第25話 渦
文字数 2,016文字
「やあ」
一人、道を歩いて行くと案の定、紅一色の男は道にゴミが落ちていないか探している最中だった。
「ああ、佐賀君。千尋さんは帰ったかい」
ヘロは気づいて、佐賀に返す。
「そう、送って来た」
まるで彼女みたいに言ってみる佐賀。
「今日はどんな仕事をするんだ」
佐賀は日常会話に見せかけて、千尋から聞かされている「喫茶アズミに来なかった日は、幼稚園で子どもとハイタッチしているはず」という情報を手に、現状その人物がここに居ることについて打診する。佐賀の目は、一人で歩いたこの数分で少し、覚悟を高めている。
「いつもと変わらない。街を観察するんだ」
「ほう」
曖昧な返答にとりあえず相槌をうつ佐賀。いつの間にか二人は、一緒に歩き始めている。
「そういえば気になっていた。なぜゴミ拾いが英雄の仕事の一つなのか」
いくつかある出入口から出て、ヘロと佐賀は閑静な住宅街を歩く。黒い毛並みの野良猫が案内役を買って出たかのようにひょい、と茂みから現れて、二人の前を軽やかに歩いて行く。
「治安のよい地域は公共の場が綺麗なんだ。駅とかトイレとか公園とか、僕は全国を回って来て、この目で確かめてきた」
三秒で案内役の黒猫は飽きたらしい。誰かの家の駐車場に止まっている車の下へ潜る。佐賀とヘロはそれを少し目で追っていたが、何事もなく通り過ぎて前へ歩いて行く。
「だからそれが継続するように、僕はゴミが落ちていたら拾う」
「この街がずっと綺麗になように」
公園はちょっとゴミが多い、さっきヘロはそう言っていたが、それでもここは日本一、ゴミの少ない街だ。一般的に言ってその量は少ない。
「トイレも綺麗。駅も綺麗」
佐賀は言う。気が付くと綺麗な国道に出る。
「教えてくれ、それは君がこの街に来る以前から、そうだったのだろう」
佐賀はいつになく真剣さを表に出してそう言った。
「この前言ったじゃないか。全国を回って来て、結果この街が一番ゴミが少なかったということを」
「ああだから、それは君がこの街に関与する以前の話かと聞いているんだ」
少し語調が強くなった。自分で言ってみて、自分で驚くようだ。佐賀は瞬時に顧みる。自分はまだこの街のことをよく知らない、この街の本当の姿を知らない。しかし依頼された浮世絵制作のことを思うと、もうウカウカしてはいられない。居直り強盗かの如き態度の急変に不審な香りを感知されるかもしれないと思ったが、
「そうだ」
ヘロは微動だにせずそう言った。提案のそうだなのか肯定のそうだなのか、その芯のある響きに対して佐賀はそう思ったが、
「僕がこの街にやって来た時には、もうこの街は綺麗だった」
ヘロは案外、正直に答えた。赤色、黒色、並ぶ二人の間にある見えない軋轢が、ズズ、ズズ、と誰にも訳の分からない力によって動く。仕事とは、本来ならする必要のないことだ。
「じゃあなんで君はここで英雄をする必要がある」
じゃあなんで君はここで英雄をする必要がある。一般からすれば意味不明な文章だが、人類が生まれてから長い歴史上たったこの数秒間だけにおいては、とてもシンプルかつ核を打つ、意味明快なセリフだった。
「それは」
ヘロは少し間を開けて、「必要のない人間だからさ、僕が」と言った。
その口から出てきた予想外の言葉に、佐賀は、聞いてはいけないことを聞いてしまったのではないか、と内省する。瞬時にうまく反応はできない。ヘロは言葉を続ける。
「必要のない人間だけど、僕はこの街に必要とされていると思える。だからこの街で英雄をするのは、僕の天職だ」
佐賀は、自分の力だけではどうしたって抜けられない、激しい渦の流れの中にいる、そんな想像をする。
「そうか」
そういうことじゃない。もともと綺麗な街だったなら、ここで英雄をやるのは優先順位が違うのではないか。自分の目で確かめてきたのなら、もっと他に英雄としていた方がいい場所があるのではないか。
「いや、気になっていたんだ。もとからこの街は綺麗だったと耳にして」
佐賀は抑えてそう言う。この街全体が渦。激しい流れ。そしてこの優しい浮世絵師はその中で、やるせなさと共に立ち尽くすことしかできない。
フッと、いくら叫んでも誰にも気づかれない、いくら手でかき分けようともそこから出られない、そんなイメージが頭に浮かぶ。思考が深刻に、シリアスになっていく。
「綺麗な街。佐賀君はどう感じる、この街のことについて」
不気味。
浮世を描く佐賀の洞察は、頭の中でそんな即答をした。何が何だか分からない、何も見えない、でも激しい流れ。
「確かに綺麗だと思う」
ヘロがサッと右手を挙げる。すれ違う婆さんは、不思議なものでも見るみたいに、頷く。
「不思議なほど」
佐賀はその婆さんの裏にある暗い部分を直視しながらも、そしてそこにライトを当てて真実を暴露しない限りはいま構想している浮世絵を完成させることが出来ないと分かっていながらも、そこに突っ込むことが出来ないでいる。
