第17話 彦山の先輩

文字数 1,121文字

 旧家で地主で骨董美術のバイヤー、そして精神病院「UNZENメンタルヘルスケア」の院長、それだけでなく、
「いまは娘が継いだのだがね」
 精神病院と同じ建物のなかで、空手道場を開いているという。

「本当に、何者なんでしょう」

 適当に見つけたカフェに二人は入った。さきほど注文したコーヒーがやって来る。
「言っただろう。空手家で精神科医で骨董美術のバイヤーだ。といっても、空手はもう引退したのだが」

 雲仙の表情は変わらない。しかしずっと、強い芯が通っている。佐賀はこのとき、ああ、確かに似ているな、と思わずにいられない。

「君が空手をやっていたとは知っていたがね。まさか、彦山の弟子だったとは」
 雲仙は、青春時代の佐賀を指導した空手の師匠、彦山総司の先輩だというのである。

「彦山が、そうか。弟子を取ったのか」

 雲仙は昔を懐かしむようなゆとりでそう言った。数年ほど前に他界したと聞いたが、この世にいない今でも、自分の師匠のこととなると佐賀は心の中で苦笑いするほかない。
「まあ、その話はあとでいい。依頼のことについてだが」

 雲仙はジャケットの内ポケットから名刺入れを取り出して、名刺を一枚、佐賀にやった。名刺には、UNZENメンタルヘルスケア院長 雲仙観 と記載されていた。
「正直、まだ細かいことは分からない。私自身、浮世絵は知識として軽くかじった程度だ。どのくらい費用のかかるものなのか、どのくらいの期間がかかるものなのかも、分からない」
 佐賀は差し出されたそれを両手で丁寧に受け取る。

「携帯番号を教えてくれるか。ある程度、こちらで用意できることが決まれば電話する。もちろん、そこから変更や要望があれば変えていい。気が変われば断ってくれてもいい」

 胸ポケットからペンとメモを取り出して構える雲仙に対し、佐賀は自分の携帯番号を言う。この雲仙という男は、自分の空手の師匠、彦山の先輩、なのか。確かに、その超然とした様子、表情、体つきは彦山と似ていて、きっとそれは同じ道場で同じ師匠の下で凌ぎを削った兄弟弟子の証に違いないのだろうが、しかし。
「はい、ありがとうございます」

 雲仙から空のショートメールが送られてくる。佐賀の師匠の彦山は、若くして日本一になった実力者だ。ということは、先輩である雲仙は後輩の彦山に負けたということになる。そこに対して、この人物はどう言い訳を付けたのだろうか。自分の努力が足りなかったから。自分に才能が無かったから。いろいろな言い訳の付け方があるが、なんとなくこの人物を見ているに、一見するとその超然とした様子は、見たくないものから目を背けているような、つまり言い訳すらせずにその思考から逃れるような、そんな印象が佐賀にはしたものだ。
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