第44話 変な人だな

文字数 3,491文字

「おお雲仙」

 鈴木商店の店主鈴木はビールケースを外に出しながら、ちょうどやってきた雲仙に声を掛けた。

「鈴木。親父さんは元気か」

 二人は小学校、中学校の地元の同級生で、鈴木が父親の跡を継いだのは、父親の具合が悪くなったつい最近のことだ。

「まあ元気、ではないな」

「そう言えているうちは大丈夫」

 鈴木にとって雲仙という同級生は、小学校中学校とずっとエリートを進んで行く存在で、平凡なグループに属していた鈴木にはほとんど接点がなかったが、

「今度、大事な客が来るんでね。何か、面白い土産でも持って帰ってもらおうと探しに来た」

「雲仙の言う大事なお客か。どんなお客さんだ」

 鈴木は雲仙を中へ招く。不思議と、そのころはあまり話したことが無いのに、いまとなっては普通にこうして話せている。長い年月を経てお互いの放つ波長に変化が生じ、心地よく共鳴しているようだ。それはきっと、経営者として自分の店舗を持っているというところに一つ、大きな理由があるのだろうなと雲仙は感じる。

「後輩だ。八つ下の」

「八つも?」

 鈴木は一瞬だけ雲仙の言っていることが分からなかったが、すぐに話の整合性を取って、「凄い人なんだろうな」と言った。

 雲仙は旧友に向ける懐かしい笑顔のそれで「ああ」と言い、「凄すぎる」と、彦山総司のあの破天荒っぷりを思い出しながら、面白くなってまた笑う。

「未来を読めるんだ。彼は」

 雲仙が少しその話を始めようとしたとき、後ろに気配を感じて振り向いてみると、

「おいあれ、いい看板だな! 誰が作ったんだ!」

 イカレた男が、実験に失敗したような爆発頭でクワ、と目を見開いてそう言って入ってきた。

「いえ、誰が作ったわけでもないと思いますけど」

 鈴木が戸惑いながらもそう答えると、

「そんなことあるか。誰かが作ってないとそこに存在しないだろ」

「え、ああ、そうですね」

 店主である手前、仮にもお客さんであるこの爆発頭の変な男のことを無下にはできない鈴木。ちょっと仲裁に入ろうと思って雲仙が「安住、看板がどうのって、何のことだ」と言うと安住はそこで始めて雲仙に気が付いたのか、

「おっ! そこにいるのは雲仙じゃないか」

「ああ、ここにいるのは雲仙だ」

「お前もここの看板に惹かれて来たんだな。分かる奴だ」

 鈴木が「は?」という顔をして雲仙を見る。話の成り行きが意味不明なのだ。しかし経験から、その意味不明さの中に己を溶け込ませて話を掘り下げていく方が得策だと心得ている雲仙は、「ああ、お前はあの看板を見てどう思ったんだ」と、安住を軽くあしらう。横にいる鈴木としては、この同郷のエリートは、自然体で猛獣を手懐けているように見えた。

「そうだな、『鈴木商店』ってあれは、意味を分かってなさそうな奴が描いた感じだ。文字を絵として捉えている」

 言っている意味が分からないぞ、と言っておこうとしたが、雲仙は、「日本人じゃないってことか?」と補足した。

「ああ、つまりそういうことだ」

 そういうことか。

「ああ確かに、先代の親父はよくフランス旅行へ連れて行ってくれたな」

 鈴木がそこで、会話に入ってきた。安住にではなく、雲仙に話し掛ける体だ。

「フランスか、良い趣味してるな、あんたの親父」

 安住は会ったこともない鈴木の親父のことをズケズケと褒める。鈴木はそれに対してどう反応してよいのか知れず、愛想笑いしながら会釈する。なんだその爆発頭、と思ってみる。

「とくれば、何かのツテでお店開業の際、看板はフランス人に作ってもらったというわけだ」

 安住は一人で言って、一人で納得している。

「でもなんでお前はここの看板がそれほど特殊なものだと思うんだ」

 雲仙がそもそもの疑問を言うと、安住はそんな疑問は生まれて初めて聞いたぞとでも言わんばかりに、「いや、普通にそんな感じがするだろ?」

 そう言って、雲仙と鈴木を困らせる。

「でも確かにフランスとはウチは親交があって、親父の友達がはるばる来たりしてたな。お店のオープンの時も確かにいたと思う」

「おおそうだ。そいつ、そのフランス人だ、この看板の制作者は」

 確証に足らないはずの鈴木の証言に、安住は確信して言う。

「ただの友達じゃないのか。店のオープンを祝いに来た」

 雲仙が冷静な横やりを入れると、「お前なあ、なんでこんな街はずれの商店のオープンにただの友達のフランス人が祝いに来るんだよ。そいつは看板の制作者でもあるからだろう」と安住は店の中で両手を広げながら言った。なぜそういう発言を店主の前で一切の嫌味なく口にできるのか、雲仙には不思議でならなかった。

