第57話 またな
文字数 2,832文字
——十年前——
安住がヘロになって十年、歳はもう五十二歳のいいおじさんだ。
「おはよう!」
サッと手を挙げる。夏を越えて、十月手前。紅一色のこの格好にとって、この時期はとても心地が良い。
「おはよう! ヘロさん」
駅前を歩いていると、いつも見る人の顔ぶれ。ヘロは挨拶をする。初めて見かける人はあまりいないが、たまに見つけると、「おはよう! 今日はいい天気だね!」と、構わず明るく挨拶をする。たいていの場合は、ニコ、と笑って返してくれる。
「いい歳してまだやってんのか」
ヘロとして現れて十年、最初の頃から知っている人に出くわすとそう言われることがある。
「俺はいつだっていい歳なんだ」
そう返すと、ああこいつはいつまでも変わらないな、とちょっと肯定的に認めたような顔になって、「そうか」と言ってくれる。ヘロという存在が、この街の人々に受け入れられているのだな、と感じる。
治安が悪く、夜ラーメン食べに行けなかったから。
なぜそんなことをしているのかと聞かれれば、そう答えている。この街は夜に出歩いていると女は手を掛けられ、親父は襲われる。それは事実、だから人々は夜、この街を出歩かない。
しかし、安住は別に、本当に夜、ラーメンを食べに行きたいわけではなかった。そもそも、朝は早くから夜の手前まで喫茶店を経営しているのだ。仕込みもあるし事務的な作業もあるし、喫茶店という経営者にとって遊んでいる暇などというものは存在しない。
じゃあなぜそんな回答をするのかと言えば、それはただの安住のひねくれた性格としか言いようがない。
こんな格好をしてまで、こんな髪色にしてまで、安住が英雄として存在している理由は。
——いいじゃないか。
理由は、それだけだった。目の前に困っている人間がいれば助けてやる、治安が悪ければ良くしてやる。俺が助けてやる、俺が良くしてやる、理由は、それだけだった。
実際、もう既にこの街は、夜でも楽し気に歩いて行ける、治安のよい街になった。人々はそれをちゃんと、ヘロの起こした影響の結果であると認識している。
いい歳してまだやってんのか。
その快調な横やりに、もうアンタはよく頑張ったよ、という英雄を称える響きが込められていることを、街の人々も、そしてヘロ自身も、分かっている。
英雄、か。
一人暮らしのアパートに帰ってくると、ヘロは紅一色のスーツを脱ぎ、ただの五十二歳独身男になる。
今日も英雄として、ゴミ拾いをし、街の人々に挨拶をして回った。
一日を振り返ってみると、ただ、それだけなのだ。所帯も持たず、貯蓄もほとんどなく、日中は紅一色のスーツを着て、ヘロと名乗っているだけの中年。
安住はちょっと、そのとき心が静かだった。時刻はまだ夕方前、というころ。
ヘロは、英雄になってしまった。
なってしまった。
安住はこの頃まして強く、そう思う。
安住に、そのつもりはなかった。ただ紅一色のスーツを着て、元気に挨拶しながらゴミ拾いをしているだけ。それによって人々には自分の中の英雄を持つようにしてもらいたいと思っていたのだが、人々の目は、その紅色の人物のことを「この街の英雄」であると見ている。
俺が英雄であるのは、それはそれでいい。問題は、人々が英雄を自分の外に認識して、称え崇めているところだ。
なぜこんな思考の堂々巡りをよくしているのか、もうここ数年、ずっとそればかり考えている。英雄という存在が人々の心の中で当たり前になってしまうことに対して、明確ではないが、確かな予感としての危惧を、強く、心に感じるのだ。
いまはいい。人々の輪の中心に、紅一色の象徴的な存在、ヘロという英雄がいれば。しかしそれが永続しないのはどう考えても自明の理だ。寿命的にこのまま続けていられるわけは無いし、明日、何らかの理由でできなくなる可能性は真理として否定できない。
もしそうなった場合に、どうなるのか。人々の輪の中心にあって、称え、崇めていた象徴としての英雄がいなくなれば、人々はどのような動きをするのか。元通りの治安の悪い街に戻るのか。それとも、なくなったその穴を見つめ、それぞれが自分の心に、自分という英雄を持つと決心するのか。
それが一番いいと思った。
英雄を外の存在として間借りするのではなく、自分という英雄をそれぞれが自分の中に持っている。それは強い。そしてそれは、かなり可能性が高く永続的に、この街が治安を良く保っていける道ではないだろうか。人々は、どうするのだろうか。
まだ陽が落ちるちょっと前だったが、安住は床に就いた。深夜、起きて、安住は公園のトイレへと向かった。英雄の朝は早い。
