第52話:日本帰国と熊本大地震と台湾旅行

文字数 3,124文字

 桜が咲き始め春の良い季節を迎えた。4月になり山桜が咲き始めた4月14日と午後21時26分頃、熊本県を震源とする地震が発生し益城町で震度7を観測。地震の規模マグニチュード6.5で、震度7が記録されたのは2011年3月の東日本大震災以来。2016年4月16日午前1時25分ごろにも益城町と西原村で震度7の地震が起き1995年の阪神大震災と同規模のM7.3を記録した。

 連続した地震活動で震度7が2回観測されたのは49年に震度6の上に7が新設されて以来初めてで気象庁は14日の地震が前震、16日が本震との見解を示した。地震による直接死と関連死を合わせた死者は150人を超えた。住宅被害は約17万8000棟に上り、うち約8300棟が全壊。熊本城も天守閣の屋根瓦が剥がれしゃちほこが落下するなど、大きな被害を受けた。

 その後も熊本や大分などで何回も続く群発地震が起きた。4月中、熊本地震を含め4月14日に4回、15日3回、16日13回、18日1回、19日2回、29日1回の4月で24回も震度5以上の大きな地震が連続しておきた。この地震に対して小山田クルーズ・カンパニーとして1億円の熊本大地震の義捐金を送った。この影響とかねてから盗難か地震の話が蒸し返されクルーズや釣り客の数が激減した。

 それでも小山田聡の元の集会場が改修された老人施設の家賃、駐車場代など年間240万円が入ってきた。その後、夏は昨年も暑かったが今年も暑さが続き35度を超える猛暑日が続いて体調を崩し熱中症で病院に搬送される老人が小山田の前の老人施設でも頻発した。また、9月、10月になっても残暑が厳しく30度を超える真夏日が続いた。そんな事で小山田夫妻も家のエアコンの下でじっと過ごしていた。

 やがて2017年を迎えた。この年は自民党が総選挙で分裂した連立政権を破って与党第一党に返り咲いた。しかし学校法人「森友学園」への国有地格安売却と「加計学園」の獣医学部新設をめぐり、安倍晋三首相や周辺の関与の可能性が疑惑として浮上、国会で問題化した。南スーダン国連平和維持活動「PKO」の日報問題は稲田朋美防衛相辞任に発展。政権の足元は揺らぎ、内閣支持率は急落した。

 その他、日本製品の信頼背が高いと評判であったものが崩れ落ちた。日産自動車、神戸製鋼所などで製造現場の不正行為が相次ぎ発覚。日産とスバルでは資格のない従業員が完成車の検査を行い。神鋼は品質データの改ざんなどを繰り返した。同様の不正は素材大手の三菱マテリアルや財界総理と呼ばれる経団連会長を出す東レの子会社にも飛び火。産業界に衝撃が走った。

 一連の不正で、ルールを無視したずさんな品質管理や、安全性に対するモラル低下があらわになった。こうした製造現場の実態を把握してこなかった経営陣にも厳しい目が向けられ、企業統治の在り方が問われた。神鋼グループの工場では、日本工業規格「JIS」認証の取り消しや一時停止が続出。日本が世界に誇ってきた高品質な「ものづくり」への信頼が大きく揺らいだ。

 その後、夏には九州北部豪雨で死者・不明41人と言う自然災害が起きた。7月5、6日を中心に台風3号と梅雨前線の影響で「九州北部豪雨」が発生し、福岡、大分両県で死者38人、行方不明者3人となった。3号は九州北部を横断し、気象庁は5日に両県に大雨特別警報を発表。大規模な土砂崩れや河川の氾濫が起き、大量の流木で家屋や鉄道の鉄橋などが流された。

 不明者の捜索が長引き、農林水産業に大きな被害が生じた。政府は激甚災害に指定し、自治体の災害復旧事業への補助率をかさ上げした。台風は5号が8月7~8日に近畿・北陸を縦断。秋にも日本列島への上陸が相次ぎ、18号が9月17~18日に九州南部と四国、近畿、北陸を縦断したほか21号が10月23日に東海と関東を縦断した。総務省消防庁によると、死者は5号で2人、18号で5人、21号で8人に上った。

