第53話:高雄、台南観光

文字数 2,867文字

 滝の形は似ているが滝の幅約40メートル、落差20メートルとナイアガラの達のミニチュアと考えた方が良い。しかし滝の形はきれいで何枚もの写真を撮った。帰りは十分からの電車が少ないのでタクシーで瑞芳駅に20分で行き、そこから電車で40分で台北に到着15時半に台北に到着した。その後、16時10分の台湾新幹線で左営駅に18時20分に到着。そこからタクシーで予約したホテルへ向かい15分で到着しチェックインした。

 その晩はホテルで夕食を済ませて、22時には床についた。翌日18日は名所の蓮池潭へ行った。ここで一番人気があるのは大きな龍と虎がインパクト大の「龍虎塔」。二つの塔にはそれぞれ龍と虎の口が開いています。善良な動物である龍の口から入って凶暴な動物である虎の口から出た。塔の上階までは階段がちょっと大変そうでやめた。龍に乗った観音菩薩像が迫力ある春秋閣や巨大な北極玄帝像も面白かった。

 次に訪れたのは打狗英国領事館。台湾で初めて作られたというイギリス領事館。西子湾の小高い丘の上に建つ赤レンガのバロック建築からは、海岸の風景と高雄市街を一望できる人気の観光名所。打狗英国領事館1階には領事館や高雄の歴史に関する展示があり、2階へ上がるとバルコニーが素敵なカフェがお出迎え。クラシカルな英国式家具に囲まれて、本格的なイギリス式のアフタヌーンティが楽しめ評判の高い。

 緩やかな坂道になっている地下へ進むと薄暗いその先にはかつて監獄として使われていた狭い小部屋が並んでいます。他に観光客がいない時は入っていくのに少し勇気が必要ですが、肝試し気分で探検してみてくださいね。領事館の外にもテラスのカフェがあり、ふわっと口の中に香りが広がるバラの紅茶が定番メニューで、その味はいまだに一流の味で是非、味わう事をすすめたい。

 その他には最近評判の美麗島駅。ここは高雄市地下鉄のレッドラインとオレンジラインの交差する駅。この美麗島駅は世界で最も美しい駅とも評され話題になっており、今では高雄の顔ともいえる観光名所。駅構内の中央部分を見上げると天井に広がるのは、直径30メートルのドームに設置された「光之穹頂」というステンドグラスの作品。4500枚の色とりどりのステンドグラスは圧巻。

 改札を通らなくても外から眺めることができますが、じっくり眺めたい方は乗り換え時に内側から見ると色々な角度から作品を眺めることができる。このドームの下でイベントが開かれることもある様です。またガラス建築のデザインが目を引く美麗島駅出口は日本人建築家の高松伸さんがデザインを担当した。小山田夫妻もこの駅を訪れて、何枚も写真を撮って駅構内を芸術作品として眺めた。

 その日に高雄から台南へまで台湾国鉄で45分で移動してシャングリラホテルに17時半にチェックインした。風呂に入ってからホテルのレストランで夕食をとってワインを飲んで床についた。翌19日、10時にホテルを出て台南の名所、台湾最古の城、安平古堡ホテルへタクシーで出かけた。安平古堡は、1624年にオランダが現在の安平を占拠して、防御要塞として熱蘭遮城「ゼーランディア城」をつくったのが始まりとされる。

 完成は1634年。1662年に鄭成功が熱蘭遮城を落とした後、「安平鎮」と名を改めた。湾で最も古い街と言われる「安平老街『延平街』」もこの城の城下町として栄えた。
清朝時代に入ると徐々に荒廃するが、その後の日本統治時代に再建、熱蘭遮城の一部を取り壊し3階のレンガ製平台を建設しました。台湾光復後は「安平古堡」と呼ばれるようになった。入り口から最初の階段を上ると右手に鄭成功の像。

 左手に古堡石碑、古堡石碑を左に進むと砲台がある。砲台がある場所からさらに階段を上ると正面に「史跡記念館『文物陳列館』」がある。史跡記念館には当時の武器や史料が展示されている。史跡記念館の隣にあるのが展望台。もともとは周辺の監視のために建てられたが、1975年に外壁を白く塗り、屋根が設置された。ガジュマルに侵食された「城壁」、「半円型の城壁と古井戸」など見どころが多い。

 そこから海に向かって歩くと安平樹屋「徳記洋行」安平樹屋は、元はイギリスの貿易会社・?記洋行「ダージー・ヤンハン」の倉庫として使われていたが19世紀末に大日本塩業株式会社の倉庫として使われ日本人によって増築された建物。戦争後に倉庫が廃墟となり榕樹が建物を覆い独特の神秘的な外観がなにやら謎めいた場所となった。徳記洋行は1845年にイギリス人によって設立された東インド会社所属の会社。

 徳記洋行では、その当時のイギリスの面影を感じることができます。いろいろな展示物は歴史を知る手がかりとなり興味深い場所。倉庫の壁を榕樹が伝い、木々の連なりが、かつての倉庫である安平樹屋を神秘的な場所へ変えた。奥には池もあり、水車、歩道もあります。意外に奥まである。近くにコーヒーショップもある。

 次に向かったのは赤嵌楼でタクシーで到着し1653年にオランダ人によって建てられたものですが残念ながら当時の建物はほとんど残ってない。1661年に鄭成功がオランダ人を駆逐し、ここが首府となった。その後1721年の反乱により破壊されて城壁のみになった。19世紀後半、この跡地に文昌閣、五子祠などが再建された。日本統治時代、海神廟、文昌閣、五子祠 は病院と医学生の宿舎として使われた。

 夕日が美しいことから台湾八景の一つとされた。建築当時から残っている部分は少ないが砂糖水、もち米の粉、石灰、牡蠣の殻を混ぜてつなぎにし積み上げたレンガは必見。建物の手前にある石碑もぜひチェックしてみて欲しい。こちらは満州文字で皇帝の言葉が書かれています。この石碑を背負っているのは龍の子といわれる「贔屓」。

 中に入り、小さな階段を上って2階に行くと「文昌閣」があり、そこには学問の神様「魁星爺」が祀られている。受験生はここで、お参りすると合格するかもね。そして今日は歩き疲れたので16時にはホテルに帰って風呂に入って少し仮眠した。その後、ホテルのフロントで夕方、風情がある、飲食街はないかと聞いて見ると、それなら神農街がうってつけだと教えてくれた。

 更に神農街について資料をもらった。それによると神農街は昔、商人たちの船が盛んに行きかう5本の主要運河が広がっていた。神農街はその5本の運河の1本「南勢港」の北に位置したので「北勢街」と呼ばれた栄えていた。通りに蓋をするように「藥王廟」が建てられており、そこに神農という医学の神様が祀られている事から「神農街」と呼ばれるようになった。

 そこでホテルで夕食を食べてから20時にタクシー「太古・TAIKOO」へ行った。まず太い道路、康楽街から幅3メートル位の細い路地に入ると、そこが神農街だった。昔の日本の路地と行った風情があったが、あまりに狭いので夜は言って行くにはきついと奥さんが言うので少し行ったらひき換えして戻ると太い道に「太古・TAIKOO」と書いてあった。
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