ちょっと寒い。
これからの季節は、そうだ。公園のトイレで安住からヘロに変身するとき、一瞬だけ裸体に近い格好になる。下着の隙間から寒風がひゅるると肌をかすめていくと、気を張っていなければ身体の芯が冷えてしまう。
真っ暗な深夜。時刻は二時。誰もいない公園のトイレから、誰にも知られずにこの街の英雄は変身して出て来る。
既にヘロの素性が何なのか、公に知れていると言えば知れていることなのだが、あくまでも安住は、安住英雄ではなくヘロとして、この格好でいるときは中身を入れ替えるようにしている。
しかしもうその必要もないのかもしれない。というか、ヘロ自体、もう存在の必要が無いのかもしれない。そう思う。
ヘロはゴミ袋片手に、寝静まった街を歩いて行く。
ゴミなんて、ほとんど落ちていないのだ。もう誰も、道端に捨てるなんてことをしなくなったから。
それでも時々、お菓子の袋の開けた端が意図せずにカバンから落ちてしまったり、傍に置いていた空のペットボトルを忘れてそのままにしてどこかへ行ってしまったりしたであろう跡が残っている。それを見つけると、ヘロは持っているゴミ袋に回収する。
誰もいない寝静まった街。これから夕方まで、ヘロは決まったコースを歩いて行く。何時何分何秒、出来るだけ決めてあるコースを歩いて行く。ヘロを英雄と認識した人々が、出来るだけその姿を決まったときに見ることが出来るようにするためだ。自分で言うのもなんだが、英雄という、信奉できる存在というのは、その存在を身近に感じるだけでなにか、心強く感じることはあるのではないか。もし自分がそっちの立場だったら安住はそう思う。それは本来の安住の望むことではないが、その人にとってはそれが大事なことであって、そういう人がいれば、安住は思わずそちらへ行ってしまう。俺が助けてやる、と。
ひょい、と猫が出てきた。黒猫だ。ヘロは、おう、と心の中でその猫に挨拶する。この道を歩くとたまに、この黒猫が道の端からひょいと出て来て、前を歩いて行く。まるで迷い込んだ者の道案内を買って出てくれるかのように。
でもちょっとするとすぐ飽きて、黒猫は道端の草むらに引っ込んでどこかへ行ってしまう。いつものことだ。
またな。
ヘロは心の中でそう言ってみる。
安住がヘロになって十年、歳はもう五十二歳のいいおじさんだ。
「おはよう!」
サッと手を挙げる。夏を越えて、十月手前。紅一色のこの格好にとって、この時期はとても心地が良い。
「おはよう! ヘロさん」
駅前を歩いていると、いつも見る人の顔ぶれ。ヘロは挨拶をする。初めて見かける人はあまりいないが、たまに見つけると、「おはよう! 今日はいい天気だね!」と、構わず明るく挨拶をする。たいていの場合は、ニコ、と笑って返してくれる。
「いい歳してまだやってんのか」
ヘロとして現れて十年、最初の頃から知っている人に出くわすとそう言われることがある。
「俺はいつだっていい歳なんだ」
そう返すと、ああこいつはいつまでも変わらないな、とちょっと肯定的に認めたような顔になって、「そうか」と言ってくれる。ヘロという存在が、この街の人々に受け入れられているのだな、と感じる。
治安が悪く、夜ラーメン食べに行けなかったから。
なぜそんなことをしているのかと聞かれれば、そう答えている。この街は夜に出歩いていると女は手を掛けられ、親父は襲われる。それは事実、だから人々は夜、この街を出歩かない。
しかし、安住は別に、本当に夜、ラーメンを食べに行きたいわけではなかった。そもそも、朝は早くから夜の手前まで喫茶店を経営しているのだ。仕込みもあるし事務的な作業もあるし、喫茶店という経営者にとって遊んでいる暇などというものは存在しない。
じゃあなぜそんな回答をするのかと言えば、それはただの安住のひねくれた性格としか言いようがない。
こんな格好をしてまで、こんな髪色にしてまで、安住が英雄として存在している理由は。
——いいじゃないか。
理由は、それだけだった。目の前に困っている人間がいれば助けてやる、治安が悪ければ良くしてやる。俺が助けてやる、俺が良くしてやる、理由は、それだけだった。
実際、もう既にこの街は、夜でも楽し気に歩いて行ける、治安のよい街になった。人々はそれをちゃんと、ヘロの起こした影響の結果であると認識している。
いい歳してまだやってんのか。
その快調な横やりに、もうアンタはよく頑張ったよ、という英雄を称える響きが込められていることを、街の人々も、そしてヘロ自身も、分かっている。