一人、道を歩いて行くと案の定、紅一色の男は道にゴミが落ちていないか探している最中だった。
「ああ、佐賀君。千尋さんは帰ったかい」
ヘロは気づいて、佐賀に返す。
「そう、送って来た」
まるで彼女みたいに言ってみる佐賀。
「今日はどんな仕事をするんだ」
佐賀は日常会話に見せかけて、千尋から聞かされている「喫茶アズミに来なかった日は、幼稚園で子どもとハイタッチしているはず」という情報を手に、現状その人物がここに居ることについて打診する。佐賀の目は、一人で歩いたこの数分で少し、覚悟を高めている。
「いつもと変わらない。街を観察するんだ」
「ほう」
曖昧な返答にとりあえず相槌をうつ佐賀。いつの間にか二人は、一緒に歩き始めている。
「そういえば気になっていた。なぜゴミ拾いが英雄の仕事の一つなのか」
いくつかある出入口から出て、ヘロと佐賀は閑静な住宅街を歩く。黒い毛並みの野良猫が案内役を買って出たかのようにひょい、と茂みから現れて、二人の前を軽やかに歩いて行く。
「治安のよい地域は公共の場が綺麗なんだ。駅とかトイレとか公園とか、僕は全国を回って来て、この目で確かめてきた」
三秒で案内役の黒猫は飽きたらしい。誰かの家の駐車場に止まっている車の下へ潜る。佐賀とヘロはそれを少し目で追っていたが、何事もなく通り過ぎて前へ歩いて行く。
「だからそれが継続するように、僕はゴミが落ちていたら拾う」
「この街がずっと綺麗になように」
公園はちょっとゴミが多い、さっきヘロはそう言っていたが、それでもここは日本一、ゴミの少ない街だ。一般的に言ってその量は少ない。
「トイレも綺麗。駅も綺麗」
佐賀は言う。気が付くと綺麗な国道に出る。
「教えてくれ、それは君がこの街に来る以前から、そうだったのだろう」
佐賀はいつになく真剣さを表に出してそう言った。
「この前言ったじゃないか。全国を回って来て、結果この街が一番ゴミが少なかったということを」
「ああだから、それは君がこの街に関与する以前の話かと聞いているんだ」
少し語調が強くなった。自分で言ってみて、自分で驚くようだ。佐賀は瞬時に顧みる。自分はまだこの街のことをよく知らない、この街の本当の姿を知らない。しかし依頼された浮世絵制作のことを思うと、もうウカウカしてはいられない。居直り強盗かの如き態度の急変に不審な香りを感知されるかもしれないと思ったが、
「そうだ」
ヘロは微動だにせずそう言った。提案のそうだなのか肯定のそうだなのか、その芯のある響きに対して佐賀はそう思ったが、
「僕がこの街にやって来た時には、もうこの街は綺麗だった」
ヘロは案外、正直に答えた。赤色、黒色、並ぶ二人の間にある見えない軋轢が、ズズ、ズズ、と誰にも訳の分からない力によって動く。仕事とは、本来ならする必要のないことだ。
「じゃあなんで君はここで英雄をする必要がある」
じゃあなんで君はここで英雄をする必要がある。一般からすれば意味不明な文章だが、人類が生まれてから長い歴史上たったこの数秒間だけにおいては、とてもシンプルかつ核を打つ、意味明快なセリフだった。
「それは」
ヘロは少し間を開けて、「必要のない人間だからさ、僕が」と言った。
その口から出てきた予想外の言葉に、佐賀は、聞いてはいけないことを聞いてしまったのではないか、と内省する。瞬時にうまく反応はできない。ヘロは言葉を続ける。
「必要のない人間だけど、僕はこの街に必要とされていると思える。だからこの街で英雄をするのは、僕の天職だ」
佐賀は、自分の力だけではどうしたって抜けられない、激しい渦の流れの中にいる、そんな想像をする。
「そうか」
そういうことじゃない。もともと綺麗な街だったなら、ここで英雄をやるのは優先順位が違うのではないか。自分の目で確かめてきたのなら、もっと他に英雄としていた方がいい場所があるのではないか。
「いや、気になっていたんだ。もとからこの街は綺麗だったと耳にして」
佐賀は抑えてそう言う。この街全体が渦。激しい流れ。そしてこの優しい浮世絵師はその中で、やるせなさと共に立ち尽くすことしかできない。
フッと、いくら叫んでも誰にも気づかれない、いくら手でかき分けようともそこから出られない、そんなイメージが頭に浮かぶ。思考が深刻に、シリアスになっていく。
「綺麗な街。佐賀君はどう感じる、この街のことについて」
不気味。
浮世を描く佐賀の洞察は、頭の中でそんな即答をした。何が何だか分からない、何も見えない、でも激しい流れ。
「確かに綺麗だと思う」
ヘロがサッと右手を挙げる。すれ違う婆さんは、不思議なものでも見るみたいに、頷く。
「不思議なほど」
佐賀はその婆さんの裏にある暗い部分を直視しながらも、そしてそこにライトを当てて真実を暴露しない限りはいま構想している浮世絵を完成させることが出来ないと分かっていながらも、そこに突っ込むことが出来ないでいる。