 2016年の秋になり、やっと小山田クルーズの業績が伸びてきた。これはテレビでの釣り番組が好調で釣り人口が増え、関西から近い岡山でクルーズヨットにのって豪華な釣りの人気が上がった事による。また乗船数が最大20人と多いため単価も比較的安く済むのも好評のようだ。さらに、昨年からレンタルとしてクルーズヨット、モーターボートを社員が最低1人以上乗船する条件で、最低2時間以上で1時間単位で貸し出し好評を得た。

 また長女の横浜駅近くので皮膚科も盛況で、多くの患者を集めて、皮膚科の院外薬局の隣に美容専門の医師が奨める美容品として豪華な商品を展示して、販売しこれが当たり、かなりの利益を産みだして、小山田聡に借りた借金の返済が早まった点も大きかった。その後、小山田聡が中高年の富裕層を集め、クルーズ船で東京、横浜、福岡、静岡、四国周遊のクルーズの旅を日帰りから最大6泊7日のクルーズの旅を企画した。

そして、忙しくなり、小山田聡も奥さんも仕事を手伝う事になり電話番したり書類を書いたり、お客さんに説明したりして欲しいと言われる日が増えた。そして冬の風のしずんになりクルーズも終わり、釣りも減り始めると12月を迎えて2017年となった。今年も初詣でに行って家内安全と商売繁盛のお願いをして来た。今年の冬は暖冬気味であったが1月中旬以降山間部では雪になった。

 2月も雪が多く山間部の峠ではかなり積もり交通に支障をきたす幹線道路も多かった。3月になると暖かい日が続き気候で桜の開花も通年よりも早かった。4月になると良い天気が続きクルーズ、釣りので小山田クルーズでも忙しく、クルーズツアーの募集をして、大勢のお客さんを呼んだ。今年の梅雨は空梅雨気味で仕事をする上ではクルーズの囩手が組めて利益も上昇気味。

 夏になると天候不順で北日本、東日本太平洋側では冷たく湿った空気が入り梅雨明けがはっきりしなかった。秋は、日本の南海上で太平洋高気圧が強い状態が続いた。この影響で沖縄・奄美では南から暖かい空気が流れ込みやすく、気温のかなり高い状態が続き、秋の平均気温はかなり高かった。そして10月を迎え、10月16日、小山田夫妻は朝6時過ぎの新幹線で新大阪から関西空港に8時に到着しピーチ航空9時20分発の台北行きで飛び立った。

 台北には10月18日13時過ぎに到着し空港で昼食をとり、台北桃園空港から台北市内中心部へ高速バスで1時間で到着した。台北からはMRT淡水信義千で新北東駅まで40分で結んでいた。15時頃に北東温泉の加賀屋に入った。部屋に入り宿の温泉に入って一休みして18時過ぎに夕食を食べに行った。最近で来た温泉で日本のメイ温泉旅館の加賀屋の姉妹店とわかった。翌朝、17日、6時過ぎに起きて、ホテルの近くを散歩した。

 その後、9時に宿を出て、ローカル電車を乗り継いで十分に11時過ぎに到着した。そして駅の近くの店でランタン揚げ用の提灯を買って、14時頃にあげる事にした。その後、昼食を食べて、十分の山と川の街を散歩し他が、昔の日本の田舎という感じがして懐かしい感じがした。昼過ぎ13時頃には大勢の観光客がやってきて駅近くが混雑し始めた。そして小山田夫妻は購入したランタンに願い事を書いた。

 13時半には揚げるランタンに長いごとを書き終えて、飛ばす準備が完了した。店の人に見てもらいながら、店の人にランタンに火をつけてもらい鉄道の線路を跨いで空に向かって飛ばした。見事に空にランタンが舞い上がり、これからの夫婦の長寿と子供達と会社の成功を祈願した。その後、タクシーで十分の名所の十分瀑布、別名、台湾のナイアガラを見て来た。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み