第54話「最終話」:花火と小山田夫妻の幸福

文字数 3,078文字

 ここは、さっきタクシーで降りた所ではないか何と見過ごしていたのだ。店の中に入り特性の2色のコントラストが美しい「サングリア」を注文、これはうまい。最初怖いと言っていた奥さんの良江さんがノスタルジックと言い、風情のあるマネキンや人形を酒を飲みながら眺めた。その他のカクテルでお奨めの品を3杯いただき、ほろ酔い気分になると店の人がお腹空かないと聞いたので空いたと答えた。

 すると、ちょっと待っててと言い、特性の野菜入りサンドイッチを作ってきてくれた。添えてあるソースに野菜をつけると実に旨い。もう一つはアーモンドクッキーが出て来た。これがカクテルにマッチして絶妙のバランス。思わず旨いというポーズをすると、その人が良かったと言う感じで笑顔になった。1時間位して良かったら仕上げに珈琲とフルーツケーキはいかがと言われ注文した。

 これが格子のホットケーキ上にアイスクリーム、回りには小さく切ったフルーツが添えられていた。これを食べた良江さんが笑顔で最高と言った。すると店の人がサンキューと言い上機嫌になった。その後、タクシーを呼んでとお願いし精算してもらうと、それ程高くなく、また来てねと日本語で笑いながら言ってくれた。やがて、数分でタクシーが来てホテルに帰っていく途中、奥さんが小さな寝息をたてていた。

 その後ホテルに着いて起こして部屋へ行くと2人とも直ぐに夢の中へ。翌日は、少し飲みすぎたのようで、翌20日、8時に起きて朝食をとりホテル近くの川沿いの道を散歩した。その後、シャワーを浴びて、ホテルをチェックアウトして、タクシーで台南駅へ向かい、台湾新幹線で台中へ向かい30分程で到着し台中駅から日月潭行きのバスに乗って11時前に日月潭のほとりの涵碧楼に到着。

 チェックインすると今回の台湾で最高のホテルとわかり、良江さんが思わず高そうと言った。そこで小山田聡が日月潭の蒋介石の元別荘跡地にできたアマンリゾート系の高級ホテル、ザ・ラルー涵碧樓だと答えた。部屋へ行くとレイクサイドの眺望の素晴らしい部屋で、一体、いくらするのと聞くので2泊で10万円以上と言うと驚いていた。そして昼食を食べに行くとレストランも豪華で素敵で味も良い。

 朝食を終えて14時から日月潭についての資料が部屋に置いてあり、紅茶を飲みながら、絽の本を見始めた。日月潭は中央付近にある「拉魯『ラルー』島」を境として、東側が丸く「日潭」、西側が三日月形で「月潭」とそれぞれ呼ばれ、合わせて「日月潭」となる。日本語では「にちげつたん」と呼ぶが現地では「リーユエタン」と発音する。また、略称として「明潭『みんたん・ミンタン』」と呼ぶこともある。

 日月潭周辺で暮らすサオ族は古くはもっと山間部で暮らしていたが一頭の白鹿に導かれて大きく美しい湖を発見。白鹿はサオ族の目の前でゆうゆうと湖の中へと消えていったという。その湖が日月潭だった。何か、映画「もののけ姫」のシーンを彷彿とさせる伝説だ。今晩の花火に備えて16時頃から1時間ほど仮眠。その後風呂に入って暗くなるのを待ち夕食は部屋に持って来てもらった。

 夕食を終えて18時半に花火大会の開催を告げるかの様に1発の花火が上がった。続いて開催のファンファーレが鳴り響いた。すると次々と花火が打ち上がり天空で破裂して素晴らしい花火都内、大輪を咲かせた。それを食後のワインを飲みながら、上着を羽織ってベランダの椅子に座り、じっと眺めていた。すると今迄の人生が走馬灯の様に小山田聡の脳裏を駆け巡った。

生まれて中学を卒業し工業高校に入学し、卒業して雇われ漁師になり、漁での辛い日々。憂さを晴らすように麻雀やボートレースをしていた時代。多くの若い娘と浮名を流していた時期。突然、奥さんの良江さんに結婚を申し込まれた時の事。

