第34話 五十嵐

文字数 2,206文字

 夏休みも明け、週に五回稽古があるうち一回先生に代わって指導するのも、佐賀が慣れてきた十月初めだ。
「ケン祭り行かね? 今日の祭り。この時期じゃみんな『馬鹿か』って断るんだけど」
 五十嵐が話しかけてきた。顔と名前を憶えている、唯一と言っていいほどのクラスメイトだ。サッカーもバスケもソフトボールも、勉強もほぼ全てセンスでやってのける、前髪が斜めにシュッとした、五十嵐はそんな男前だった。
「行かない」
 昼休み、弁当を食べ終わり自分の席で英単語を覚えていた佐賀は、そちらを見もせずに誘いを断る。
「えー。行こーぜー。去年行ったじゃんよ」
 去年行った。ああ確かにそうだった。友達も屋台も打ち上げ花火もどうでもよくて、ただただ「早く帰りたい」と思っていたあの祭り。帰りに名前も知らないあの女子と歩いた祭り。
「オリンピックは四年に一度だ」
 佐賀は英単語帳から目を離さずに答える。
「佐賀ンピックは今年もある、と期待」
 五十嵐はそしていい奴だった。現にこうして、学校ではあまり人と口を利かない佐賀のところへのこのことやってきて普通に話をする。
 少し、佐賀は英単語帳から目を離して、「この時期に祭りか」とどこか意味もない点を見て言う。すると五十嵐は「俺は国立AOで受かってるからよ」と自慢げに言ってくる。
「いや、この時期に『祭り』というのも微妙だなといま思った。祭りと言えば夏だろう。もう十月だ」
「あ、ああ」
 五十嵐は佐賀の言わんとしたことを理解する。
「マジ進学しないんだなケン、勿体ない」
 大学進学を希望する者たちにとって「この時期」と言えば大事な受験期であるが、大学進学を希望しない佐賀にとって「この時期」と言えば、ただ夏が終わって秋に入る季節的な意味での時期というだけだった。
「必要がないから」
 五十嵐は佐賀の前の空いていた席に座って、椅子の背に腕を重ねる。
「でもなんでじゃあ勉強してるんだ?」
 五十嵐は、佐賀の手にある英単語帳を見て、素直に疑問を口にする。決して、佐賀という学年一位の成績の男に嫉妬したり、あるいは崇め、奉るような行為をしない彼のことを、悪意ではないにせよそれをしてくる周りの連中と違って、佐賀は好意的に思っていた。
「学問も同時に修める。武術家は文武両道ができて当然のことなんだ」
「へえ。スゲー」
 センスある男前の五十嵐は受け入れるということが得意で、だからこそその人間性が既にこの時期にAOで国立に受かるという結果として出ているのだろうなと佐賀は思う。
「今日もあんの? 稽古」
「明日もある。明後日も」
 実際は、道場に稽古生が集まっての稽古は今日と明日だけで、明後日は休館だ。しかし佐賀にとっては一分一秒、吐いて吸う呼吸、座っている姿勢と視線の動かし方すら、稽古のうちの一つ。休館の日でも、この一瞬さえも、佐賀は稽古をしていると思っている。
「それはしょうがない。んじゃまた、別の機会に」
 五十嵐はちょっぴり残念そうに言う。
「ああ、ごめん」
 佐賀は、割と本心でそう言った。別の機会があれば、本当に五十嵐と二人で遊びたい。
 五十嵐は「頑張れよっ」と言って軽く肩パンを食らわし、別のやつに声をかけに行く。いい奴だな、と佐賀は思いつつ、単語帳に意識を戻す。

 その日の放課後の動向について、佐賀のクラスの一組の生徒は、大きく三種類に分けられた。
・教室に残り監視の下で自習する者。
・監視の下から逃げて祭りに行く者。
・近所の道場へ空手の稽古へ行く者。
 一番目の者たちは担任の豚の監視下で志望校合格に向けて軟禁され、二番目の者たちは基本的に進路が決まっている者で、担任の豚が便所へ行ったときなどに目を盗んで命からがら自習を抜け出し、三番目の者はそもそも自習に参加していないので堂々と荷物を引っ提げて帰った。堂々と帰る者、つまり佐賀に、廊下ですれ違う他の教師は何も言えることがない。
 佐賀は家に帰ると道場の稽古の時間まで、絵を描いている。テーマは主に景色や動物、あとは例えば「生」や「死」といった概念だ。小学生の頃から佐賀は暇があれば自由帳に絵を描いてきたタイプの人間で、行く気はないが行くとすれば大学は美大かな、と考えることもある。

 真希にメモ用紙とペンを借り、手元で絵を描いている佐賀。
「上手ですね」
 当時のことを口で説明しながら、手元では知らぬ間にイラストが出来上がっている。
「もちろん、絵師ですから」
 浮世絵師としての初めての作品、「KING of 髑髏」のガシャドクロを簡易に描いてみた。質素な椅子に座っているだけのガシャドクロ。偉大な王から、王冠も装束も側近も豪華な部屋も、そして培われた健全な肉体も全て取り払ってみて、しかし、その骨格だけで王たる威風堂々さを放つ様子。これは彦山の訃報を受けて描いたものだ。
「たとえガシャドクロになっても、偉大な人は偉大な人です」
 佐賀は自分の口がしたその説明が、「たとえ絵の世界に来ても、武術の道を辿って来た自分は武術に根付いている」という概念を佐賀の思考に召喚した。
「かわいいガイコツさんですね」
 真希のその発想に、佐賀は思わず笑ってしまった。
「かわいい。確かに」
 佐賀は納得する。大衆から理解されるものは「かわいい」という要素があるし、そこを目指そうと思うと、自然と「かわいい」へ辿り着くのではないか。いま自分が構想している「あ」と口を開けて遠くを見ている人物画も、そうだ。
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