第50話 冷たい考えだな

文字数 1,286文字

 英雄のいる街。

 ヘロは私たちの英雄。

 街の人々は、自分の住んでいる街に英雄がいるということを、ごく自然のように感じるようになった。

 ヘロ、つまり安住は雲仙にあるとき、少し危惧を漏らしたことがあった。安住がヘロとして現れてもう八年、二人は、五十歳になっていた。

「ヘロは英雄になってしまった」

 安住はそう言った。「この街には英雄がいる」、人々は自分のことをそう称えてしまっている、と。それを聞いた雲仙は、「その目的じゃなかったのか?」と返した。

「いや、違う。考えが甘かった」

 雲仙は、考えが甘かった、とこの男が自省することがあるのだなと、そんなことを思う。

「そういう運命だったのかもしれない。集団の中心に立つということは」

「というと」

「中心にいる英雄を崇めておけば、それを崇めるもの同士で団結してしまうだろう。一人を中心に輪ができる。宗教みたいなものだ」

「宗教か」

「ああ、俺のやろうとしていたことは、宗教だったかもしれない」

 ここ数年、街の治安が良くなっていくのは否定しようのない事実であるが、しかし、雲仙の下にやってくる精神病患者の数は、ほとんど変わりがない。彼、彼女らはどのようにすれば社会復帰することが出来るのだろうか。英雄のいる街で。

「本当にやろうとしていたことは何なんだ」

 思えば、そのとき初めて、雲仙は安住からこの街に英雄が必要な理由を聞いた。

「みんな英雄になるんだ。その先陣を俺が切る。そのつもりだった」

 安住は、そう言った。

「みんな英雄?」

「ああ、英雄ってのは、外にいるんじゃない。自分の内に宿すものだ。いつの日か世界を救うヒーローが現れる。そんなことはあり得ない。現状を救う英雄が現れる。そんなものは待っていても現れない。英雄やヒーローは外にいるんじゃない。内に宿す。そしてみんながそうなればいい、そのつもりだった」

 安住はそう言った。なんだちゃんと考えているのだな、と雲仙は思う。

「それが、ヘロはこの街を救う英雄になった」

 雲仙はそう言った。「ああ」と安住は重たく言う。二人は親友だ。

「人を変えることはできない」

 雲仙は言う。ずっと、雲仙が指針として持っている言葉だ。

「ああ、しかし俺はどうにかしてあげたいと思う」

 安住はそう答えた。「夜、ラーメン屋に行けるほど治安が良くなればいいと思う」

「直接、君がどうかして変えることはできない。それは街の人々がどうするかだからだ。あくまで君は、君がどうするかでしかない」

 雲仙は、表情を変えることなくそう言う。安住は、「しかしそれは無責任だ」と返す。「君が取る責任じゃない」と雲仙は返す。

「内に宿すべき英雄を、俺は勝手に外でやっている」

「それは英雄を外に認識している人たちの勝手だ」

「そしてもうこれを勝手に辞めることはできない」

「辞めてもいい。英雄を外に失ったと感じるのも、その人たちの勝手だ。それを続けるのも、君の勝手だ」

「雲仙それは」

 安住は、一呼吸おいて「冷たい考えだな」と言った。冷たい考え、と雲仙は思った。自分はそうならないよう、誰よりも気を付けているつもりだった。それから、二人は疎遠になってしまった。
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