 今晩、日月潭花火音楽フェスティバルの花火大会だと言うと、早前に夕食を食べてベランダの席から、花火を見ましょうと言った。ソニー株で1650万円の儲けが時の事。結婚式、子供が生まれたと時。漁協の組合長に可愛がられた事。子供達が東京の大学へ行った事、娘が医者になった事。健二に船舶免許をとらせて、クルーズ会社を立ち上げ、大型カラマランクルーザーヨットを買った事。

 その映像が上空には花火、湖にはその時の映像が見えた。何とも不思議な感じで、90分で自分の人生の歩みと同時に終了した。その後、部屋に入り、冷蔵庫のワインを飲みながら、昔からの出来事について話し合ってると、奥さんが、私が幸福の神で、あなたを守っているのよと笑いながら言った。それに対して、聡は、確かにそうかも知れない。何もかも、上手く行き過ぎて怖いくらいだと言った。

 でも、まだ、当分、この幸福に包まれて生きて行きたいものねと笑いながら言った。これからも俺を守ってくださいと言うと聡は久しぶりに奥さんを抱いた。やがて、心の中の幸せの「日月潭」に沈んでいった。翌、21日、朝は少し飲みすぎていたのでシャワーを浴びた。時計を見ると8時半。朝食を食べに行きトーストとサラダと珈琲をいただいて部屋に戻り、9時半からホテルの周辺を30分くらい散歩してきた。

 10時過ぎにホテルを出て今日は日月潭の湖畔を周遊する遊覧船乗り場にタクシーで行った。遊覧船の全行程90分。湖の中程には拉魯「ラルー」島という小さな島がある。ここはサオ族の人々が精霊の集う場所、聖地で日本統治時代は玉島、戦後は光華島と呼ばれた。現在はサオ族の呼称に従って拉魯島と呼ばれてる。ここを境に東側は円形なので「日」潭、西側は三日月形なので「月」潭と呼ばれています。

 11時発の遊覧船に乗り日月潭の湖畔を周遊したが、どこか箱根、芦ノ湖の遊覧船という感じがした。遊覧船から下りて軽い昼食をとり次に九族文化村入場券を買いロープウェイは8人乗りのゴンドラで折り畳み式の座席だった。ロープウェイを下りて九族文化村に入った。その原住民エリアでは各原住民の生活様式を知りつつ美食を味わうことができまる。様々なショーが行われていた。

 15時に文化村を後にしてタクシーでザ・ラルー涵碧樓へ向かい16時前に到着してシャワーを浴びてベッドでゆっくりした。その後18時半から夕食をとって帰りの支度をし始めた。そして20時過ぎに支度を終えてワインを飲んで今日の文化村の話になったが台湾に16もの部族がいる事も知らずにいた。また部族によって風習、文化が全く異なっているのには単一民族の日本人としては信じられなかった。

 そんな話をしていると22時となり床に入って眠りについた。翌日、7時に起きてホテルのフロントでチェックアウトする時、タクシーで台中駅まで700元で送ると言うので9時出発でお願いした。9時前にホテルのフロント行くと既に来ていて乗り込んだ。あまり混んでいなくて、かなり飛ばして約1時間で10時過ぎに台中駅に到着した。そこから10時半の桃園空港行きの高速バスに乗った。

 その後13時に桃園空港に到着し昼食をとり14時過ぎの飛行機に乗り込んだ。そして桃園食空港と飛び立つ時、窓の先に白い線のような物が見えた。その白い線は戦闘機の飛行機雲で真っ直ぐに伸びていた。奥さんの良江さんは先日、夫、聡さんに言った。

「私が幸福の神で、あなたを守っているのよ」という言葉を思い出した。その時、夫が素直に確かにそうかも知れないと言った時の真剣なまなざしを思い出して涙が浮かんだ。
「それを見ていた夫が大丈夫かと軽く手を握ると、手の温かさを感じ、涙が一筋流れ落ちた」「完結」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み