英雄、か。
一人暮らしのアパートに帰ってくると、ヘロは紅一色のスーツを脱ぎ、ただの五十二歳独身男になる。
今日も英雄として、ゴミ拾いをし、街の人々に挨拶をして回った。
一日を振り返ってみると、ただ、それだけなのだ。所帯も持たず、貯蓄もほとんどなく、日中は紅一色のスーツを着て、ヘロと名乗っているだけの中年。
安住はちょっと、そのとき心が静かだった。時刻はまだ夕方前、というころ。
ヘロは、英雄になってしまった。
なってしまった。
安住はこの頃まして強く、そう思う。
安住に、そのつもりはなかった。ただ紅一色のスーツを着て、元気に挨拶しながらゴミ拾いをしているだけ。それによって人々には自分の中の英雄を持つようにしてもらいたいと思っていたのだが、人々の目は、その紅色の人物のことを「この街の英雄」であると見ている。
俺が英雄であるのは、それはそれでいい。問題は、人々が英雄を自分の外に認識して、称え崇めているところだ。
なぜこんな思考の堂々巡りをよくしているのか、もうここ数年、ずっとそればかり考えている。英雄という存在が人々の心の中で当たり前になってしまうことに対して、明確ではないが、確かな予感としての危惧を、強く、心に感じるのだ。
いまはいい。人々の輪の中心に、紅一色の象徴的な存在、ヘロという英雄がいれば。しかしそれが永続しないのはどう考えても自明の理だ。寿命的にこのまま続けていられるわけは無いし、明日、何らかの理由でできなくなる可能性は真理として否定できない。
もしそうなった場合に、どうなるのか。人々の輪の中心にあって、称え、崇めていた象徴としての英雄がいなくなれば、人々はどのような動きをするのか。元通りの治安の悪い街に戻るのか。それとも、なくなったその穴を見つめ、それぞれが自分の心に、自分という英雄を持つと決心するのか。
それが一番いいと思った。
英雄を外の存在として間借りするのではなく、自分という英雄をそれぞれが自分の中に持っている。それは強い。そしてそれは、かなり可能性が高く永続的に、この街が治安を良く保っていける道ではないだろうか。人々は、どうするのだろうか。
まだ陽が落ちるちょっと前だったが、安住は床に就いた。深夜、起きて、安住は公園のトイレへと向かった。英雄の朝は早い。
ちょっと寒い。
これからの季節は、そうだ。公園のトイレで安住からヘロに変身するとき、一瞬だけ裸体に近い格好になる。下着の隙間から寒風がひゅるると肌をかすめていくと、気を張っていなければ身体の芯が冷えてしまう。
真っ暗な深夜。時刻は二時。誰もいない公園のトイレから、誰にも知られずにこの街の英雄は変身して出て来る。
既にヘロの素性が何なのか、公に知れていると言えば知れていることなのだが、あくまでも安住は、安住英雄ではなくヘロとして、この格好でいるときは中身を入れ替えるようにしている。
しかしもうその必要もないのかもしれない。というか、ヘロ自体、もう存在の必要が無いのかもしれない。そう思う。
ヘロはゴミ袋片手に、寝静まった街を歩いて行く。
ゴミなんて、ほとんど落ちていないのだ。もう誰も、道端に捨てるなんてことをしなくなったから。
それでも時々、お菓子の袋の開けた端が意図せずにカバンから落ちてしまったり、傍に置いていた空のペットボトルを忘れてそのままにしてどこかへ行ってしまったりしたであろう跡が残っている。それを見つけると、ヘロは持っているゴミ袋に回収する。
誰もいない寝静まった街。これから夕方まで、ヘロは決まったコースを歩いて行く。何時何分何秒、出来るだけ決めてあるコースを歩いて行く。ヘロを英雄と認識した人々が、出来るだけその姿を決まったときに見ることが出来るようにするためだ。自分で言うのもなんだが、英雄という、信奉できる存在というのは、その存在を身近に感じるだけでなにか、心強く感じることはあるのではないか。もし自分がそっちの立場だったら安住はそう思う。それは本来の安住の望むことではないが、その人にとってはそれが大事なことであって、そういう人がいれば、安住は思わずそちらへ行ってしまう。俺が助けてやる、と。
ひょい、と猫が出てきた。黒猫だ。ヘロは、おう、と心の中でその猫に挨拶する。この道を歩くとたまに、この黒猫が道の端からひょいと出て来て、前を歩いて行く。まるで迷い込んだ者の道案内を買って出てくれるかのように。
でもちょっとするとすぐ飽きて、黒猫は道端の草むらに引っ込んでどこかへ行ってしまう。いつものことだ。
またな。
ヘロは心の中でそう言ってみる。