ユリは手に汗を握り、無言でその様子を見つめた。
やがてボンヤリとしたものは再び動き始める。

 それもユリの方に向かって・・。

 ユリはホッとした。
自分の方に向かってきてくれている事に・・。
だが、安心したのは束の間(つかのま)であった。

 ユリはハッとした。
そして警戒した。

 まさか烏妖(うよう)?!

 だがその考えを即座にユリは否定した。
もし烏妖なら一度止まること無く、自分に襲いかかってきただろう。
ならば烏妖ではない。

 しかし、もし烏妖でなくても近づいてくるモノが人間に敵対する物の怪であったならば危険だ。
だからといって近づいてくる物の怪を確認もせずに臨戦態勢で会うのも問題だ。
もし人間と敵対しないモノが戦う姿勢でいる人間を見たならば、即座にどこかに行ってしまう可能性が高い。

 ユリはゆっくりと近づいてくるモノを見つめた後、深呼吸をした。
心を決めたのだ。

 このままこの異次元空間を彷徨う(さまよう)よりは、ここを抜け出せる希望にかけようと・・。
だから後手を取ろうとも臨戦態勢ではなく、自然体でいるべきだ。
ユリは笑顔を作り、体の力を抜いた。
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