「安住、お前の話にはそもそも一つも真実が無い」

 この看板は特殊。制作者はフランス人。どれも安住の思い込みに過ぎない。

「おおじゃあ一+一はなんだ」

 好戦的に訳の分からない問題を出された雲仙は、その懐に何が隠されているか警戒しつつ「二だ」と答えた。

「二だな。じゃああの看板の制作者は誰だ」

 安住は雲仙の答えを待たずにそのまま「フランス人だ」と言った。雲仙は呆れた。

「何を言ってるんだ」

「見りゃ普通わかるだろう。一+一は二。あの看板の制作者はフランス人」

「普通は分からん」

「あ、そうだ」

 自分の店の看板がどうのと目の前の二人が話しているなかで傍観に徹していた鈴木はそう声を上げて、「それじゃ、ちょっと待っててくれ」と言って店内から続く二階へタッタッタと階段を上って行く。それを安住と雲仙は静かに見ているしかない。

「あったあった」

 そう言って階段を降りて来る鈴木の手には、古くて分厚いファイルが持たれていた。

「なんだ鈴木、それは」

 雲仙がそう言うと、「お店に携わるところの書類を全部まとめてある。電気ガス水道、メーカーとか仕入れ業者とか、税理士とか。製品の取り扱い説明とかも」

そう言いつつ二人の間に入って鈴木がそれを開くと、

「だいぶ分厚い」

 雲仙がそうコメントする。

「どんどん増えていくものだから。といっても、お店がオープンしたときに関連したところが大半だが」

 言いながらぺらぺらと鈴木の手がそれをめくっていく。

「えー、これだ」

 鈴木がそう言って止めたページは、日本語ではなかった。

「フランス語」

 雲仙はそう言った。医学生にしては珍しく、雲仙は大学ではフランス語を履修していたから、それが一目でわかった。

「ほおやっぱりな」

 そして安住が自慢げにそう言ったのは、フランス語で書かれたその資料が「『鈴木商店」の看板設計資料」であると分かるものだったからだ。

「『鈴木商店』と文字を設計してる。つまりこの設計者は、その文字の意味を大して理解していないということだ」

 その資料には、「鈴木商店」という文字が看板のどの位置に、どのような太さで、間隔で、と、綿密な設計図が描かれていた。安住もこれを読めるらしい。

「『鈴』という文字には鈴の音、風情が出るもんだろ。『木』という文字には木の色彩、肌触りが出る。鈴木、と文字が並ぶことで文脈もその裏に透いて見える。しかしあの看板にそれは出ていなかった。あれは文字ではなくて、設計された絵だった」

 なかなか意味の分からないことを言っているが、現物として目の前に、フランス語で書かれている看板設計の資料がある。それは覆らない。

「シャルロット・オーガスティン」

 雲仙は資料に目を通す中で、ポツリとそう言った。どうやらそれが、この看板の設計者らしかった。

「シャルロット・オーガ——ああ、親父の友達だ。シャルロット家は昔、ウチへよく遊びに来ていた親日の家族だ。オーガンは音響設計の技師をやっていたから、設計には腕があるんだろうけど」

 にしてもカミュ君は元気かな、とよく分からない独り言を鈴木が続けるなかで、

「ま、フランスで時計職人をやってた俺からすると、あの看板は一目見て分かるもんだ。作品ってのはいいか、良くも悪くも作者の意図が込められている。あの看板には、音響設計技師のシャルロット・オーガスティンの意図が込められている。それを感じ取れるか、感じ取れないかの話だ」

 安住の目は、確かに雲仙よりも肥えているようだった。煽るような発言に普通なら無視していいところだが、「やるな」と雲仙はサラリと受け流す。雲仙は己の芸術への理解にはそこそこの自信があったが、安住のそこのセンスは、喫茶アズミの内装を見ても分かるように、認めざるを得ない。

「じゃあ安住、どうだ。ここで大切な後輩への土産を選ぶとすれば」

 雲仙は安住にその権を渡してみる。

「あの看板をはがしてやればいい」

 鈴木はぞっとして安住を見た。雲仙は、「論外だ」と言ってすぐにその権を剥奪する。
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