第33話 浮世絵師の高校時代

文字数 1,575文字

 佐賀は担任の先生から「学校に出て来い」と言われていたが、拒否して行かなかった。
「お前が来ないでどうするんだ」
 登校拒否、というわけじゃない。それは夏休みに入る前の話なのだが、夏休みも「学校に出て来い」と言ってくる担任の言い分はこうだった。
「学校に出て来て自習する。毎年、ウチから志望大学に受かる子はみんな、夏休みはそうして過ごしてる」
 大柄でメガネをかけている豚のような数学教師、名前は忘れたが、それが高校三年生の頃の佐賀の担任だった。
「はい」
 佐賀はそう答えた。特に反抗の意志はない。ああ、そうなんですね、と話を聞いているに過ぎない。夏休みまであと何日かという日の帰りがけ。HRが終わったばかりで、他のクラスメイトは帰ったり、駄弁ったり、そのまま勉強したりしているなか、教卓を挟んだ担任と佐賀のやりとりに自然と耳が傾く。
「これ」
 担任は、プリントの下半分が切り取られたものを佐賀に見せる。それは、佐賀が今朝提出したばかりの「夏休みの自習会」に参加するかどうかのアンケートだった。
「参加しないのはお前だけだぞ。ウチのクラスじゃ」
 参加しない、に丸が付けられている佐賀のアンケート。学年でトップ層にいるウチのクラス、と担任が自負している一組の生徒は、佐賀以外みんな参加するらしい。
「はい」
 担任は眉をひそめる。
「ウチの子は夏の追い上げで毎年、グングン伸びて行く。お前、そんなんじゃ周りに置いていかれるぞ」
「はい」
 佐賀はそもそも大学に行く気が無いのだ。高校を卒業したらバイトで一人暮らしをしながら空手の修行に専念するつもり。
「いいのかそれで」
 佐賀の希望する進路は、担任も知っている。面談で佐賀自身、そう話しているからだ。しかしそれでも佐賀に対して大学進学を暗に促すのは、佐賀がその高校では模試でいつも一位を取るからだった。
「はい」
「『はい』しか言えないのかお前は」
 豚の数学教師の威圧感に、優等生の多い「ウチのクラス」の生徒はみんな、参加する、に丸を付けさせられたよう。
「『はい』以外何を言えばいいんですか」
 あ? と担任は眉間に亀裂を入れたが、それに対して佐賀は反抗の意思もなく、涼しげな顔で説明する。
「いえ、僕は大学には行かないって言っていると思うんですけど。それでも自習に出て来るように仰るので話が通じていないのかと思って。もう『はい』としか答えようがないです」
 冷静に俯瞰して状況を説明してくる佐賀という生徒を嫌う教師は多い。教師にとってタチが悪いのは、その生徒が模試でいつも一番で外では武術をやっていて、威圧しようにもできない強い頭脳と精神と肉体を持っているところ、また、教師という人間への敬いの姿勢は最低限崩すことがなく、いつでも涼しい表情をしているというところで、もしかするとこの生徒は密かにこちらの首根っこを掴んで内心では薄ら笑いを浮かべているのではないかという、サイコパス的な恐怖感を教師たちに持たせてくる。
「みんな出て来るんだぞ」
 担任は言った。佐賀に何かを言ってくるのは、もうこの担任ぐらいだ。
「はい」
 佐賀は本当に、反抗しているつもりはない。
「もういいよ。お前」
 担任は荷物をガ、とまとめて持って、教室を出て行く。自分が怒らせた担任、いや、呆れさせたのか。残された佐賀をちらほらとみているクラスメイト。仲の良い五十嵐が、「よくやった!」と後ろから肩を組んでくると、それで教室は一気に笑いに包まれた。
 視線の中心に立たされたこのときの佐賀が、一体何を考えていたか。ああ早く空手がしたいな、それだけだった。

「そこまで空手一筋だったのに。勉強もよくできて。いまじゃ絵を描いてるって、変な人ですね」
 ね、と語尾が弾むように真希は言った。
「ありがとうございます」
 現代の浮世絵師は、いまと繋がる当時の自分を振り返りながら、話し続ける。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み